第八章『魔女の森』
帝都を離れ、
二人は深い森の中を進んでいた。
空を覆うほど巨大な木々。
差し込む陽光は少なく、
昼だというのに薄暗い。
風が吹くたび、
葉が擦れ合い不気味な音を立てる。
ガブリエラは周囲を見回した。
「……ここ、本当に人が住んでるの?」
「普通の人間は近づかない」
前を歩くノクスが答える。
「魔物が多いからな」
その瞬間。
背後の茂みが揺れた。
ガサッ。
ガブリエラが振り返る。
赤い目。
低い唸り声。
現れたのは、
狼に似た巨大な魔物だった。
鋭い牙。
黒い毛並み。
普通の獣とは明らかに違う。
「っ……!」
ガブリエラが息を呑む。
だがノクスは振り返りもしなかった。
「気にするな」
「え?」
次の瞬間。
魔物が飛びかかる。
ガブリエラは反射的に目を閉じた。
しかし。
――ドサリ。
重い音。
恐る恐る目を開けると、
魔物は地面へ倒れていた。
首が綺麗に斬り落とされている。
「……え」
ノクスはいつの間にか剣を抜いていた。
黒い刀身。
血すら付いていない。
彼は平然と剣を収める。
「前見て歩け」
「い、今の……」
「雑魚だ」
雑魚。
ガブリエラは唖然とした。
自分なら悲鳴を上げていただろう相手を、
この男は一瞬で。
ノクスはちらりと彼女を見る。
「怖かったか?」
「……ちょっと」
正直に答えると、
ノクスは意外そうに目を細めた。
「無理に強がらないんだな」
「別に隠しても意味ないし」
すると彼は、
小さく笑った。
「その方がいい」
ガブリエラは首を傾げる。
ノクスは少しだけ視線を逸らしながら言う。
「怖い時に怖いと言える奴の方が、
壊れにくい」
その言葉が、
妙に胸へ残った。
⸻
しばらく進むと、
森が開けた。
中央には湖。
そのほとりに、
小さな石造りの家が建っている。
煙突から煙が上がっていた。
「ここだ」
ノクスが言う。
ガブリエラは周囲を見回した。
静かだった。
鳥の声。
風の音。
まるで別世界。
その時。
家の扉が勢いよく開いた。
「遅い!!」
飛び出してきたのは、
長い紫髪の女性だった。
年齢は二十代後半ほど。
切れ長の瞳。
露出の多い黒い服。
そして何より、
凄まじい圧を纏っている。
彼女はノクスを見るなり眉を吊り上げた。
「どれだけ待たせる気なの!?」
「別に急いでないだろ」
「私は暇じゃないの!!」
ガブリエラは思わず後退る。
怖い。
かなり怖い。
女性はそこでようやく、
ガブリエラの存在に気づいた。
赤い瞳が細められる。
「……へえ」
ぞくりとした。
まるで身体の内側まで見透かされる感覚。
女性はゆっくり近づく。
ガブリエラの顎へ指を添え、
顔を覗き込んだ。
「この子が例の“器”?」
「触るな」
即座にノクスが手を払う。
女性は呆れたように笑った。
「相変わらず独占欲強いわねぇ」
「変な言い方するな」
「図星?」
ノクスが露骨に嫌そうな顔をする。
その反応を見て、
女性は吹き出した。
ガブリエラは二人を交互に見た。
「……知り合い?」
「腐れ縁だ」
「誰が腐れ縁よ。
命の恩人って呼びなさい」
女性は胸を張る。
「私はリリス。
魔女よ」
魔女。
ガブリエラは目を瞬かせた。
絵本でしか聞かない存在。
リリスはじっと彼女を見つめる。
「なるほどねぇ……
確かに混ざってる」
「混ざってる?」
「ガブリエラの魂と、
カサンドラの魂」
ガブリエラの身体が強張る。
やはり、
本当に融合している。
リリスは顎へ手を当てた。
「普通ならとっくに壊れてるのに……
面白いわね」
「面白がるな」
ノクスが冷たく言う。
リリスは肩を竦めた。
「だって事実だもの」
彼女はガブリエラの周囲をゆっくり歩く。
まるで観察するように。
「魔力は膨大。
でも制御は最悪」
「……分かるの?」
「当然」
リリスはにやりと笑う。
「暴走寸前よ、あなた」
その言葉に、
ガブリエラの背筋が冷える。
リリスは急に真顔になった。
「このままだと死ぬわ」
空気が止まった。
ガブリエラは息を呑む。
「……え」
「魂が不安定なの。
どっちにもなりきれてない」
リリスは静かに続ける。
「だから、
片方を受け入れなきゃいけない」
「片方……」
「ガブリエラとして生きるか。
カサンドラとして生きるか」
選ばなければならない。
その事実に、
胸が締め付けられる。
どちらかを選ぶ?
そんなの。
できるわけがない。
ガブリエラは俯いた。
するとノクスが口を開く。
「まだ急がせるな」
リリスは溜息を吐く。
「時間がないのよ」
「分かってる」
「神殿も動き始めてる」
その瞬間。
空気が変わった。
ガブリエラは顔を上げる。
リリスの表情から、
笑みが消えていた。
「……神殿が?」
「ええ」
リリスは窓の外を見る。
「“神降ろし”が近い」
その言葉に、
カサンドラの記憶が激しく反応した。
頭痛。
血。
祭壇。
白い光。
『器を完成させろ』
『神を降臨させる』
ガブリエラは頭を押さえる。
苦しい。
するとノクスが肩を支えた。
「落ち着け」
低い声。
その温度に、
少しだけ呼吸が戻る。
リリスは真剣な顔で言った。
「あなた、
知らないままだと本当に壊れるわ」
赤い瞳が真っ直ぐ向けられる。
「だから教えてあげる」
魔女は静かに告げた。
「――カサンドラが生まれた本当の理由を」




