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葉桜:後篇

店内の空気は埃っぽく、雑多な道具が並んでいた。片隅の文机には湯呑が置いてあり、読みかけの本に栞が挟んであった。店主が座っていたときの様子がそのまま残っている。


店はさほど広くはない。奥に向かう通路は、人が一人通れるぐらいだった。積み上げた本が崩れているのは、患者を運び出したときの名残りだろう。


妹紅が数歩進むと、腰の線量計が鳴り始めた。

ただ音が煩いだけで、色も熱さもない。特に意味がないと知りつつ、息を潜めて店の奥に向かう。永琳の書いた図では、衝立の奥に寝台があり、棚の上から三番目に金属棒があるらしい。


進むごとに数字が跳ねあがり、液晶が赤色に変わった。けたたましい音が響いている。


──中にたちの悪い物がいる、と巫女は言っていたけど。


これまでに退治してきた妖怪は、形あるものばかりで、その意味では狩猟にも似ていた。形のないものは巫女の領分で、気を付ける術がない。

今の妹紅は、電子音のほうに注意が向いていた。早く線源を格納して音を止めてしまいたい。


寝台のシーツにはしわが寄り、枕元に洗面器が伏せて置かれていた。物色している暇はなく、ちらりと見ただけで視線を戻す。


傍らの棚に、銀色の延べ棒を見つけた。敷き布があるだけで、遮るものはない。


──あった。


鉛箱の蓋を開け、息を止めて棒に手を伸ばしたとき。


何かに両肩を掴まれた。指先が棒に届かず空を掻く。

見えない腕に羽交い締めにされて、床に片膝をついた。振りほどこうとしても、こちらの手はすり抜けていく。目に見えず干渉できない物が、一方的に自分を捕らえている。


おそらく人の型ではなく、無数の腕がどろどろと集まっている様子だった。店の浄化を邪魔してるんだ、と思う。警告音は鳴り続けているのに、あまり耳に入らず、自分の心音が聞こえていた。


床に倒れてしまったら、背中から乗られて動けなくなりそうだった。髪を引く感触がただただ不快だった。ここは店の中だから、火を使うこともできない。


しゃがみ込んだまま床に手をついて、棚に縋るように身を起こした。

金属棒に指先が触れて、そのまま鉛箱に放り込んで蓋をする。蓋を閉める瞬間、溶けかけの肉を挟んだような変な感触があった。ねじ切るように蓋を閉める。


──これで良い、のか。


蓋をしてしまえば勝手に開く様子はなく。さっさと帰ろうと踵を返した妹紅は、目を見開いた。


「……え?」


何で、と呟く。

店が傾いていて、出口に向かって急な斜面になっていた。目に映るものすべてが傾いて、棚が斜めに生えている。平衡感覚を失って目が眩む。


来た時はこんなことはなかった。そもそもここは現実なのか。化け物の腹の中にいるようで寒気がした。


頭上を仰ぐと、板を剥がしたところから、外の光が差していた。歩いて入ってきた玄関が、なぜか今は頭の上にある。外では巫女と兎が待っているのか。 もし無事でいるなら、向こうからはここがどう見えているのか──。


「────!」


助けを求めようとしたとき、急に喉が塞がった。 輝夜に首を絞められたときとは違う、喉の奥が詰まる感覚。みぞおちを押さえて咳き込んだが、詰まったものが動く様子はない。隙間風のように、少しだけ空気が通っていた。


自分も含めて目に映るすべてを焼き払いたい。でも無理だ、と思う。目の前の光景が現実で、自分が今いるここが香霖堂なら、火を付ければ店が燃えてしまう。火は使えないし、声も出せない。


床板を引っ掻いて這い上がろうとした。片腕は箱で塞がっていて、一向に進んでいる感じがしない。足元は禍々しい暗闇で、足首には相変わらず手が絡まっている。あそこに堕ちるのだけは駄目だ、と思う。


光のほうから、巫女がこっちを呼ぶ声がした。

床板から手を離して、声のほうに伸ばす。指先が届いて、巫女に手を握られた。


見えない化け物に引かれた足をばたつかせていると、巫女が何かを告げて、足を掴む力が弱まった。


「来て」


その声とともに、店の外に転がり出た。





駆け寄ってくる兎に手を振って制し、店から離れてリザレクションをした。焼け死んでから蘇って、意識が戻ったところでもう一度。体に絡まった無数の腕や、喉を塞ぐ何かの感触を、焼き切って消してしまいたかった。


寝そべって空を眺めていると、うどんげが様子を見に来て、大丈夫かと尋ねてきた。

頷いて起き上がると、霊夢がちょうど店から出てくるところだった。


「店の中を確かめてきたわ」


線量計とお祓い棒を両手に持って、中の様子を報告する。


「中に入っても音は鳴らなかった。霊障のほうは、おおかた片付けたから安心なさい」

「……そう」

「片付けが済んだら呼んで、って言ったじゃない」

「声が出なくて」


中で何があったのかと訊かれて、少し考えて言葉を探した。悪い夢のようであまり思い出したくないし、語ろうとすると、それが現実なのか曖昧だった。見えない手に回収を邪魔された、床が傾いていた、助けを呼ぼうとすると喉を塞がれた、と話をした。


「霊障の中には、人の五感を狂わせるものがあるの。今回もそれのようね」


あれは幻なのか、と疑問を抱く。

線源が回収できたらそれで良いか、と考えるのを止めた。幻想郷では幻と現の境は曖昧なのだし、線を引くことに意味はない。


「店の奥に、あんたの靴が片方落ちていたわ。床板にも血の跡があった」

「あー、だいぶ引っ掻いたから」


会話を聞いたうどんげが、靴の片方を持ってきて差し出した。

手を見せるように言われて、その通りにする。リザレクションしたときに傷も治っていた。





帰りはうどんげが鉛箱を抱え、霊夢と妹紅が前後に分かれて歩いた。

うどんげは、永遠亭の立地は不便だ、香霖堂からも遠い、とぽつぽつ愚痴をこぼしていた。危険物を持ち帰るとなれば、なおさらだ。


永遠亭に着いてから、永琳に線源を引き渡した。

店の再開に向かって一歩進んだことになる。改めてお祓いをして土地を鎮め、里の人々の不安を取り除く必要はあるが、それは日を改めることになった。


屋敷に住むうどんげは、話が終わるとすぐに風呂に入りに行った。霊夢は魔理沙と少し面会してから神社に帰るらしい。

妹紅は永琳に「お疲れ様」とねぎらわれ、話が済んだと思って帰ろうとしたが、


──明日の朝まで入院、と命じられた。


心身に異常がないかを診ながら、ここで一晩休んでもらう、と。

住処に帰るつもりが、思わぬ引き止めに遭い、そのうえ腕から血を採られた。大真面目な顔で、明日の朝は尿を持ってこいという。


壁に寄りかかって寝ると、永琳か誰かに小言を言われそうなので、おとなしく寝台に横になった。

屋敷のどこかにいる姫様の顔を見たくなったけど、これも日を改める。布団にくるまって眠るのは久しぶりだった。


夢も見ずに朝までよく眠ったのだが、翌朝うどんげから「師匠の調合した安眠の香はどうでしたか」と尋ねられ、どうにも釈然としない気分になった。


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