第十章『契約の口づけ』
夜は深かった。
魔女の家の外では、
風が木々を揺らしている。
ガブリエラは眠れずにいた。
窓辺へ座り、
ぼんやりと月を見上げる。
神と魔王の子。
その言葉が、
頭から離れなかった。
カサンドラの人生は、
あまりにも残酷だ。
生まれた瞬間から忌み嫌われ、
利用され、
生贄として育てられた。
そんな運命、
誰が耐えられるだろう。
ガブリエラは自分の胸元へ触れた。
鼓動が早い。
感情が揺れるたび、
身体の奥で何かが熱を持つ。
魔力。
まだ制御できない力。
その時。
コンコン、と
小さく扉が叩かれた。
「……起きてるか」
ノクスの声。
ガブリエラは少し迷ったあと、
「入って」と返した。
扉が開く。
黒いシャツ姿のノクスが、
静かに部屋へ入ってくる。
昼間より少し無防備な姿。
長い黒髪が肩へ流れ、
紅い瞳が月明かりを映していた。
彼はガブリエラを見るなり、
眉を寄せる。
「眠ってないのか」
「……少し考え事」
ノクスは窓際へ歩み寄った。
隣に立つ。
近い。
それだけで、
胸がざわつく。
彼は窓の外を見ながら言った。
「魔力が不安定になってる」
「分かるの?」
「当然」
ノクスはちらりと彼女を見る。
「お前の魔力、
かなり漏れてるぞ」
言われて初めて気づく。
指先から、
薄く黒い霧のようなものが漂っていた。
ガブリエラは慌てる。
「えっ……!?」
「落ち着け」
ノクスが手首を掴む。
その瞬間。
熱が走った。
「……っ」
身体の奥が、
じわりと痺れる。
驚いてノクスを見ると、
彼も僅かに目を細めていた。
空気が変わる。
静かで。
妙に甘い沈黙。
ガブリエラは慌てて視線を逸らした。
「……なにこれ」
「魔力共鳴だ」
ノクスは低く答える。
「お前の力は、
俺の魔力と相性がいい」
「相性……」
その響きに、
胸が妙に熱くなる。
ノクスは小さく息を吐いた。
「このままだと、
また暴走する」
「じゃあどうすれば……」
その瞬間。
ノクスが静かに言った。
「契約する」
ガブリエラは目を瞬かせた。
「契約?」
「魔力を安定させるためのものだ」
ノクスは真剣な目で続ける。
「本来ならもっと時間をかける。
だが今は余裕がない」
神殿は動いている。
神降ろしが近い。
もし捕まれば、
終わりだ。
ガブリエラは不安そうに尋ねた。
「……危険なの?」
「多少は」
「多少って……」
ノクスは少し黙ったあと、
珍しく言いにくそうに視線を逸らした。
「……契約には接触が必要だ」
「接触?」
次の瞬間。
彼の指が、
そっとガブリエラの唇へ触れた。
びくりと身体が震える。
「え……」
近い。
近すぎる。
ノクスの瞳が、
真っ直ぐこちらを見つめている。
低い声が耳へ落ちた。
「口づけで契約する」
心臓が止まりそうになった。
ガブリエラは一気に顔が熱くなる。
「な、な……っ」
言葉が出ない。
ノクスは妙に落ち着いていた。
「嫌なら別の方法探す」
「別の方法あるの!?」
「時間がかかる」
「……」
つまり、
今すぐ安定させるにはこれが最善。
ガブリエラは混乱していた。
こんなの。
まるで――。
ノクスは静かに言った。
「無理強いはしない」
その声は真剣だった。
冗談じゃない。
からかってもいない。
だから余計に困る。
ガブリエラは唇を噛んだ。
胸がうるさい。
頭がおかしくなりそう。
だが、
さっきの魔力暴走を思い出す。
レオンハルトの前でも、
感情だけで暴走しかけた。
このままでは危険だ。
ガブリエラは小さく息を吸う。
「……やる」
ノクスの目が僅かに見開かれる。
「本気か?」
「今さら怖がっても仕方ないし……」
強がりだった。
本当はかなり緊張している。
ノクスはしばらく彼女を見つめていた。
やがて、
ゆっくり手を伸ばす。
指先が頬へ触れる。
熱い。
優しく撫でるような感触。
逃げられない。
紅い瞳が近づく。
ガブリエラは思わず目を閉じた。
次の瞬間。
柔らかな熱が唇へ触れる。
「……っ」
一瞬だけ。
本当に短い口づけ。
けれど。
身体の奥へ、
凄まじい魔力が流れ込んできた。
熱い。
甘い。
苦しい。
黒い光が、
二人の周囲を包み込む。
ガブリエラの身体が震える。
頭の奥で、
何かが弾けた。
その瞬間。
大量の記憶が流れ込む。
戦場。
黒い翼。
血に染まる空。
そして――。
幼いカサンドラを抱き上げる、
若い頃のノクス。
『泣くな』
優しい声。
『お前は一人じゃない』
ガブリエラは目を見開いた。
今の記憶は。
カサンドラの……。
唇が離れる。
荒い呼吸。
ノクスも僅かに息を乱していた。
彼は眉を寄せる。
「……見たか」
「あなた……」
ガブリエラは震える声で呟く。
「昔、
カサンドラに会ってたの……?」
沈黙。
その答えだけで、
全て分かってしまった。
ノクスはずっと知っていた。
この少女を。
孤独だった頃から。
ガブリエラの胸が、
強く締め付けられる。
すると突然。
窓の外から、
不気味な鐘の音が響いた。
ゴォォン――。
低く。
重い音。
ノクスの表情が変わる。
「……っ」
リリスが勢いよく部屋へ飛び込んできた。
「ノクス!!」
その顔は青ざめていた。
「神殿が動いたわ!!」
空気が凍る。
リリスは震える声で告げた。
「――“器”の捜索命令が帝国全域に出た」




