失楽園忘却
遥かな昔。
楽園が未だ地上に存在した時。
楽園で暮らしていた人の始祖は、神との約束を違えて禁断の果実を食み、知恵と欲望を知り。
欲望の穢れで、神が汚れることを恐れた天使達によって、人の始祖は、楽園から追放された。
世に云う、失楽園である。
楽園を追い出された人の始祖は、約束を違えた後悔に嘆き、楽園での暮らしを失った悲しみに暮れた。
しかし、得てしまった欲望に駆られて生き続けることになる。
食欲に駆られて、食べ物を探し。
睡眠欲に駆られて、眠り。
性欲に駆られて、子を成し。
人の始祖は、その知恵と欲望によって子孫達を増やし、急激に増えていった。
失楽園から時は過ぎ。
人の始祖の子供達が大地を覆い尽くした頃。
一人の幼子が父親に問い掛けた。
「何故、人は生きるの?」
「それは、命あるために」
「何故、人の命はあるの?」
「それは、神が与え賜うたために」
「何故、人は創られたの?」
「それは、大地の主とするために」
「何故、人は楽園に住んでいないの?」
「それは、追放されたがために」
「何故、人は追い出されたの?」
「……それは、誰も知らない。
永い時の中で忘れ去られ、誰も覚えていない」
「何故、楽園に戻らないの?」
「……楽園に、戻る?」
「楽園に戻ってはいけないの?」
「……坊やは、面白いことを考えるのだね」
「楽園が、僕達の故郷なのでしょう?」
「……そうだね、我々人の真の故郷は楽園だ」
問いを投げ掛けた子はその当時地上で一番大きな国の小さな末王子であり。
問いを投げ掛けられた父親はその国を統べる偉大な王だった。
人は忘れ去っていた。
失楽園の、その理由を。
幼い王子のただ純粋な疑問は、意図せず、王の心の引き金をひき、人の心に撃鉄を落とし、楽園へ向け凶弾を放つ。
ただ、ただ、楽園の豊穣と恩恵を求めて。
その記録を残すことすら叶わぬほどの悲惨な戦争が幕を開ける。
当時の人はこう称した。
楽園大戦、と。
世暦六六七〇年。
楽園に向けて、人軍は進軍を開始した。
戦場は、原初の平原。
楽園を追放された人の始祖が、最初に住んだ始まりの荒野。
楽園はその奥に在った。
年明けの夜明けと共に、戦闘は始まった。
人は巨大な波となって楽園へと押し寄せた。
しかし。
その戦闘は、一方的だった。
楽園を守るのは、翼を持って空を駆け、様々な法術を操る天使達。
その術は熾烈にして苛烈であり強大無比。
炎は壁となって人を寄せ付けず。
近寄ろうものなら氷の矢が鎧を貫き。
矢を放てば風で弾かれ自軍を逆襲し。
大地は割れ進軍する人を飲み込み。
それでも進む者には雷が雨霰の如く降り注ぐ。
恐るべき術数を掻い潜り、楽園に近寄れたとしても、最後には、たった一翼の天使の刃によって、血の雨が降る。
王の率いた人軍は、天使達の徹底的な応戦によって多大な死傷者を出し。
呆気無く簡単に、一ヶ月も経たず、終戦を迎えた。
この戦闘が、第一次楽園大戦である。
そして。
世歴六七〇〇年。
物語は、かの末王子の戴冠と出兵から始まる。
第一次楽園大戦から三十年経ったこの年。
第二次楽園大戦は、静かにその幕を開けた。




