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衛兵リナの門番日記 ~今日も王都の門はだいたい平和です~  作者: 岡悠


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第1話 新人衛兵と怪しい荷物

 朝の王都南門は、一日のうちでも特に慌ただしい。


 東の空から昇ったばかりの朝日が高い城壁の上端を照らし始めるころには、南へ延びる街道にはすでに長い列ができており、近郊の村から野菜や果物を運んできた農夫の荷車に、旅装を整えた旅人、荷台いっぱいに商品を積んだ商人の馬車が混じり合って、ゆっくりと王都へ向かって進んでいた。石畳を踏む馬の蹄と車輪の音、その間を縫うように交わされる人々の話し声や御者の掛け声が絶えず門の内側へ流れ込み、朝の冷たさがまだ少し残る空気にも、荷馬車から漂う干し草や土、家畜の匂いが混ざっている。


 そのすべてを正面から受け止めるように、リナ・フェルドは南門の脇に立っていた。


 王都衛兵になって、今日で七日目になる。

 革鎧を身につける手順にはようやく慣れ、腰の短剣が歩くたびに太腿へ当たる感触も気にならなくなってきたし、自分の背丈より長い使い慣れた長棒を手にして門前へ立つことにも、初日のような落ち着かなさは感じなくなってきた。それでも、目の前を通る者の身元を確認し、荷物を検め、ときには王都へ入れてよいか自分で判断しなければならないという責任だけは、制服と一緒に簡単に身体へ馴染んではくれない。

 だからこそリナは、今日も背筋を伸ばしていた。


「次」


 隣から聞こえてきた気の抜けた声に、リナは考え事から引き戻され、長棒を握っていた右手へわずかに力を込めた。


 声の主であるカイル・ローデンは、リナよりずっと長く衛兵を務めている先輩でありながら、門柱へ肩を預け、今にも眠りそうな目で街道を眺めている。その姿には朝の南門を守っているという緊張感がほとんど感じられず、七日間一緒に勤務していても、真面目なリナにはどうしても納得できないものがあった。


「カイルさん」


「ん?」


「さっきから、ずっと門柱に寄りかかっていますよね」


「そうだな」


「勤務中ですよ」


「知ってる」


「だったら、もう少しちゃんと立ってください」


 リナが自分の姿勢を見せつけるように背筋を伸ばすと、カイルは門柱から身体を離すどころか、むしろ肩を預ける位置を少し調整して楽な姿勢を取り直した。


「俺が寄りかかってるんじゃない。門柱が俺を支えてるんだ」


「同じじゃないですか」


「違う。気持ちの問題だ」


「衛兵の勤務姿勢としての問題です」


「新人は真面目だなあ」


 呆れたように息を吐いたリナを見ても、カイルは気にした様子もなく欠伸を噛み殺している。初日なら班長へ報告するべきなのではないかと本気で悩んだところだが、一週間も一緒にいれば、これがこの男の通常運転なのだということくらいは分かってきた。


 それでも、カイルが仕事をしていないわけではない。

 ぼんやりしているように見えて、怪しい人物が近づけばリナより先に気づき、荷馬車の積み方が不自然なら何も言われなくても視線を向ける。元冒険者だったという話も聞いているが、本人が昔のことをほとんど話したがらないため、リナにはまだ分からないことの多い先輩だった。


「ほら。お前の番だぞ」


「分かっています」


 返事をしながらリナが街道へ顔を戻すと、次の入都者が列の先頭から南門へ近づいてくるところだった。


 やってきたのは、一人のゴブリンだった。


 緑がかった肌に横へ尖った大きな耳、丸みのある鼻を持つ小柄な男で、日に焼けて色の褪せた革帽子を被り、使い込まれた服の袖を肘まで捲り上げている。二足で歩き、言葉を話し、王国の法に従って暮らすゴブリンなら、ファリナ王国では人間と同じように王都へ出入りできるため、それ自体は何も珍しくない。


 問題は、その後ろだった。


「……なんですか、あれ」


 ゴブリンは、自分の身体より遥かに大きな荷車を引いていた。

 大小さまざまな木箱や樽、麻袋、壺、籠が荷台から溢れそうなほど積み上げられ、その上には鍋や毛布、束ねた木材まで縄で括り付けられている。荷物の隙間から斧らしき柄や金属棒、用途の分からない農具まで飛び出しており、荷車というより家一軒の中身を丸ごと運んできたような有様だった。


 しかも、明らかに積み過ぎている。

 小柄なゴブリンが身体を前へ傾けて取っ手を引くたび、車輪がぎしぎしと悲鳴を上げ、石畳の継ぎ目を越えるたびに荷物の山が左右へ揺れる。そのたびにリナの目も荷物を追い、いつ崩れるかと長棒を握る手に自然と力が入った。


 右側の車輪が石の角へ乗り上げ、荷車が傾いて最上段の木箱が滑ってきた。


「危ない!」


 リナが咄嗟に一歩踏み出したものの、木箱は下の麻袋へ引っ掛かり、その麻袋を固定していた縄が支えとなって、荷物の山はゆらりと元へ戻った。


 崩れない。


 どういう技術なのだろう。


 リナが半ば呆然と見上げている横で、カイルが片手を上げた。


「よう、ボルグ」


「おう、カイル。朝から相変わらず暇そうだな」


「忙しいぞ。門柱を支えてる」


「そりゃ大変だ」


「ちょっと待ってください」


 リナが二人の間へ割って入った。


「知り合いなんですか?」


「毎月来る」


「毎月来てるぞ」


「……毎月、これで?」


「毎月これだな」


「毎月これだ」


 また同時だった。


 嫌な予感がした。


 ボルグ・ハッサと名乗ったゴブリンは荷車を止めると、汗を袖で拭いながら満足そうに荷物を振り返った。


「今日は少ないほうだ」


 リナは荷物の頂上まで見上げてから、ゆっくり顔を戻した。


「これで?」


「これでだ」


 カイルを見ると目を逸らされた。


 助ける気はないらしい。


 リナは小さく息を吐き、腰の革袋から検査用の帳面と鉛筆を取り出した。常連だろうとゴブリンだろうと、確認するべきことは同じであり、ここでカイルに任せていてはいつまで経っても一人前にはなれない。


 名前、入都目的、滞在予定、宿泊先。


 順番に質問すると、ボルグはぶっきらぼうながら素直に答え、書類にも問題はなかった。


「では、荷物について確認します」


 リナは積み上げられた荷物へ視線を移した。


「危険物、禁制品、武器、毒物、魔法道具などはありますか?」


「あるぞ」


 鉛筆が止まった。


 リナは帳面へ目を落としたまま、今の答えを頭の中でもう一度確認した。

ある。

 

「……あるんですか?」


「ある」


「具体的には?」


「包丁」


 リナの表情が引き締まった。


「用途は?」


「料理」


 横から、カイルの声がした。


「当たり前だな」


リナはゆっくり顔を向けた。


「カイルさん」


「なんだ?」


「今、私が確認してるんです」


「確認した結果、当たり前だったな」


「まだ一個目です!」


 リナは帳面へ「包丁・調理用」と書き込み、気を取り直してボルグへ向き直った。


「ほかには?」


「斧」


「用途は?」


「薪割り」


「正しい使い方だ」


……また聞こえた。


「……カイルさん」


「なんだ?」


「いちいち感想を入れなくていいです」


「暇なんだ」


「仕事してください!」


「してる。後輩の監督」


「今初めて聞きました!」


 ボルグは二人のやり取りを眺めながら首を傾げていたが、特に気にした様子もない。


「ほかには?」


「鉈」


「用途は?」


「枝払い」


「健全だな」


「カイルさん!」


「枝を払うための鉈だからな」


「分かってます!」


リナは少し強めに鉛筆を走らせる。


「ほかには?」


「鎌」


「用途は?」


「草刈り」


「模範的だ」


「もう黙っててください!」


 とうとうリナが振り向くと、カイルは門柱へ肩を預けたまま、どうして怒られているのか分からないとでも言いたげな顔をしている。


「俺はお前の検査結果を肯定してるだけだぞ」


「絶対楽しんでますよね!?」


「まさか」


 ……信用できない。


 リナがじろりと睨んでからボルグへ向き直ると、当のボルグまで少し面白そうに口元を緩め始めていた。


「……武器として使用する予定は?」


ボルグは腕を組み、少しだけ考えた。


「盗賊に襲われたら使うかもしれん」


「そこは使うんですね!?」


「襲われてるからな」


「もっともだ」


「カイルさんはどっちの味方なんですか!?」


「法の味方」


「そういう格好いい答えを今使わないでください!」


カイルは小さく肩を竦めただけだった。


 リナは額へ手を当てたい衝動を堪えながら、次の項目へ進んだ。


「では……毒物は?」


「ある」


リナの表情が再び強張る。


「あるんですか!?」


「鼠取り用だ」


「鼠には効くだろうな」


「それは分かってます!」


「じゃあ問題ない」


「まだ確認してません!」


「真面目だな」


「衛兵ですから!」


「そうだったな」


「カイルさんも衛兵ですよ!!」


 近くにいた旅人が吹き出した。


 頬へ熱が集まるのを感じながらも、リナは仕事を続ける。


「容器を確認します。見せてください」


「おう」


 ボルグは荷車の横へ回ると、木箱を一つ下ろし、その下の麻袋を引き抜き、鍋を三つ外して壺までずらした。あれだけ堂々と「ある」と答えたのだからすぐ出てくるものだと思っていたリナは、次第に嫌な予感を覚えながら、その作業を見守る。


「この辺だったんだが……」


「場所、分からないんですか?」


「だいたいは分かる」


「だいたいで毒物を管理しないでください!」


「鼠取りだぞ?」


「毒物です!」


やがてボルグが何かを掴んだ。


「あった」


引っ張り出した。


魚の燻製だった。


「違った」


「何を探してるんですか!?」


「鼠取り」


「それは魚です!」


「見れば分かる」


「だったら出さないでください!」


カイルが横から覗き込む。


「いい色に燻されてるな」


「今そこを見るところじゃないでしょう!」


「旨そうだぞ」


「カイルさん!!」


「一つ買うか?」


ボルグが聞く。


「あとでな」


「商売始めないでください!!」


リナの声が南門へ響いた。


 ようやく見つかった鼠取りの小瓶はきちんと密閉され、表には大きな鼠の絵まで描かれていたため、規則上の問題はなかった。


……疲れる。


 まだ検査の途中なのに、妙に疲れる。


 リナは一度ゆっくり息を吐き、帳面の次の項目へ鉛筆を移した。


「では、爆発物はありますか?」


「ある」


 今度は顔を上げなかった。


「……種類は?」


「酒」


 顔を上げた。


「酒?」


「炭酸が強いやつだ。よく振ってから開けると、ものすごい勢いで噴き出す」


「勢いはすごいな」


 カイルが真面目な顔で頷いた。


「そこに同意しないでください!」


「実際すごいぞ」


 ボルグまで頷く。


「去年は三本噴いた」


「三本は多いな」


「そこじゃありません!」


「一本ならいいのか?」


「よくありません!」


 ボルグが腕を組んだ。


「でも爆発みたいになるぞ?」


「なりません!」


「音もする」


「栓の音です!」


「泡も飛ぶ」


「炭酸です!」


「人も逃げる」


「迷惑だからです!!」


 カイルが堪えきれず吹き出した。


「カイルさん!」


「悪い……続けろ、新人」


「絶対に最初からこうなるって知ってましたよね!?」


「経験は大事だぞ」


「便利に使わないでください、その言葉!」


 朝の南門にボルグの豪快な笑い声とカイルの笑い声が重なり、リナは顔を赤くしながら二人を睨んだ。


 その後も検査は続いたものの、出てくる物は干し肉、鍋、薬草、革靴、毛布、蜂蜜、木工用の釘と、どれも商人が扱っていて不思議ではない品ばかりだった。途中で妙に不気味な木彫りの人形が出てきたときには、リナも思わず「これは何ですか」と尋ねたが、ボルグから「俺も分からん」と返され、さらにカイルから「売れるといいな」と慰められているのを見て、それ以上聞く気も失せた。


 長かった検査を終えるころには朝日はすっかり城壁を越え、門前を行き交う人々の影も短くなり始めていた。リナは最後に帳面を確認すると、疲労の混じった息を吐きながら鉛筆を革袋へ戻し、それでも衛兵らしく姿勢だけは整えてボルグへ向き直った。


「……問題ありません。通行を許可します」


「おう、ご苦労さん」


 ボルグは荷車の取っ手を握って王都へ進み始めたが、数歩進んだところで足を止めた。


「そういや、お前さん新人だな」


「……どうしてそう思うんですか?」


「俺の荷物を最初から最後まで全部真面目に調べたからな」


「それが衛兵の仕事でしょう?」


「間違っちゃいない」


 ボルグはにやりと笑い、カイルを顎で示した。


「慣れてるやつは、俺の荷車を見た瞬間にため息つく」


「するな」


「なんなら今日は新人が担当だって分かった時点で安心した」


カイルが付け加えた。


リナの眉が動いた。


「……何に安心したんです?」


「俺が調べなくていい」


「最初から押しつける気だったんですか!?」


「経験は大事だぞ」


「今日何回目ですか、それ!!」


 ボルグは腹を抱えて笑いながら荷車を引き、そのまま王都の雑踏へ消えていった。積み上げられた荷物の山が人混みの向こうへ遠ざかっていくのを見送ったリナは、張り詰めていた肩からようやく力を抜いた。


「……疲れました」


「まだ朝だぞ」


「誰のせいだと思ってるんですか」


「ボルグ」


「カイルさんもです!」


「俺は横から助言してただけだ」


「『当たり前だな』『正しい使い方だ』『健全だな』『模範的だ』のどこが助言なんですか!」


「安心できただろ?」


「できませんでした!」


カイルは再び門柱へ寄りかかる。

リナはその姿を睨みながら、次にこの先輩から「経験は大事だ」と言われたら絶対に信用しないと心に決めた。


街道の列は、まだまだ続いている。


今日の勤務は始まったばかりだった。


       【リナの日記】

今日はゴブリン商人のボルグさんが来た。

最初に書いておく。

ゴブリンだったことは何の問題もない。

問題は荷物!!

何なんですか、あれ!!

箱! 樽! 麻袋! 壺! 鍋! 毛布! 斧! その他いろいろ!!

どうして崩れないの!?

それから危険物!!

包丁!

用途、料理!

斧!

用途、薪割り!

鉈!

用途、枝払い!

鎌!

用途、草刈り!

全部普通!!

全部ものすごく普通!!

そしてカイルさん!!

横からいちいち「当たり前だな」とか「正しい使い方だ」とか「健全だな」とか「模範的だ」とか言わなくていいです!!

私だって分かってます!!

確認してるんです!!

仕事なんです!!

あと「法の味方」とか急に格好いいこと言わないでください!

普段ずっと門柱に寄りかかってるでしょう!!

それから鼠取り!!

どうして鼠取りを探して魚が出てくるんですか!?

しかもカイルさん、魚の出来を評価しないでください!!

その場で商談を始めないでください!!

私は毒物の確認をしてたんです!!

そして炭酸酒!!

爆発物じゃありません!!

絶対に違います!!

「音もする」

栓です!!

「泡も飛ぶ」

炭酸です!!

「人も逃げる」

迷惑だからです!!

どうして私が一個ずつ説明しなきゃいけないんですか!!

二人とも絶対楽しんでた!!

絶対!!

でも……。

検査は最後までできた。

途中で何度も混乱したし、カイルさんには散々からかわれたけど、ボルグさんが持っていた物を一つずつ確認して、危険がないことも自分で判断できた。

そこだけは、ちょっと嬉しい。

衛兵になって、まだ七日。

明日も頑張ろう。

それからもう一つ。

カイルさんの「経験は大事だ」は、しばらく信用しない。

絶対に。

……でも明日は、本当に普通の人が来ますように。


【今日の教訓】

荷物の多さで商人を判断してはいけない。

危険物は名前だけでなく、用途まできちんと確認すること。

そして何より――

一番警戒すべきなのは、荷車の中身ではなく、隣で笑っている先輩かもしれない。


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