第二話「マチルダ・アシュレイ殺人事件」
この事件はマチルダ・アシュレイ殺人事件と呼ぶべきものだが、一般に広められたのは急病によるマチルダの急逝として報じられた。既に怪しい香りがする。
「舐められたものだね。私でも分かるさ」
「ミランダ」
ルーチェもミランダの緊急連絡によってマチルダの死を知った。相手は上層部の人間らしいが、重要な部分をぼかしながら死去したことを伝えて来た。母の死を知りながらもミランダは冷静だった。決してショックを受けていない親不孝では無い事は分かる。彼女は自分の母がただで死ぬはずが無いと分かっている。彼女のように国の上層部に対して薄々不信感を抱いている人間は少数ながら存在する。その考えを表には出さず秘密裏に動く。向こうとしても彼を敵に回したくは無い。
「この映像を見たまえ、ルーチェ嬢」
ミランダのデバイスに送られて来た映像には顔こそ見えないが実行犯の姿が映っていた。映像でも分かる長身、チラッと見えた男の手の甲には妙な印がある。纏っているローブの背にはケフェウス猟団の紋章がある。マチルダ殺害後、彼が隠されたカメラを一瞥する。相手はカメラの存在に気付きながら敢えて無視した。その後、彼は何かを部屋に置いた。窓から颯爽と部屋を飛び出した。星のような太陽のようなタトゥーが刻まれた右手、一瞬映った瞳は銀と黒が一緒になっていた。それだけで実行犯は非常に面倒な相手であることが分かった。ストライド家と呼ばれる共和国にいる戦闘一族である。曰く、魔力を全て捨てて人間の枠を超えた膂力を手に入れた超人。
「そんな人たちがマチルダさんを殺す動機があるのかな?」
「彼女は戦争や軍事に関しては何も携わっていない。商業や経済を専門に担当していたはずだ。となればこの男は誰かに雇われていたと考えるのが妥当だろう。ストライド家となれば、幾度となく戦争や紛争であちこちの陣営が高い金を出して雇って来た。一人いるだけで戦況がひっくり返るとされていたからな」
「ふむ…では、彼は殺したくて殺したと言うよりも命令を受けていたと?」
ルーチェたちは頷いた。彼女たちの考えを聞いて、ミランダはフッと笑みを浮かべた。
「流石だね。どうやら現場に彼は事件解決に必要な決定的証拠を残してくれたらしい」
その証拠を持ってきた人物が事務所の扉を叩いた。扉を開くと隻腕の青年が立っていた。彼も軍服を着ているが青いマントを羽織っている。そして彼は共和国で知らない者はいないであろう有名な軍人である。
脱帽すると彼は屈託ない笑みを見せた。
「初めまして、アゼル・ラクシオン。よろしく、中に入っても良いか?」
軍人と言えば厳格な印象が強いが彼は何処か軽く見える。だが虚無となった彼の右腕が彼の過酷な経験を物語っている。彼はミランダと同じく国の上層部の動きを怪しく思っているらしい。彼らに回収される前に決定的な証拠を密かに回収していた。この証拠を正しく活用できる人間に手渡すために。そしてその人間こそが探偵であるルーチェ。証拠品に素手で触れるわけには行かない。手袋越しに袋を開いて取り出した。入っていたのは指輪とUSBメモリ。決定的な情報が全てそこに詰まっている。隅々まで調べた後、ルーチェが立ち上がった。
「さっ、アンドロメダ草原に行くよ」
「え、今から?」
「思い立ったが吉日、だよ」
ルーチェの思い切りに感心したようにアゼルは笑った。だがその笑いには別の事も含まれている。アゼルにすらマチルダは仕込んでいた。本当に食えない人だ、敵に回したくない智将だ。
「…いや、向こうから迎えが来たようだぞ」
「え」
数人の武装した怪しい男たちの中心に背の高い青年が立っているのが見える。外に出ると彼らは武器を構えて合図も無しに飛び込んで来た。慌てずアゼルはゆっくりと前へ歩き出す。相手としては自ら標的が前に出て来てくれたと喜んでいるだろうが、彼らはアゼルを、隻腕の剣聖の実力を過小評価している。というのも彼らを裏で操る人間がアゼルのことを吹聴していた。アゼルは一切態度を変えず、静かに太刀に手を掛けて、そして抜刀した。空気が歪む一撃。素早く、常人では目で捉えることも出来ない。斬られてようやく彼らはアゼルが抜刀したことに気付いた。武器だけを失った男は腰が抜けた。一人逃げ出そうとする彼に絡みついたのは黒い靄、否、影だ。
「な、何だこれ!?」
「犯罪者をみすみす逃すと思うか?このまま全員裁かれて貰う。世のため人の為にな」
術を行使したのはキースだった。彼が指に力を入れると縛りがきつくなる。拘束された男は命乞いでは無く、嘲笑をする。
「ハッ、裁かれるだと?俺たちのバックについている御方は国の支配者だ!出来るわけねえだろ、ばぁかッ!」
「―違うでしょ」
誰よりも先に真っ向から否定したのはルーチェ。彼女の青い右目だけが開かれており、光を帯びている。その瞳は人の嘘を、本心を、本音を全て丸裸にする。
「その男は支配者を騙る馬鹿な男です。すぐに切り捨てる。そうでしょう、貴方はその一面を確かに垣間見ている―」
ルーチェが目を細める。男は何も言い返せず歯噛みする。悔しいのか地団駄踏んだ挙句、何をするのかと思えばこの男は自分の力では何も出来ない小物だった。
「クソッ、キメェぞ!あの方も、アイツも言ってた通りだ!オイ小娘、テメェの義眼は本来俺たちが使うものだった!その目、抉り取ってやる!」
静観していた長身の青年がようやく動き出した。何をするかと思い身構えたが、何故か彼は仲間であるはずの男に容赦なく鉄拳を振り下ろした。地面にクレーターが出来るほどの威力。顔を上げた、その瞳はひとりでに色が変わる。黒からゆっくり半分ほどが銀へと変わる。その瞳はマチルダの部屋にあった隠しカメラが捉えていた殺人犯と同じものだ。
「その目、義眼って本当か?」




