第二十章『崩れ始める仮面』
レオンハルトの言葉が落ちた瞬間、
空気が一段深く沈んだ。
「お前は……何かを隠しているな」
その一言は、
セレナの完璧な笑顔をわずかに歪ませた。
ほんの一瞬。
だがガブリエラは見逃さなかった。
会場の貴族たちも、
誰もが息を呑む。
皇太子が婚約者に向けた言葉とは思えない。
セレナはゆっくりと笑みを戻す。
「……殿下、どうされたのです?」
声は柔らかい。
だがその奥には、
微かな焦りが混じっていた。
レオンハルトは答えない。
ただもう一度、
ガブリエラを見た。
その視線は揺れている。
確信と疑念。
そして――失いたくない何かへの執着。
「……お前は」
掠れた声。
「本当に……」
その言葉は最後まで続かなかった。
ノクスが一歩前に出る。
空気が一気に張り詰める。
「これ以上は混乱を招く」
低い声。
だがレオンハルトはノクスを見ると、
ようやく彼を“敵”として認識したように目を細めた。
「貴様は何者だ」
「護衛だと言った」
「その程度の者が、
なぜ彼女を連れている」
ガブリエラの肩が僅かに震える。
“彼女”。
その呼び方に、
過去の影が重なる。
レオンハルトはゆっくりと一歩近づく。
「名前を聞かせろ」
ノクスは即答する。
「必要ない」
「……そうか」
レオンハルトの声が冷える。
その瞬間。
セレナがわずかに動いた。
「殿下」
彼女はレオンハルトの腕へそっと触れる。
「今は夜会の最中ですわ」
優しい声。
だがその指先には、
わずかな圧があった。
“戻れ”という圧。
ガブリエラは気づく。
この場で最も動揺しているのは、
セレナだ。
彼女は笑っている。
けれど目は笑っていない。
レオンハルトは一瞬だけ沈黙した。
だが――。
次の瞬間、セレナの手を静かに外した。
「離せ」
その声は、
初めて聞くほど冷たかった。
セレナの指が止まる。
会場がざわめく。
「殿下……?」
セレナの声がわずかに揺れる。
レオンハルトは彼女を見ないまま、
静かに言った。
「お前はいつから、
私の判断に口を出すようになった」
空気が凍る。
セレナの完璧な笑顔が、
完全に固まった。
ガブリエラの胸が強く鳴る。
ノクスが小さく呟く。
「……崩れ始めたな」
レオンハルトは再びガブリエラへ視線を戻す。
今度は逃がさないという意思がはっきりしていた。
「最後に聞く」
一歩、近づく。
「お前の名は」
沈黙。
ガブリエラの喉が動く。
答えれば終わる。
でも。
このままでも終わる。
どちらを選んでも、
後戻りはできない。
その時だった。
胸の奥で、
カサンドラの記憶が一瞬だけ浮かぶ。
暗い部屋。
手を伸ばす少年レオンハルト。
『怖くない』
その声。
そしてもう一つ。
燃えるような白い光。
裏切りの記憶。
どちらも“本物”だ。
ガブリエラの瞳が揺れる。
「……私は」
その声に、
レオンハルトの呼吸が止まる。
ノクスがわずかに身構える。
リリスは遠くで舌打ちした。
「最悪のタイミングね……」
ガブリエラは唇を噛む。
そして――。
「私は……」
言いかけた瞬間。
セレナが小さく笑った。
「殿下、その方はただの――」
その言葉が終わる前に。
ガブリエラの中で何かが切れた。
黒翼が一気に広がる。
バサァッ!!
強烈な風圧。
会場の装飾が揺れ、
貴族たちが悲鳴を上げる。
「っ……!」
レオンハルトが目を見開く。
ガブリエラの瞳が、
金色に染まっていく。
「私は……」
声が変わる。
震えながらも、
確かに。
「……ガブリエラ・ルヴィア」
その名前を口にした瞬間。
会場が完全に凍りついた。
レオンハルトの表情が、
崩れる。
セレナの顔から笑みが消えた。
そして――。
ガブリエラは静かに続けた。
「死んだはずの女よ」
その一言で、
夜会は完全に“崩壊”へ向かった。




