第三十四話 BeBOX
近づくと長谷川は、その古いPCの電源を入れられずに困っていた。改めてそれを見て驚いた。濃紺を基調にしたケースで、フロントパネル部には青と赤で、「Be」と書かれたロゴが入っている。
「まさか、これってBeBOX?!」
「なんですか、それ?」
「『幻のパソコン』と呼ばれているもので、僕も現物を見るのは初めてだ」
(田中らしい選択だな)と思いつつ、長谷川と椅子を代わる。このくらいのPCならスイッチは後ろにあるはずだ。手探りでケースの背面を探ると、はたしてスイッチがあった。パチンとスイッチを入れると、「ポーン」という起動を知らせる音がした。長谷川が小さな声で「そこにあったんだ」と呟いた。
液晶画面に紫色で「BeOS BE OPERATING SYSTEM」という文字と、画面の下に「BE」というロゴが現れた。筐体の奥でHDがカリカリいう音が聞こえる。数秒後、シンセサイザーの未来感のあるスタートアップサウンドとともに画面が切り替わり、どこかの夜景が壁紙に使われた画面が表示された。想像以上にスムーズな起動に驚いた。
並んでいるアイコンはどこか愛嬌があって、WINよりもMACに近い。本体に繋がっている有線マウスを使って、フォルダーのひとつを開けてみる。開いたウィンドウの左上には黄色のタブがついていて、中にはフォルダーの名前が記されていた。昔、雑誌で見たBeOSと同じようだった。
(さて、どうしたものか?)と思ったが、とりあえず関係のありそうなフォルダーを開いていくことにした。
長谷川が、
「変なパソコンですね」
と言った。私は振り返らず、マウスを操作しながら、
「これはBeOSと呼ばれる伝説のOSなんだよ。一九九五年に元アップルのジャン・ルイ・ガセーが独立して作ったOSで、当時としては物凄く先進的なものだったんだ。今でこそ当たり前のマルチタスク、同時並行的に作業する技術も、当時はOS自体が重かったので絵に描いた餅で、実際にはマシンが不安定にならないように、プログラムごとにいちいちソフトを終わらせて使うのが普通だった」
と説明した。後ろの長谷川が聞いているかどうか分からないが、続ける。
「ところが、このBeOSはマシンパワーを限界まで引き出すことで、重い処理でも複数同時にこなすことができた。おまけにファイルシステムも堅牢で管理がしやすく、当時のグラフィッククリエーターやプログラマーから熱狂的な支持を受けたんだ。ところが――」
「ところが?」
聞き返したので、どうやら話は聞いているようだ。
「残念ながら、商業的には成功はしなかった。アップルが買収するという話もあったんだけど、Be側と値段の折り合いがつかず、結局、アップルはジョブズのNeXTを採用した。そうなると既に市場の大部分を握っていたWindowsの牙城を崩すことはできず、紆余曲折の末にBeOSの開発は終了となった。今でも一部の愛好家がオープンソースプロジェクトとして開発しているらしいけどね」
「なんだか可愛い画面ですね」
確かに黄色いタブは可愛い。上出来な反応だ。BeOSの反応はキビキビしていて、触っていて楽しかった。試しにデモ用に入っているティーポットのCG動画を再生しながら、別のファイルを開いても動きは鈍らず、動画のウィンドウを摘んで動かしてもなかの動画が止まることはなかった。フロントパネルのLEDがCPUの負荷と連動して光るギミックも楽しい。田中がこのPCを選んだ理由も分かる。流石だ。
その一方で、田中がこのPCで何をしていたのかを探す作業は難航していた。私はまずWindowsの作法でファイルを探そうとして、すぐに無駄だと悟った。なんとか記憶を辿り、BeOSがUNIX系の思想で作られていることを思い出した私は、ターミナルモードからコマンドを打ち込むことにした。
「伊藤さん、分かるんですか?」
「昔、SEをやっていたんで、ごく基本的なことならね」
そう答えながら、画面に表示されるディレクトリの名前を目で追う。「develop」や「projects」といった名前に混じって、おかしな単語が引っかかった。「pj_glenguardian」という文字列だった。
(田中氏)と思いながら早速そのディレクトリを探ると、「.cpp」や「.h」といった拡張子のC++のソースコードが沢山あった。そのいくつかをエディターで開いたが、正直、私にはさっぱりだった。独自の関数やルーチンが多用され、コメントもほとんどなく、そもそもBeOS独自の仕様なので、英語がうろ覚えの人間が、ラテン語を読んでいるようなもので手も足も出ない。
少し考えたあと、コードをソートして最近使ったもの順に並べ直す。田中が最後に実行したファイルが見つかれば、そこからなにか手がかりがあると考えたのだ。
リストの最上部に三か月ほど前の日付で更新されたファイルがいくつか表示された。その中で、目を引いたのは「Gateway.cpp」というファイルだった。
私はそのファイルを開き、再びコードの中身に集中する。難解だったが、次第に探すべきものが分かってきた。「Gateway(通用口)」という名前が示すのは、「外部」と繋がる接点だ。
私は検索機能を開き、外部プログラムを呼び出すための古典的なC言語関数「system(」を打ち込んだ。エンターキーを叩くと検索は一瞬で終わり、画面にハイライトされたのは、この閉じた世界から外へ通じる、唯一の扉だった。
system(“/boot/home/config/bin/BD.sh”);
私はターミナルに戻り、そのシェルスクリプト「BD.sh」を探し出して開いた。そこに書かれていたのは、古代呪文のような文字列だった。
「なんだこりゃ!」
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次回は本日の21時ごろの更新を予定しています。
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