第25話 頁の奥
朝の見回りの報告に、一つだけ、違うものが混ざっていた。
折りたたまれた紙。入り口の内側に、置かれていたという。
開いた。
《精霊の遊庭の、ルナリアです。また、お話しできたら、嬉しいです》
それだけだった。
用件がない。理由もない。責める言葉も、心配する言葉も、ない。
……どうやって、届けた。
回線は、私が切った。転移も、繋がっていない。なのに紙が、机の上にある。半年前に私が切った名前が、私の机の上に、ある。
返事は——できる。管理画面を開いて、接続を戻せば、五分で済む。
指が、管理画面の上で、止まった。
……ミルティアに、聞いてみようか。こういう時、どうすれば——
〈相談な〉
まで打って、消した。
前より、早く止まれた。進歩と呼ぶ気には、なれなかった。
紙を、破ろうとした。
できなかった。
台帳を開いて、消していない頁に、挟んだ。
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台帳に挟んだ日から、落ち着かなかった。
隠しごとが、増えたからだ。
暗幽の廃城への返事のことも、結局、言っていない。それに、この紙。……ミルティアに言っていないことが、机の周りに、二つになった。
言えばいいだけだ。言わない理由なんて、ない。……ないのに、言っていない。
言っていない自分が、気になって、仕方なかった。
疑っているのか、と聞かれたら、違うと答えたと思う。疑いには、まだ、形がなかった。
ただ——試したくなった。
朝の《おはようございます、レイナさん》に、返さなかった。実験、と自分に言い訳をした。
半日、仕事にならなかった。納品の書式を二度書き損じて、三度目で、書くのをやめた。
夕方、文字が来た。
《お忙しいですか? お体、崩されていないといいのですが》
胸の奥が、緩んだ。
緩んだ自分に、うんざりした。
〈ごめん、立て込んでた〉
返した文字も、小さな嘘だった。
……試して、安心して、安心した自分が嫌になる。駆け引きを覚えたての子供みたいな手つきだと、自分でも分かっていた。
次は、通話で、在庫の数を一つ、わざと違えて言ってみた。魔草の束、三十七を、四十と。
三日、待った。
何も、起きなかった。四十は、どこからも返ってこなかった。
……いや。
返ってこなかったことは、何の証明にもならない。使う機会が、なかっただけかもしれない。そもそも、何が返ってきたら黒で、何なら白なのか、私は決めてもいなかった。
こんなの、検証ですらない。
……何をやってるんだ、私は。
台帳の赤い印より、こっちの方が、よっぽど恥ずかしい記録だと思った。誰にも見えない分、余計に。
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三日目の夜の通話は、いつも通りに始まった。
『西の谷の代わりの方は、どうされました?』
「保留にしてる。今は、広げない方がいいと思って」
『そうですね。無理は、よくないです』
納品の日取りを二つ決めて、それから、雑談の並びになった。
『そういえば。最近、東の方、少し物騒みたいですよ』
「物騒?」
『ええ。獣の群れが街道の近くに出たとか、質のよくない行商が回ってるとか。……ああ、それと、変な手紙の話も聞きました。知らない名前から、急に届くんですって』
——手紙。
「……来てないよ」
嘘が、先に出た。
聞かれても、いないのに。
『ふふ。ならよかった。レイナさんは真面目だから、変なものまで、真に受けてしまいそうで』
「……うん。気をつける」
通話が終わって、部屋が静かになった。
手紙のことは、誰にも言っていない。拾った配下と、私しか、知らない。
……そして、聞かれても、いなかった。
届いていませんか、とは、言われていない。噂話を、されただけだ。
なのに私は、来てないよ、と答えた。
……なんで。
考えかけて、やめた。
物騒の話なんて、どこにでも転がっている。手紙の噂なんて、その中の一つだ。偶然と呼べる大きさの話だ。
通信録の画面を、出した。
いつ、誰に、何を言ったか。調べれば、すぐ分かる。私の記録は、そういうふうに、できている。
……調べたら。
閉じた。
もう一度出して、もう一度、閉じた。
偶然の話を、わざわざ検証する人間は、いない。……そういうことに、した。
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次の夜は、通話を、自分から延ばした。
「ミルティアの方は、最近どう?」
『あら』
声が、少し、笑った。
『珍しいですね。レイナさんから聞いてくださるなんて』
「……そう?」
『ええ。嬉しいです。こちらは、変わりないですよ。少しだけ忙しいですけど……レイナさんとのお時間は、削らないって決めてるんです』
胸の奥が、緩んだ。
緩んだ奥で、「来てないよ」の一言が、小さく引っかかっていた。
引っかかったまま、それでも、緩む。
……緩んでしまう自分の方を、疑いそうになった。
「……在庫の整理、手伝ってもらった分、助かってる。この前の」
『そんな。私は、何も』
「……ううん」
何を言いたいのか、自分でも分からないまま、話を探した。天気の話。畑の育ちの話。どうでもいい話を、珍しく、私の方から。
『ふふ』
通話の終わりに、ミルティアが言った。
『今日は、たくさんお話しできて、嬉しいです。……おやすみなさい、レイナさん』
「……うん。おやすみ」
切れた通話の、静かな部屋で、息を吐いた。
埋め合わせ、という言葉が浮かんで、消した。
何の埋め合わせかは、考えないことにした。
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寝る前に、台帳を開いた。
挟んだ紙の角が、頁の間から、少しだけ覗いていた。
角を、頁の奥へ、押し込んだ。
見えなくなるまで。
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