第21話:地方巡幸の決定。……殿下、それを世間では新婚旅行(ハネムーン)と呼ぶのでは?
「……はぁ。状況把握、開始。私のデスクの上に置かれた、昨日よりさらに分厚くなった書類の山。そして、それを満足げに見つめる眼鏡の文官。状況、完全に泥沼ね」
別荘での最高級抱き枕任務(ガチ寝)から帰還した翌朝。
私は王宮の詰所で、再びカイゼル侯爵と対峙していた。
「素晴らしいですよ、アルティナ閣下。昨日のあなたの監査能力のおかげで、南方の穀倉地帯における大規模な帳簿の『ズレ』が発覚しました。地方領主が中央への税を誤魔化している可能性が極めて高い。本日もさっそく、この追加書類の精査をお願いします」
「カイゼル侯爵、状況把握を。昨日の私の労働は、昨日の睡眠時間と等価交換されたはずです。連日の残業は、我がスローライフ憲章の重大な規約違反に当たります」
私が死んだ魚の目で書類を押し返そうとした、その時。
バァン! と勢いよく扉が開かれ、我が国の最高権力者(愛が重い)が颯爽と姿を現した。
「そこまでだ、カイゼル。これ以上俺のフィアンセに無粋な書類仕事を押し付けるな」
「ルファード殿下……。しかし、この地方の不正を放置すれば、国家の財政に――」
「分かっている。だからこそ、俺が直接現地へ赴き、軍事と財政の両面から直々に叩き直すことにした。名目は『皇太子による地方公式巡幸』だ」
ルファード殿下は不敵に微笑むと、私の腰をぐっと引き寄せ、有無を言わせぬ力強さで抱き込んだ。
「当然、俺の専属護衛であり婚約者であるアルティナも同行してもらう。今から一時間後に王都を出発するぞ」
(……はぁ!? 一時間後!? 状況把握、開始。南方の穀倉地帯。王都から馬車で片道三日の長距離移動。公式巡幸という名の大規模なパレード。……これ、移動中の馬車の中で、殿下と二人きりで三日間ずっと濃密なアプローチ(精神的残業)を受け続けるやつじゃん!!)
私のカンストした状況把握能力が、この『地方巡幸』の真の目的を秒で看破した。
殿下は地方の不正を正すついでに、私を王宮の喧騒(と眼鏡文官)から連れ出し、大義名分を掲げて二人きりの時間を確保するつもりなのだ。
「殿下、状況把握を。地方巡幸ともなれば、沿道の警備や地方貴族との夜会など、私の労働環境が著しくブラック化します。私は王宮の武具倉庫の裏で留守番をしておりますので、殿下お一人で最速で片付けてきてください」
「拒否する。地方の不穏分子が何を仕掛けてくるか分からないからね。我が国最強の盾である君が隣にいてくれないと、俺は不安で夜も眠れない。……ああ、移動用の馬車は特注の最高級品で、中で横になって寝られるベッド仕様にしてあるから、安心して俺の胸でサボるといい」
(条件の提示の仕方が、完全にプロの誘拐犯のそれなんだけどーーー!?)
殿下は私の耳元に顔を近づけ、周囲には聞こえない低い声で妖しく囁いた。
「国内外の敵に、俺たちの絆の強さを見せつける絶好の機会だ。……実質的な『新婚旅行』として、たっぷり俺に愛される覚悟をしておいで、アルティナ」
その宝石のような紫の瞳に真っ直ぐ見つめられ、私の心拍数は本日も定数オーバー(大バクバク)を記録する。
「……状況把握、完了しました。殿下、移動中の馬車の中では、私は『完全な睡眠モード』に入ります。一切の業務(お喋りやスキンシップ)を受け付けないことを条件に、同行を承認します」
「ふふ、馬車が揺れるたびに、俺の腕の中に転がり込んでくる君が目に浮かぶよ。出発しようか、俺の可愛い王妃殿下」
こうして、眼鏡文官の書類地獄からは逃れたものの、皇太子殿下による「合法的な拉致」によって、私のスローライフへの道は、王都から遥か南方へと強制連行されていくのだった。




