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私この度、愛した人の弟と結婚することになりました。  作者: 朝霧いお


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私この度、愛する人と結婚しました。

 香月が全ての処理を終え一條家に帰ってきたのは、伊織がたったあとだった。

 ランプのあかりだけが灯る部屋で、瑠璃は香月の訪れを待っていた。


 未遂も含めると、瑠璃にとっては三度目の『初夜』である。

 部屋に戻ると瑠璃の姿を見つけた香月は、今回は瑠璃を置いて、部屋を出ようとはしなかった。


「沙良から、聞きました。貴方が兄上を好きだったのは、貴方の母君の形見の件があったからだと」


 瑠璃が座る冷たい褥に、香月はそっと腰を下ろした。


「ずっと、貴方を見ていました」


 香月と瑠璃の視線は合わない。

 ただ香月のその言葉を聞いたときに、瑠璃の心臓は大きく跳ねた。


「でも私は、兄を兄として敬っていたかった。昔から、私の家は少し特殊で、家の中では確かに誰もが仲がいいはずなのに、外に出ると周囲の目は違って。私は、確かに愛されているはずなのに、いつも自分の居場所がないようにも感じていた」


 香月の言葉を、瑠璃は静かに聞いていた。


「兄との婚約が決まったとき、私は貴方を一目見て、可愛らしい方だと思いました。ただ、貴方は兄の許婚となる方でしたので、私は貴方に話しかけることはしませんでした。……兄は昔から先見の明のある人で、新しい世界をみている人だった。兄が与える知識を興味深く聞いている幼い貴方は可愛らしくて、私はよく、それを隠れて見ていました」


 瑠璃は宮子のせいでずっと「外の世界」に出られなかったが、伊織はいつも、瑠璃に新しいことを教えてくれた。


「貴方は、兄の話に笑っていた。でも私には何故か、それが心からの笑顔には見えない瞬間があって。可愛いなとは思いながらも、どこに心があるか分からないとも感じていました」


 瑠璃は確かに、伊織に対して昔はよく作り笑いをしていた。


「そんな、ある日のことでした。貴方が泣きながら、母の形見を必死に探していると知ったとき。私は初めて、貴方の本当の姿を見た気がしました」


 大雪の日に、瑠璃は泣きながら母の髪飾りを探した。

 でも、自分では見つけられなかった。


「貴方が本当に心から笑えない理由を、私はその時初めて知った。結局泣きながら屋敷に変える貴方の姿を見たときに、私は必ず、自分が見つけなくてはいけないと思った。……そうしなければ、貴方がこの世界から消えてしまうような気がしていた。『使命感』、とでも言うのでしょうか。私はただ、あの日はとにかく無我夢中でした」


 香月の予想は正しくて、瑠璃は否定はしなかった。


「冷たい雪の中、一晩中それを探して、やっと見つけた時に――私は貴方にこれを届けたら、もしかしたら今度こそ、本当に心から笑ってくれるだろうと思った時に、私は改めて、兄の許婚である貴方に、強く惹かれている自分に気が付きました」


 香月は穏やかな声で言ったあとに、すぐに自分の胸を押さえた。


「でもこの思いは、一生告げることなど許されない」


 その言葉は、真面目な香月らしい言葉だった。


「……それでも、いいと思っていた。貴方が笑っていてくれるなら、貴方が幸せでいてさえくれるなら。貴方が兄の妻となっても私は、一生貴方だけを想い続けようと思いました。兄を支えることが、貴方を守ることになるなら――そうすれば、この家で荒波も立たずにうまくまわるなら。これが、私の正しい選択なのだと思って……」


 でもそれが本当に正しかったのか、今でも香月は、決めきれていないようだった。


「今思えば、兄上はずっと、私の想いに気づいていたのかもしれません。その上で、兄が私の行いを自らの行いだとしたことは、兄の性格と立場を思えば――私には、理解できます。きっとそれは、確かにこの家にとっての『最善』だった」


 何故なら一條家がこれからも『箱庭』であり続けるためには、当主となるべきは伊織だったのだから。 

 そこに、瑠璃への『嘘』があっても。


「貴方が、兄の許婚であったことは理解しています」


 香月は瑠璃の手を取った。でも、その手は震えていた。


「それでも、私は……私は。貴方をずっと、愛しています」


 瑠璃へ愛を告げることが罪のように、祝福と同時に断罪を望むような顔をした香月の額に、瑠璃はそっと、優しく口付けを落とした。


「香月様」


 香月は目を瞬かせた。視線が合う。

 今度は、瑠璃が話をする番だ。


「私は、母を失ってから、自分は愛される価値がない人間なのだと思っていました。でも大雪の日に、早朝届けられたという髪飾りを見たときに、私はこの世界にはまだ、私のことを愛してくださる方が居たのだと思いました」


 瑠璃は、それを伊織だとこれまで思っていた。


「あの日の出来事があったから、私は、どんなことだって耐えられた。生きていられた。もし、香月様が届けてくださっていなければ、私は母から救われた命を、自ら失っていたかもしれない」


 それは、瑠璃を愛した母への裏切りだ。


「この屋敷に来てからも、ずっと。香月様は、いつだって私の心を守ろうとしてくださった。……伊織様のことを忘れられなかった私の心に、貴方はずっと、寄り添おうとしてくださった。伊織様のことが全て誤解だったとしても、私はそんな貴方に、ずっと救われてきました」


 一條伊織は生きている。

 もうここにはいないけれど――今も、彼は家族を愛している。


「香月様」


 瑠璃は、香月に微笑んだ。


「私は、貴方の心の居場所になりたい。だからこれからも香月様が、私の心の居場所になってくださいますか?」


 香月が自分の欠落も愛してくれたなら、瑠璃は今は、香月の欠落ごと抱きしめて、愛したいと強く思った。


 指が絡む。

 香月は、瑠璃の手の甲に口づけた。

 それはまるで、異国の姫に忠誠を誓う騎士でもあるかのように。


「この、一生をかけて。――私が、貴方を守ることを誓います」


 香月の指には、今はあの銀の指輪が嵌っていた。

 香月はそう言うと、瑠璃の髪を留めていた簪を引き抜いた。瑠璃の長い髪がはらりと広がる。驚きに目を瞬かせた瑠璃を、香月はそっと褥に倒した。


 視線と視線が交差する。

 愛の言葉を口にしながら、瑠璃を見下ろす香月の瞳は、まだ少し不安げに揺れているように瑠璃には見えた。

 瑠璃は今、香月が何を考えているのか、全てわかるような気がした。


 長いすれ違いがあった。

 想い合うことが、痛みを生むことも今の瑠璃は知っている。これから先自分たちは、またすれ違うことはあるかもしれない。でもその痛みの全てを、瑠璃は香月と共に抱えていくことを望んだ。

 

 初めての夜、瑠璃は香月を拒絶した。

 だが、今夜は違う。

 瑠璃は香月に手を伸ばすと、その左頬に触れて微笑んだ。

 まだ不安そうにしていた香月は、その腕を弱い力で掴むと、目を瞑って甘えるように一度頬ずりした。

 そしてそのまま手を滑らせて彼女の手のひらに軽く唇で触れると、最後は指を通して強く握って、瑠璃の手を褥に縫い付けた。

 香月の顔が近づくのがわかって、瑠璃は微笑んだまま、ゆっくりと瞳を閉じた。


「愛しています」


 そうして香月は瑠璃の唇に、優しく口付けを落とした。

 


 翌朝、香月より先に目を覚ました瑠璃は、「朝だなあ」と思ったあとに、それからすぐに目を覚ました夫に微笑んだ。


「おはようございます。香月様」


 香月は、髪が解けたままの瑠璃を見て、少しの沈黙のあとに、とても小さな声で挨拶を返した。


「お、おはようございます……」


 瑠璃は、そんな香月を前に少し悲しむふりをしてみた。


「香月様は……今朝は、随分他人行儀なのですね」

「そ、それは……っ!」


 瑠璃の言葉に、香月は顔を真っ赤に染めた。瑠璃は、そんな香月の反応を可愛らしく思ってしまった。

 真面目で一途な年下の夫は、存外からかったら初心うぶな反応をしてくれるひとらしい。


「瑠璃おねーさま!」


 その時、『初夜』を終えた翌朝の二人の部屋に、元気よく沙良が入ってきた。

 沙良は、香月を見て言った。


「あ。香月お兄様もまだいらっしゃったのね」

「こらこら沙良、勝手に人の部屋を空けてはいけないよ。……なるほど。今朝は珍しく朝からの訓練に出ていないと思ったら、奥方を優先したわけか?」

「父上……っ!」


 香月は、思わぬ人物の登場に慌てた。


「あらあら。仲良しさんねえ。これなら孫を見れるのも早いかしら?」

「そうだな。それなら、伊織の子とも年も近いかもしれない」

「瑠璃お姉様と香月お兄様のお子なら、沙良は沢山可愛がります!」

 

 くすくすと美月が笑う。宗次郎はなぜか腕組みして頷いて、沙良はやる気満々だ。

 今日も自由すぎる家族に対し、香月は珍しく声を荒げた。


「出てってください! 今すぐここから!! 全員!!!」


 ぜーぜーぜー。

 「家族」が退場した後。

 珍しく大きな声を出したせいで少し疲れた香月の頬に、瑠璃はそっと口付けた。


「そう声を上げないでください。香月様」

「いや、あ……あの、瑠璃さん。お願いですから、朝からあまりそう可愛いことはなさらないでください……」

「いけませんでしたか?」

「いけなくは……ない……ですが…………」


 香月は言葉に困っていた。

 そんな香月が愛おしくて、瑠璃はまた幸せな気持ちになった。


「香月様。どうかこれからは、私にお支度を手伝わせてください」

「いえ、私はあまり瑠璃さんのお手間になるようなことは――」

「私が、香月様に服を着せて差し上げたかったのですが……やはり、ご迷惑ですよね」

「瑠璃さんが選んだものを毎日着ます!」


 押して駄目なら引いてみろ作戦。

 瑠璃は、香月がこの手に弱いことを学んだ。

 

「では、今日からお世話させてください。勿論香月様も、私の着る服をこれからは選んでくださいますよね?」

「は、はい……」

「今度、香月様が私に贈ってくださったお着物が届くそうです。その時は、一番最初に見てくださいね」

「…………」


 にこにこと笑顔で瑠璃に話しかけられて、子どものころから一途に思っていた香月は、そろそろもう限界だった。


「申し訳ありません……! お願いですから、これ以上私をからかうのはやめてくださいっ!」


 どうやらからかっていたのはバレていたらしい。

 瑠璃は、「はい」と答えてまた微笑んだ。



「――行ってきます」


 瑠璃が支度を手伝い隊服に着替えた香月は、一條家全員に見送られながら仕事に向かうことになった。


「瑠璃さん」

 

 香月は何を思ったか、門から一歩足を踏み出そうとして――瑠璃のもとに戻って彼女に口付けた。


「まあ! 香月ったら!」

「香月お兄様が、瑠璃お姉様に口付けを!」

「はは。あれもずいぶん大胆になったなあ」

「香月くんは、本当に瑠璃ちゃんが好きなのねぇ」

「……」


 一條宗次郎とその三人妻、そして娘は、真面目が取り柄のような堅物な次男の行動に驚いた。

 まさか人前で口付けられるとは思わず、一人残された瑠璃は赤面した。


「瑠璃さん」


 すると、唯一黙ってその光景を見ていた詩織が瑠璃の肩を掴んだ。


「これから困ったことがあれば、何でも言いなさい」

「詩織様……?」

「やはりあの人の血だわ……こういうところは似なくてもいいのに。あと、私のことはちゃんと、『おかあさま』と呼びなさい」


 もしかしたら同じことを、詩織は宗次郎にされたのかもしれない。全く似ていないと思っていた宗次郎と香月だったが、意外と似ているところがあるらしいと、瑠璃は詩織の言葉を聞いて思った。


(愛情表現をするのが……似ている……?)


「わかりました。詩織お義母様」

「そう。それでいいのよ」


 普段どこか冷たい印象の詩織だが、彼女は笑うと聖母のように美しかった。

 瑠璃が見惚れて頬を染めていると、何故か沙良と美月が二人の間に割って入ってきた。


「詩織お母様! 抜け駆けはダメです!」

「そうですよ。瑠璃ちゃんは、みんなのお嫁さんなんですから! みんなで愛でなくては!」


(それは少し違うような……?)


 瑠璃はそう思ったが、まともな仲間は詩織一人だけだったようである。


「……美月さん、貴方、一体何を言っているの」

「みんなで大事にしてあげるからね。よしよし、可愛い可愛い……」

 

 瑠璃は双葉に抱きしめられて、子供にするように頭を撫でられた。


「お母様、ずるい! 私も瑠璃お姉様をぎゅってしたい!」


 その光景を見て、ぎゃあぎゃあと沙良が叫ぶ。詩織は、その光景を見て頭を抑えていた。


「はあ。本当に、この屋敷はいつも騒がしくて困ってしまうわ……」

「はは。でも、賑やかでいいじゃないか。笑い声が聞こえる家は、君も嫌いじゃないだろう?」

「……」


 宗次郎に微笑まれて、詩織は無言で視線をそらした。

 騒がしくしては詩織に嫌われると瑠璃は思っていたが、静かな人というだけで、詩織は案外、この家族のことを嫌ってはいないらしい。


(もしかして、詩織お母様の言葉は全部、中にはいれないけれど気になっていたお気持ち故の言葉だったりするのかしら……?)


 瑠璃はそう思うと、詩織の行動が全て理解できるような気がした。

 一條詩織という人は、完全無欠の美人に見えるようで、その実不器用で可愛らしい一面があるらしい。

 そして宗次郎は、そんな彼女の事も含めて深く愛しているのだろう。


(でも私は、香月様が私以外の女性に優しくするのは、きっと耐えられないわ)


 香月が自分以外の誰かに愛を捧げることは、瑠璃は受け入れられないとは思ったが、どうやらこの世界の「家族」には、色んな形があるらしかった。

 

(一人きりしか愛せないところは、お父様に似たのかしら)


 伊織が死んだと父に告げられた日、まるでこの世の終わりでもあるかのような豪雨で、雷鳴が轟いていた。


 でも今、初夏を迎えようという空は、心が晴れるような青ばかりが広がっている。

 瑠璃は空を見あげて、母と過ごした日々を思い出した。


 大変なことは、悲しいことは沢山あった。それでも不思議と、瑠璃の記憶にある母は、いつも楽しそうに笑っていた。

 今、瑠璃の頭の上に広がる青空のように――母と過ごした日々が、俯く瑠璃に前を向かせてくれた。だからこそ、母の唯一の形見だと思っていた髪飾りを無くすことが、どうしても瑠璃には耐えられなかった。

 だから大雪の日、それを見つけて届けてくれたという人に、瑠璃は強く思いを寄せた。


(その相手は、本当は伊織様ではなかった――)


 母を失ってから、瑠璃がこれまで生きてこられた理由――ずっと瑠璃の心を守ってくれていた人の名を、今の瑠璃は知っている。


 一條香月というひとは、瑠璃の一つ年下で、真面目でどこか不器用で、でも誰より一途で優しい人だ。そして彼はこの国で一番強いけれど、瑠璃のためなら、彼はもしかしたら世界で一番弱くなるかもしれないとも思った。


(だから、私も強くなろう。強くあろう)


 香月とこれから一生、支え合って生きていけるように。

 瑠璃の髪には、母の髪飾りと香月に贈られた簪が光を浴びて輝いていた。


(天国のお母様。貴方に生命を救われた私は今、優しい人たちに囲まれて、幸せに暮らしています。だからどうか、安らかにお眠りください)

 

 どこまでも続くような美しい青天は、今の瑠璃には、まるで自分に微笑んでいるように見えた。


(最後にお母様に、ご報告したいことがございます)


 瑠璃は、そんな空に向かって笑った。


(――私この度、愛する人と結婚しました)



最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。面白いと思っていただけましたら、ブクマや評価等いただけますと今後の創作の励みになります。

現在香月視点のお話を執筆中なので今週中に投稿予定です。

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