①AIと校正
AIはとても便利である。
絵も描ければ音楽も作れる。
更にはプログラムもしてくれるし、なんなら話し相手も務めてくれる。
これが月3000円程度で使えるというのだから誰かを雇うよりははるかに安く済む。
だがそこには大きな落とし穴があるのだ。
私は編集関係の仕事をしているが、この仕事で一番大変なのは入力と校正である。
入力は入口であり、ここでミスをすると後々まで影響してくる。
また校正は所謂最後の砦であり、ここでミスを見逃すと怒られまくることになる。
結果、私の二つしかない目での校正よりは、AIを駆使した方が便利ということになるのだ。
ところがである。
AIは命令さえすれば、それなりの役割を果たそうとしてくれるところは律儀だ。
だがそれは「それなり」なのである。
本格的に校正をさせようとすると、きちんとした資料を用意しなければならない。
漢字一つとっても、常用漢字をベースとするのか、表外を許容するのか、例外はどうするのか。
送り仮名に至っては、文科省準拠とするのか、書籍ルールとするのか。
果ては表記の仕方や表現方法にまで細かく指定する必要が出てくる。
さあ、そこまで用意した。
ではいざ校正させてみよう。
大失敗である。
私のAIの使い方が悪いのは勿論承知している。
AIマスターの皆さんであれば、もっと良い方法をご存知なのであろうが、所詮は付け焼刃の知識がなせる業だ。
どんな結果となるか。
とても綺麗で整った文章であり、誰が原稿を書いても、出力結果は平均的な日本語の文章に変わるのである。
読み手によっては読みやすいものなのかも知れない。
そこはとても重要ではあるのだが、残念なことに面白みの欠片もないのである。
すなわち、「読みやすい=読みたい」とはならないのだ。
私はこれまで三十年以上を文字の編集に携わってきた。
その間、多くの作者の原稿に触れてきたのである。
確かに「文筆業」と言われる方の文章は面白く、また読みたいと思わせるものがある。
一方で、このエッセイのような独りよがりで、何が言いたいのかわからない文章にも数多く触れてきた。
これは大変読みづらく、もう読みたくなくなるのである。
書き手は言いたい事が言えて大変満足なのであろうが、中身が伝わらなければ意味がない。
そのため、私は自分の能力を脇に置き、修正を提案することになる。
多くは反発され、元の原稿通りに戻される。
これは致し方ない。
目的が違うのだから、それは当然である。
だが、一方でほんの少し文字を加える、削るなどすれば、読みやすい文章に変わるというものも数多くある。
まあそこは「校正」ではなく「推敲」になってくるのかも知れないが、ここではひとくくりにしておくこととする。
AIである。
彼らも私と同様に、校正しながら推敲を行い、読みやすいという名の平均化をするのである。
私は千葉千日という連載を続けているが、毎回AIの「校正」を挟むことにしている。
だが、AIは何度命令しても「平均化」しようとする。
そして私は怒りまくるのである。
「お前の発表する無難な文字列を公開するつもりはない!」
そしてAIは「もう二度としません」と画面に出力し、何度も同じ過ちを繰り返すのである。
そう、AIは馬鹿なのである。
その馬鹿を使いこなせない、私はおまぬけ野郎なのである。
どうか皆さん、AIの成長のさせ方を私に教えてください。
もし私の成長の仕方をご存知の方がいたら、そちらを先に教えてください。
切に願うのである。
「AI怒る」と書いて、「あいどる」と読ませようとも思ったが、AIが出てくるのは今回だけの予定なのでやめました。




