70 祖父と孫 2
「起きたか、どこか痛かったりはしないか?」
「うん、大丈夫」
心配し聞いてくる祖父の腕の中から出て、自身の足でしっかりと立ってみせる。ふらつくことなく、気分悪そうな表情を見せることもない。
祖父はほっとした安堵の息を吐く。
「あの人に謝っておこうな。迷惑をかけたから」
祖父に促されディフェリアは素直に頷いて、シーミンへと近づく。
興奮していないので大丈夫とは思うが、また襲いかからないかと一抹の不安を抱きつつ両者を見る。
ディフェリアは土下座のようにその場に伏せて、ごめんなさいと謝る。耳はペタンと倒れ、声音も弱々しかった。
犬の獣人だし、服従を思わせる態度だ。
ただ謝るにしては大袈裟な態度に、シーミンは目を丸くしている。
祖父もそこまでするとは思っていなかったような驚きの表情だ。
「ディフェリア? 謝ったのだからこっちに戻ってきなさい」
「でも」
ちらりとシーミンを気にする様子を見せる。
「謝罪を受け入れるわ。戻っていいわよ」
「うん」
シーミンの言葉には素直に従い、祖父の隣に座る。
上下関係が叩きこまれたみたいだなと思ったことが口に出る。
「どういうことだ?」
「ただそう思っただけなんだけど、さっきの戦闘でシーミンが上だと示したことで群れの一員になったような感じ?」
「これまでこんなことは一度もなかったんだが」
「興奮状態にあるときに叩きのめしたことは?」
「そういったことはなかった。孫に攻撃というのはどうにも難しくてな。締め落としたのも今回が初めてだ」
いつもは宥めて止めていたんだな。興奮状態にあるときに力づくで止められたのは今回が初めてで、家族以外で上の存在に対処されたのも初めて。
「やっぱりリーダーとかそんな感じで刷り込まれたのかもしれない。獣人って強者やカリスマがある者を敬うことってあるのかな?」
ゲーム知識やデッサとしての知識ではそこらへんはわからない。
「それが絶対とは言わないが、その傾向はあったはずだ」
「となるとあながち外れた考えでもないかも」
シーミンを見ると戸惑ったような顔だ。いきなり下につく人ができたと言われても戸惑うわな。
「どうすればいいんだ。ただでさえ獣人に変化というわけのわからない状態なのに」
「距離をおけばどうにかならないかな。そのうち忘れるとか」
「そうだといいのだが」
「俺たちはもう帰るし、ここで別れましょう。しばらく落ち着かないかもしれませんが、そのうちなんとかなるといいなぁ」
「そうなってくれるといいんだが、念のためどこに住んでいるのか教えてもらえないか。落ち着かなければ会いに行く必要がありそうだ」
シーミンに言っていいのか視線を向ける。
「私たち一族はわかりやすいし、隠しても意味はないでしょ。住所はミストーレ」
「そうか。迷惑をかけるかもしれない。先に詫びておく」
「お互いに何事もなければいいんだけどね」
行きましょうと声をかけられ、俺は立ち上がり、荷車を引く。
離れていく俺たちをディフェリアはじっと見ていた。その視線は確実にシーミンに向けられている。
「中ダンジョンは順調に踏破できたのに、こんなことになるなんて」
「獣人って、ああまであからさまに従う態度を見せないよな?」
レミアさんや町で見かける獣人にそういったところはないはずだ。
「私も見たことはないわね」
「だったら薬が原因なのかね。獣の部分が強化されすぎているとか」
「通常の獣人とは違っているのは事実よね。まだ幼いし自制心が育っていないことも原因かも。獣人の幼児は人間の幼児よりも感情的といった話を聞いたことがある気がするわ」
「あの子は幼児って年齢じゃないぞ」
「獣人になってからまだ三年くらいだし、そういった面で見たら幼児といえないかしら」
「なるほどな、だったらもう十年くらいすれば普通の獣人と同じになるのかもな」
今は本能に振り回されている状態かもしれないのか。
森を出て、少し歩いたところで昼食をとるため足を止める。
ダンジョンから持ち出した水を使って、これまでと似たメニューで食事を作り、昼食をとる。
食器の片付けをすませて、行きに寄った村を目指す。そこで水と食料の補充をして泊まらずに野宿という予定だ。
あの村ではじろじろと見られてシーミンが落ち着かないだろうということで、野宿を選んだ。
そうして日が落ちて、夕食もすませのんびりとしていると、焚火の明かりが届かない位置に動く影が見えた。
「野犬にしては大きいかな」
「野盗の警戒をしておきましょ」
小声で話し、それぞれの武器を手に取る。
影の主はこちらに近づいてくるようで、足音も聞こえてきた。
明かりの届く範囲に入ってきた影の主は、ディフェリアたちだった。
ディフェリアはシーミンを見ると、そばによって座る。
シーミンは困惑した様子で、ディフェリアはじっとシーミンを見ている。その表情に嫌悪感はない。
「こんばんは。奇遇ですねと言えばいいんですかね」
「警戒させたようですまん。あのあと少ししてこの子が落ち着かなくなってな。我慢させようとしたのだが、どうにも落ち着かず、君たちが去った方向を寂しげに見ていたんだ」
「それで追いかけてきたと」
「ああ、すまないが少しの間、一緒に行動していいだろうか。もしかすると数日一緒にいたら気が済むかもしれない」
数日くらいなら問題ないと思うけど、いや馬車に乗れないんじゃないだろうか。
シーミンがどう言うかだな。今回はシーミンがメインの出来事だし。
「シーミンはどう思う?」
「ええと」
困った表情のままディフェリアを見たり、こっちを見たりしている。
考えがまとまらない様子だ。とりあえず馬車について聞いてみよう。
「一緒に行動するとしたら、馬車に乗れないんじゃないか? あれって四人は無理だったろ」
「無理をすれば乗れないことはないはず。御者台に一人、荷台に一人といった感じ。でも費用は自腹で払ってもらう必要があるわ。ほかに馬にかかる負担も増えるから、休憩の回数が増えると思う」
「もし一緒に行動するなら帰りが少し遅れるくらいで問題はなさそうだな」
行き先はミストーレだけど問題ないんだろうかと祖父に聞こうとして名前を聞いてないことに気付く。
「あー、お名前を聞いてもいいですか? 俺はデッサ、あっちはシーミン」
「わしはローガスだ」
「ローガスさん、俺たちは昼に言ったようにミストーレに帰るんですよ。数日一緒ならミストーレまで同行ということになるんですが大丈夫なんです? 人目を避けているという話でしたよね」
「ここからだとミストーレまで馬車でだいたい四日くらいだろう? それならミストーレに入る前に離脱できるのではと考えているが」
「ミストーレまでなら大丈夫かしら……うん、そこまで一緒に行動ということしましょう」
そこまでならと納得できたようでシーミンは受け入れた。
ローガスさんはありがとうと頭を下げる。
ディフェリアは一緒にいられるということで笑顔になった。その笑顔にシーミンはまた戸惑いの表情になった。
俺と初めて会ったときもこんな感じだったな。
「なに?」
俺が少し笑ったのに気づいて、シーミンが眉をひそめる。
「最初に会ったときもそんな感じだったなと思い出したんだよ」
「ああ、そういえばそうだったわね。思いもしない反応を見せられて戸惑ったっけ」
「懐かしいと思ったけど、そんなに時間はたってないんだよな」
「あなたが色々と経験しすぎなのよ。普通の冒険者はもっと落ち着いた日々を送るみたいよ」
伝聞系なのは、冒険者たちの会話を聞いて判断したからなのだろう。
「君たちは親しいようだが、付き合いに問題というか戸惑いなどはないのかね」
「デッサは私たちの雰囲気を感じないらしいわ」
本当なのかとローガスさんに視線を向けられる。
「感じませんね。ほんの少しくらいは感じているのかもしれないけど、気になりません。最初に命を助けられたことで感謝の思いを抱いたからでしょうかね。ローガスさんは感じていますか」
「ああ、申し訳ないがこの場を離れたいという感情がどうしても湧いてくる」
「それが普通なのよ。デッサやディフェリアのように近くにいようとする方が珍しい」
ディフェリアも最初攻撃してきたように死の気配を感じていないわけじゃないけど、それを叩き込まれた上下関係が上回ったんだろうな。
もし薬の効果が消えたら、この関係もなくなるんだろうか。
ミストーレは大きな町だし、民間の腕のいい医者とかいそうだし効果を消すことは可能かもな。
「ミストーレまで行くんですし、ついでに腕のいい薬師を探してみてはどうです?」
「うーん、それもありかもしれないが。あれらに見つかる可能性がな」
「人が多いところだから、そう簡単にディフェリアを見つけ出せないと思うけれど」
木を隠すなら森の中といった感じで、多くの人の中からディフェリアを見つけ出すのは難しそうだよな。
「ミストーレにつくまでにどうするか考えてみるよ。薬の効果を打ち消せればそれが一番だろうし」
ゲームにはバフやデバフ解除の魔法はあったんだよな。それが少しは効果を出さないかな。あ、でも一時的な効果を解除するんであって、永続効果の魔法に効くかわからないか。そういった描写はなかった。
三人での会話が続いていく。ディフェリアは参加せずにシーミンの隣で静かにしていた。
不満そうな表情はなく、近くにいられるだけで満足そうだった。そのうち眠くなったのかうつらうつらとして、ローガスさんに抱えられて眠る。
俺たちも寝ることにして横になる。
翌朝、朝食を食べて身支度を整えて、馬車の待つ村を目指す。
ディフェリアはシーミンの隣を歩く。周囲へと視線を向けて歩く様子からは、身辺警護をしているようにも見えた。この状態が続けば、そのうち身の回りの世話も始めるかもなー。
事情を知らない人から見れば、あちこちに興味があるといった感じに見えるのかもしれない。
「対等じゃなくて下っていうスタンスを崩さないですね」
「よほどあの戦闘が心に残ったのだろうな」
どうしたものかとローガスさんは困り顔だ。
シーミンもこのような扱いは初めてのようで、昨日のように戸惑い気味だ。
村に到着するまでディフェリアはシーミンの周りをうろちょろとしていて、シーミンは好きにさせていた。
日が傾き始めて、村に到着する。
行きに馬車を預けたところに行って、御者さんを呼んでもらう。
やってきた御者さんに、人が増えたことを説明すると了承したと頷きが返ってくる。
御者さんは地面に文字を書いて、明日の昼頃に出発ということと移動費をローガスさんたちからもらうことを伝えてくる。
ローガスさんはいくら必要なのか聞いて、その金額を御者さんに渡す。
御者さんと別れて、俺たちは宿を取る。
部屋は二人部屋を二つ。ディフェリアが寝るときも一緒にいることを望むかと思ったが、特に主張することはなかったので二部屋をとる。
部屋に入り、荷物を置きながらわくわくする思いが湧いてくる。
「ようやくしっかりとした料理が食べられるな」
「ええ、自分たちで作るのも不味いわけじゃなかったけど、味気無さはあったし楽しみというのはわかるわ」
がっつりとしたものを食べたくて、部屋を取るときに肉を中心にしてくれと頼んでお金を多めに払っているので本当に楽しみだ。
洗う服などを出していると、扉がノックされる。
「俺が出るよ」
「お願い」
荷物をごそごそと扱っているシーミンに声をかけて、扉を開く。
そこにはローガスさんたちがいた。
「魔晶の欠片を売りに行ってくるから声をかけさせてもらった」
「わかりました。俺たちは洗濯していると思います」
「わしらもあとで洗わないとな」
行ってくると言い、ローガスさんたちは廊下を歩いていく。
すぐに俺たちも洗濯物を持って、宿の裏に向かい、服や下着を洗う。ざぶざぶと洗い、絞った服を部屋の中に干す。
そうしていると隣の部屋から物音が聞こえてくる。ローガスさんたちが戻ってきたのだろう。
さらに時間がたつと、料理が届く。
厚めに切られたステーキと付け合わせ、それにスープとパンだ。
ステーキは鹿肉だそうだ。漂ってくる匂いがすでに美味い。
「さあ食おう」
「そうね」
俺は隠しきれない笑みを浮かべているだろう。そしてシーミンも似たような表情だ。
さっそく肉を切り、口に運ぶ。噛むと当たり前ながら柔らかい。ここ数日口にしていた燻製肉とは全く違う口触りに感動すらしそうだ。
少し臭みがあるけど、食べるペースが遅くなることはなかった。
残ったソースをパンでぬぐい口に入れて満足した食事を終える。
「狩りをして肉の処理ができれば、野宿中でもやわらかい肉が食べられたんだよな。ギルドで教えてくれる人を紹介してもらおうかな」
「使う機会あるの? またしばらく大ダンジョン通いでしょ?」
「ああ、そっか。また中ダンジョンに行くのはさすがに当分先だろうし、しばらくは無用の技術になっちゃうな」
機会を見て学ぶってことにしようか。
感想ありがとうございます




