第24話 最初の声
20260720改稿
朝、2層目に降りた。
クロは、もう走っていた。木々の間を縫って、朝の森を、いつもの速さで。シロが定位置から、それを目で追っている。
「クロ、おいで」
クロが、飛んできた。足元で急停止して、尻尾を振る。
しゃがんで、目の高さを合わせた。
「クロ。進化、できるようになったんだ」
クロは、首を傾げた。
「強くなれるよ。もっと速く、なれると思う。……する?」
クロは、しばらくルナリアを見ていた。
それから、鼻先をルナリアの頬にひとつ押しつけて——身をひるがえして、走っていった。
朝の森の奥へ。答えの代わりみたいに、まっすぐ、速く。
「……そっか」
今は、走りたいらしい。
アルスも、進化を保留していた子だった。理由は、最後まで、あの子しか知らない。クロの理由も、クロしか知らない。でも、今走りたい子を、止める理由は、どこにもなかった。
「コアさん、クロの進化、保留にしておいて」
《承知しました。……クロらしい、ですね》
「うん。クロらしい」
シロが、走っていくクロを見送って、小さく、ため息みたいな息を吐いた。
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その日の侵入者は、変だった。
《侵入者:1名》
1層目の通路に入ってきた。アルスが反応し、ゴブリン小隊が構える。
アルスの視野を、開いた。
息を、のんだ。
人型だった。でも、人じゃなかった。黒いマント。青白い顔。赤い目。背中に、折りたたまれた翼。
「コアさん、あれ……」
《……吸血鬼系の、モンスターです》
今まで1層目に来た、どの侵入者とも、格が違う。視野越しに、アルスの緊張が伝わってきた。構えたゴブリン小隊が、誰も、前に出られずにいる。
「アルス、待って。様子を見て」
吸血鬼は、戦わなかった。
通路の途中で、足を止めた。身をかがめて、何かを、置いた。
それから、そのまま、引き返した。出口に向かって、振り返りもせずに、歩いていった。
《侵入者が、退場しました》
しばらく、動けなかった。心臓が、まだ速かった。
戦う気なら、うちの1層目は、たぶん、止められなかった。それだけの格だった。それが、何もせずに、帰っていった。
「……コアさん、何か、置いていった?」
《回答:通路に、残留物があります》
アルスの視野で確認する。石畳の上に、折りたたまれた、紙。
「……手紙?」
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1層目に降りて、紙を拾った。アルスが、すぐ横についた。
開いた。
《君のダンジョンは、見ていて飽きない》
《少し、羨ましかった》
それだけだった。差出人の、名前はない。
「コアさん、さっきの吸血鬼って、誰のモンスター?」
《……特定できません。ダンジョンマスター直属の、名前付きと思われますが、それ以上は、分かりません》
「強さは?」
《……分析、できませんでした。戦意が、なかったため》
紙を、もう一度、見た。
見ていて、飽きない。
増え続けるフォロー。見られていることは、知っていた。でも、それは、数字の話だった。
この紙は、違う。誰か一人が、うちを見て、羨ましいとまで書いて、わざわざ、ここまで届けに来た。
「コアさん、これ、誰だと思う?」
《……特定できません》
「そうだよね」
少し、間があって。
「……気持ち悪いな」
《……同意します》
「コアさんも同意するんだ」
《……はい》
少し、笑ってしまった。怖いのか、おかしいのか、分からない笑いだった。
紙を、折りたたんだ。捨てる気には、なれなかった。悪意の文面じゃ、ない。でも、善意とも、限らない。分からないものは、分からないまま、取っておく。謎の棚が、また一つ、増えた。
アルスが、通路の入口に立って、外を見ていた。
「大丈夫。戦いに、来たわけじゃないから」
アルスは、低く喉を鳴らした。でも、その日の巡回は、いつもより、少しだけ念入りだった。
コハクが3層目から降りてきて、足元で、鼻先で手紙をつついた。
「だめ。これは、私の」
コハクが、尻尾を振った。
管理画面を開く。今日の、やることがある。
でも、その紙は、ずっと、手の中にあった。
羨ましい、と書いた誰かは、今も、どこかで見ているんだろうか。うちの、何を。
夜、紙は、棚の引き出しにしまった。
その日から、ときどき、誰もいない入口を、見てしまうようになった。




