第4話:【和解】判決を下すのは、現実という名の執行官です
第4話:【和解】判決を下すのは、現実という名の執行官です
床に落ちた偽造書類を見つめ、王子は糸の切れた人形のように立ち尽くしていた。
隣では男爵令嬢が「スパイ」という言葉の重みに震え、王子の腕を掴む指先をガタガタと震わせている。
「さて、殿下。証拠が捏造であると判明した以上、貴方の主張する『いじめ』の事実は存在しません。
つまり、婚約を破棄すべき正当な事由は一点も認められないということです」
淡々と、判決文を読み上げる裁判官のような声で告げた。
「し、しかし……私は彼女を愛しているんだ! こんな心のない法律に、私の愛を裁く権利があるのか!」
往生際の悪い叫びに、カトリーヌ様が冷ややかな溜息をつく。
「愛? ええ、結構だわ。でしたらリチャード、最後に殿下へ『和解勧告』を差し上げて」
「承知いたしました。殿下、貴方に残された道は二つです」
私は指を二本立てた。
「案A。
この騒動を『外国工作員による一時的な混乱』として処理し、当初の予定通りカトリーヌ様と成婚すること。
ただし、男爵令嬢はスパイ容疑の重要参考人として監視下に置き、公的な手続きを経て『第二夫人(側室)』として扱うことになります。
もちろん、彼女の贅沢は一切認められず、一生を日陰で過ごすことになりますが」
男爵令嬢が短く悲鳴を上げた。
華やかな正妃の座を夢見ていた彼女にとって、それは生き地獄に等しい。
「案B。あくまでカトリーヌ様との婚約を破棄し、その女性と愛を貫くこと。
その場合、殿下は王位継承権を剥奪され、民間人として公爵家へ天文学的な賠償金を支払う義務を負います。
もちろん、王室の資産は一銭も持ち出せません。愛があれば、二人で路頭に迷うのも一興かと」
王子は交互に案を見比べ、喉を鳴らした。
案Aを選べば、カトリーヌという「法と経済の権化」に一生頭が上がらない。
案Bを選べば、明日から食うに困る「ただの平民」になる。
「さあ、どちらになさいますか?
殿下のその高貴な『愛』に、どの程度の資産価値があるのか、ここで証明していただきましょう」
王子の視線が、男爵令嬢から外れた。
繋いでいた手が、ゆっくりと、だが確実に離れていく。その無言の拒絶が、何よりも残酷な「判決」だった。
「……あなた、このまま無理を通せば、本当に破滅しますよ?」
カトリーヌの最後通牒が、夜会の広間に空虚に響く。
それ以上の返答を待たず、事務的にバインダーを閉じ、一礼した。
「……回答は、後ほど書面で。行きましょうか、カトリーヌ様」
呆然自失の王子と泣き崩れる令嬢を背に、会場を後にした。
夜風が吹くバルコニーへ出ると、カトリーヌ様がふっと表情を和らげる。
「お疲れ様、リチャード。これでしばらくは静かになるかしら」
「ええ。ですが明日からは、隣国の工作員に対する正式な抗議と、差し押さえの手続きが山積みです。
美食の国への赴任準備も並行しなければなりませんね」
「ふふ、頼もしいわ。
……ねえ、あちらに行ったら、法律の条文なんて忘れて、最高のガレットとワインを楽しみましょうね?」
「……検討しておきます。公務のスケジュールが許せば、ですが」
眼鏡を直し、夜空を見上げた。
法という名の檻に閉じ込められた王子たちのことなど、職務のリストには残っていなかった。
(完)
あとがき
断罪夜会の前日に法律が変わったら?という問いから発想しました。




