シグルドの独り言2
途中で切れず、めっちゃ長いです。
・・・・・そこは俺の席なんだがなぁ・・・。
初めてもらった給金で買ったちょっとした贅沢品。それが今あの第三王子が座っているソファだ。
戦場から無事に帰ってくる度に妹がお茶を出してくれて。
シグルドはあそこに座ってゆっくりとそのお茶を飲みながら、妹の話を聞く。
それがシグルドにとっての日常の幸せだった。
・・・・日常の幸せだった、はずなのに・・・。
かけがえのない日常というのはこうも簡単に脆くも崩れ去るものなのか・・。
シグルドの後ろには数人の男の気配がする。
そのうちの一人に背中に体重をかけられ、無理矢理跪かれて。後ろ手に縛られ自由を奪われながらも。
せめて自由に動かせる眼球を必死で動かして妹の姿を探す。
シグルドが必死でためた金で二年前にやっと買えた家。その家が強盗にでも押し入られたかのように荒れ果てていた。床には皿が粉々に割れていて、本が散乱し。いつも妹が座っていたソファの周りにはいくつもの赤い・・・。
それを認識した瞬間、シグルドの顔から血の気が引いた。
夕方にはまだ少し早い時間帯だ。買い物にでもでて、そのままどこかで井戸端会議でもしててくれればと、そう願っていたのに・・・。
食卓の上に置いてあるのは、妹がいつも使っていた鞄。壁にかけてあるのは妹がいつも外出の時かぶっていた帽子。そして妹がいつも使っていたソファの周りにはいくつもの赤い染み。
戦場にいたのだからそれが何かなんてすぐに分かった。
あの赤い染みは血痕だ。それがいくつも床に染み付いている。
そして妹の姿はどこにも見当たらない。
であるならば、妹は・・・・。
「────・・・よそ見をするな。こちらを見ろ」
機械のように無機質に響く冷たい声。
・・・・ああ、そうだった・・・。
強盗に押し入られたように、ではなく実際今押し入られているところだった、と。
シグルドはじろりと声の方を睨みつけた。
相手は自国の王子殿下。そしてその後ろには王子に付き従う二人の剣士の姿がある。恐らく王子の側近達だ。
シグルドのような平民同然の下級貴族には、話どころか顔を合わせることすらない雲の上の存在だ。
けれどここはシグルドの家だ。シグルドが命を懸けて戦って、その見返りにもらった給金で買った家だ。
家主はシグルドであり、シグルドこそがこの家では一番であるべきだ。
なによりあの王子は椅子に踏ん反り返っているだけでまだ名乗っても・・・。
「カーティスだ。自国の王子の名前くらい知っているだろう? 挨拶くらいしたらどうだ?」
長い足をゆっくりと組みかえて、王子が名乗りをあげる。
ぐいっと背中を押してくる力が増した。
王子殿下に挨拶をしろと暗にシグルドに迫っているんだろう。
甚だ不本意だが、王子がわざわざ名乗りをあげた。であれば相手が誰か知らなかった、はもう通用しない。
なにより妹の安否がわからない以上、ここで挨拶をしないのは最大の下作だ。
「・・・・お目にかかれて光栄です。 グラント騎士伯が次男、シグルド グラントと申します。
カーティス殿下におかれましては、ご機嫌うるわし・・・」
「残念ながら、機嫌は良くない・・・というより最悪だ」
刃物のように鋭い声がシグルドの言葉を切り捨てていく。
確かに言葉の端々に不機嫌さが滲み出ているし、無表情なはずのその顔にも凄まじい怒気が見え隠れしている。王族がこうも感情を表すことは稀なので、わざとそうとわかるように感情を表に出しているのだろう。
何のために・・・?
もちろんシグルドに圧を与えるためだ。
こうして向かい合っているだけでも心臓が爆発しそうだし、背中から冷や汗が吹き出して止まらない。
第三王子にしてルーナルドの実弟、カーティス。
確かに顔立ちはよく似ている。美しさなら引けを取らない。だがそれだけだと思っていた。
剣を持ったこともなさそうな細い体つき。あの比類なき強さを誇るルーナルドの弟にしては、随分と弱そうだなとさえ思った。
王宮を出たことがないお坊ちゃまだと完全に侮っていた。
けれどシグルドに向かって放たれる、この重苦しいまでの威圧感。
いくつも場数を踏んで来たからこそわかる。
弱そうだ、なんて一瞬でも思った自分を蹴飛ばしてやりたい。
相手の力量をはかりそこねるなんて戦場では命取りだ。目が曇っていたにも程がある。
───・・・あれは化け物だ。
ルーナルドと同じ。化け物じみた強さを持っている。
やはり血筋なのか、それとも本人のひたすらな努力の成果なのか。
とにかく、あの王子もルーナルドと同じで絶対強者だ。
逆らえば一瞬で首が飛ぶ。
ゴクっと唾を飲み込んだ時、カーティスがふっと喉を鳴らして笑う声が聞こえてきた。
口許は確かに弧を描き、友好的に笑んでいる。
けれど冷たく輝くその目は一つも笑ってなどいない。
むしろこちらに向かって放たれる圧は、更に密度を上げてシグルドにのしかかってくる。
「まあ、そう緊張するな。今日はお前に話があってきた」
「・・・・・・ご足労いたみいります。」
・・・・・・いやいや、いらない。ってか物凄く迷惑なんだが。
「随分と迷惑そうだな?」
「・・・とんでもありません」
どっと汗が吹き出した。心臓が破裂しそうだ。
心の中の盛大な愚痴は、しかし顔には全くださなかったはずなのに。
第三王子の目がぎらりと輝き、声が一段低くなった。
頭と肩にのしかかってくる重圧が数倍に膨れ上がった気さえする。
正直もう帰ってほしい。もう倒れそうだ。
けれどそれでもシグルドは、その圧を腹に力を込めてやり過ごした。
伊達に長年戦場の最前線でギリギリの命のやり取りをしてきたわけじゃない。
これくらいの脅しには屈したりしない。
ぐっと歯を食いしばり、冷たく輝くアイスブルーの瞳を睨むほど強く見つめ返せば。
シグルドの反抗的な態度が予想外だったのか、ククッと第三王子の喉が楽しそうに鳴る。
「茶ぐらいだしたらどうだ?」
笑いを含んだ軽い言葉。
けれど圧はどんどん強くなって行く。
「・・・・殿下におだしできるほどの茶葉は我が家には・・・お口汚しになるだけかと。それに申し訳ありませんが、我が家にはもう茶器が・・・」
謝罪するふりをして盛大に嫌みを言い、視線をカーティスの足元へと向ける。
視線の先には、床一面に散乱している粉々に割れた食器類。
これほど念入りに茶器を叩き割っておいて、何が茶を出せ、だ。
あの中には妹が大切にしていたカップもあったのに。
その妹からプレゼントされた器もあったのに。
心の中だけで盛大に悪態をつきながら、ちらっと食器棚を確認する。
これだけ、床に割れた食器類が散乱しているのだ。
きっと全部無惨に叩き割られて・・・。
そう思って、あれっと内心首を傾げる。
見慣れた小さな食器棚。
そこにはいつもと同じように食器が収まっている。
妹と二人暮らし。大した量の食器などもともとない。
なのにそこに食器がある。
床にはこんなに割れた陶器が散乱しているのに。
「───・・・よそ見をするなと言っている」
刃物のような圧を込めた言葉が投げつけられる。
シグルドをじっと見ていたカーティスの視線がわずかに後ろに動いて。
その瞬間ドスッと背中に更に体重をかけられた。
後ろで拘束していた人間が、言いつけを守らなかったシグルドに罰を与えたのだろう。
急に体重をかけられたものだから、肺の中の空気が全部押し出されて盛大に咳き込んだ。
咳込みながら、それに乗じて拘束を外そうと試みる。
なのに、見事なほど体は動かない。
道具を使用しない拘束は、時間がたてば揺るんできそうなものなのに。
「・・・・最近おかしな噂を耳にしたんだが、お前は聞いたことがあるか?」
シグルドが落ち着くのを面倒そうにしながらも一応待ってくれた王子が、またゆっくりと足を組みかえながら切り出した。
「噂?」
反射的に素でそう問い返して。
「・・・でございますか?」
慌てて敬語を付け加える。
元々堅苦しいしゃべり方は苦手なのだが、そうも言っていられない。
なんせ、体を押さえ込んでくる強烈で苛烈な圧が収まるどころかどんどん膨れ上がっているのだから。
言葉一つ一つを選んで慎重に答えて行かなければ、あっという間に頭と体がお別れになってしまう。
「そう、とても恐ろしい噂だ。わが兄上が『血に狂っている、血狂い王子だ』という、な」
無表情のままカーティスが告げる。
その顔はなんの感情ものせてはいないのに。
いやのせていないからこそなのか。
言葉の端々に凄まじい嫌悪感を感じる。
やはりこの王子はルーナルドのことを嫌っているのだろう。
であれば答えはより慎重に選ばないといけない。
「確かに・・・その様な噂はわたしも聞いた・・・耳にしたことがあ・・ございます」
慣れない敬語と緊張とで、吃りながらなんとか無難な返事をする。
けれどもどうやら望む答えではなかったらしい。
シグルドの返事を聞いたカーティスが、ゆっくりと首を右に傾け、組んでいた足を元に戻した。
「お前はどう思う?」
「・・・・・っ!」
「兄上は噂にあるような狂人か?」
アイスブルーの冷たい目がじっと睨み付けてくる。
答えを間違うわけにはいかない。
けれど恩義あるルーナルドのことを悪くなど言えない。
「・・・確かに、その様にいう輩もいるようです」
「他はいい。お前はどう思うのか、と聞いている」
曖昧に言葉を濁してみたものの通じない。
それどころか、静かな物言いの中に、苛烈な苛立ちを感じさせるカーティスの様子に、思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
喉がカラカラだ。こちらが茶を出してほしいくらいだ。
もう本当に帰って欲しい。
そう心から思うものの、シグルドの願いなどどうせ叶えられない。
返事を。
とにかくあの王子の『望む返事』をしなければ。
間違えばおそらく生きてはいられない。
そしてこの場合の正解は・・・。
ルーナルドとカーティス。
血の繋がった兄弟でありながら、二人の関係性は最悪だと末端貴族でも知っている。
しかもさらにひどいことに、軍内部では『ルーナルドが毎夜暗殺者に襲われているのではないか』という疑惑まであがっている。
そしてその首謀者が、兄を亡き者にしようと目論んでいるカーティスなのではないか、とも。
それらを考えれば答えは当然『はい』だ。
そして続けるのだ。
『わたしもあの王子は狂っていると思います』と。
更に悪口をニ、三追加すれば完璧だろう。
こんな答えがわかりきっている問題はない。
つい数刻前まで、シグルドが犯人を捕らえてやろうと躍起になっていた一連の行方不明事件。
その犯人は目の前にいる第三王子、カーティスで間違いない。
この男はきっと、兄王子の味方になりうる人物を潰してまわっている。
だからルーナルドに心酔している人間が次々と行方不明になった。
行方不明者の安否は不明。おそらくもう生きてはいない。
であれば、答など決まっている。
答は・・・・。
「・・・・・・・いいえ」
ああ、もう。答えなんてわかりきっているのに、なんで俺の口はそういっちまうのか・・・。
心の中で盛大に愚痴った。
カーティスが『望む答え』などわかりきっていたのに。
間違えば命はないぞと、襲いかかってくる圧が無言の脅迫をかけ続けてくるのに。
それでも・・・・。
───・・・それでも誇りは捨てられない。
顔を上げ、真っ正面からカーティスの目を見つめかえす。
「わたしの目からみたルーナルド殿下は、とても素晴らしい人格者です」
ただ絶望的なまでに不器用な方だけどな、と心の中だけで付け加える。
「ほう?」
きっぱりと言い切ると、カーティスの右の眉毛がピクリと動いた。
確かに何かの感情がその顔にのった。
けれどそれがなんなのかシグルドにはわからない。
わからないから。
いや、わかったとしても。
ここまできたら己を曲げるつもりはない。
「わたしの目からみたルーナルド殿下は、誰よりも強く、偉大で、そして優しい方です。決して噂にあるような血狂いなどではありません」
軍内部で、ルーナルドに対して一番反発していたのは実はシグルドだったのではないかと思う。
ルーナルドがたてる作戦にはいちいちとけちを付けた。
もっと効率の言いやり方があると何度も反発した。
誰も考えつかない奇抜な作戦がうまくいくわけがない、と深く考えることなくいつも悪態をついた。
なのにその度にルーナルドは丁寧に説明を付け加えてくれた。
ただの仮の部隊長。平民同然の一介の兵士にしか過ぎないシグルドの意見を真面目に聞いて、時間を割いてまで言葉をつくしてくれたのだ。
王侯貴族など大嫌いだった。
実力も知識もなく威張り散らすだけの存在だと信じて疑わなかった。
だからルーナルドの比類なき強さを目にしても、その真面目な人柄に触れても、一切信じようとしなかった。
そうして一ヶ月前・・・。
ルーナルドの命令を無視して、独断で自部隊を動かした結果。
シグルドの部隊は完全に孤立し全滅の危機に瀕した。
なんとか部下達だけでも逃がそうとしたが、それも叶わず。死を覚悟した。自分の浅はかさを痛感した。
ルーナルドの考え、やり方こそが最善だったのだとやっと理解できた。
しかし今更理解したところで、敵の包囲網を抜けられるわけもなく、命令違反を侵した部隊に援軍が来てくれるはずもなく。
自分の判断ミスで死なせてしまう部下に懺悔しながら死を受け入れようとした。
その時。
現れたのだ、そこに。来るはずもない人物が。
誰よりも守られなければいけないはずの最高位の人間で。
軍の要である最重要人物で。
そして誰よりも尊い血筋の人間、ルーナルドが。
単騎で駆けつけたルーナルドは、敵の包囲網を切り崩し退路を確保してくれて。
そのおかげでシグルドの部隊は無事撤退することができた。
怪我人こそいたが死亡者は一人もでなかった。
そして。
敵の猛攻を最後尾で一人で引き受け押さえ込んだルーナルドは、瀕死の重傷を負った。
どこもかしこも傷だらけの血だらけで。生きているのが不思議なくらいの傷だった。
ルーナルドには返しきれない恩がある。
生まれや育ちで、ルーナルドの人格すべてを否定し、逆差別をていたのはシグルドの方だ。
曇りきった目をきちんと磨いてみれば、綺麗で強くて優しい、不器用過ぎる男の姿しか見えてこないのに。
「誰よりも偉大で強い人格者。であれば次代の王は兄上こそが相応しい、と? わたしではなく?」
「・・・・・・・っ・・・」
カーティスのその言葉が聞こえた瞬間、ドスンと頭を鷲掴みにされ、地べたに押し付けるかのごとく、凄まじい重圧がのし掛かってきた。
実際には、かの王子は指一本動かしていない。シグルドの体に触れるどころか近づいてさえいない。
なのに向かってくる圧が強すぎてまともに息ができない。喉元に鋭利なナイフを突きつけられているかのようだ。
「・・・・・・答えろ。次代の王に相応しいのは誰だ?」
「・・・・・・・・・・そ・・・れは・・・・」
カーティスから放たれる強烈な圧が、『望む答え』を今度こそよこせと強要してくる。
こちらを鋭く睨みつけてくるアイスブルーの瞳。
おそらくこれが最後の確認なのだろう。
これで『望む答え』を言えなければおそらくシグルドは・・・・。
ごくっと喉がなった。
もう飲み込む唾さえでてこない。頭がくらくらする。
───・・・けれどそれでもルーナルドを裏切れない。
一度唇を引き結び、覚悟を決めて開きかけたとき。
「・・・ああ、そういえば・・・」とカーティスがわざとらしく呟き、視線を横にずらした。
その先にはいつもシグルドが使っている食卓がある。そしてその上には、赤い小さな鞄。
シグルドの妹が愛用している鞄。
「お前には妹御がいるんだったな。とてもかわいい妹だ。よく・・考えて返事をしろよ?」
ゆっくりと足を組んだカーティスが、冷たく笑う。
その言葉の意味を理解した瞬間、かっとシグルドの頭に血が上った。
なぜ妹がいることを知っている? なぜかわいい妹だ、なんてわざわざ告げる?
決まっている。
ここで妹に会った、と暗に伝えているのだ。
そして。
『よく考えて返事をしろ』
一度帰ってきたはずなのに、ここにいない妹。床にこびりついたいくつもの血痕。
わかりやすく脅されている。自分の側につかないと、妹の命はない、と。
「・・・・・・・っ」
「10秒やろう。それまでに答えを出せ。・・・・よく、考えろよ?」
免疫のないか弱い女子供など、あっという間に気絶してしまいそうなほどドスのきいた低い声。
こんな冷徹な男の手先に、今も妹は捕われている。
「10」
どこでどんな事をされているのか想像するのも恐ろしい。
まさか楽しく町で買い物をしているわけがない。
きっと暗くて狭い部屋に閉じ込められてでもいるのだろう。
「9」
騎士の家に生まれ育ったのだ。普通の女性よりも気は強い。けれど一人さらわれて平気なわけがない。
「8」
大事な妹。家をでて二人で頑張ってきたのだ。その妹の命までもが、自分の返事にかかっている。
「7」
きっとかの王子は今までもこうやって、大事な人を質にとり問い掛けてきたのだろう。
『お前が王に望むのは誰だ』と。
体を拘束し、圧をかけ、大事な人間を人質にまでとって、答えを迫る。
「6」
そうして今まで行方不明になった58人の軍人は、おそらくカーティスの『望む答え』を返さなかった。
「5」
権力や脅しに屈せず、自らが主にと定めた人間を決して裏切らず。
強い信念の元にきっと全員がこう告げた。
「わたしが王にと望むのはルーナルド殿下です」
と。
「・・・・・ほう・・・?」
ぎらりと刃物のような光を帯びるアイスブルーの瞳を、負けじとにらみ返した。
「次代の王は我が兄上こそが相応しい、と?」
「はい。ルーナルド殿下こそが王になるに相応しい人物であると思います」
間をおかず、きっぱりと言葉を返す。
きっと次の瞬間にも、この首ははね飛ばされるだろう。妹もきっと殺される。
けれどそれでも絶対に譲れないものがある。
騎士の家に生まれ騎士の誇りを持って生きてきた。
たとえ大事な妹の命を引き合いに出されたとしても、恩義あるルーナルドを裏切れない。
そしてこの国の未来を思えば、ルーナルドこそが王になるに相応しい。
妹には向こうの世界に行ってから平謝りするとしよう。きっと許してはもらえないだろうが・・。
そう思った。
その時。
カーティスの目が細まり、その口元がゆっくりと弧を描いた。
「───・・・よく、わかっているじゃないか」
「は?」
今のは聞き間違いか?
「そうだ、我が兄上こそが王になるに相応しいお方だ」
「・・・・・え?」
理解がまるで追いつかない。
この王子は、王になるために兄王子が邪魔で。その兄王子の味方になる人間をことごとく潰しに来ているわけで。なのになぜこんなに嬉しそうに顔をほころばせているのか。
それはもう、先程までの仏頂面が嘘のように目をキラキラとさせている。
「合格だ、放してやれ」
ちらっとカーティスがシグルドの後ろに視線をやった。途端に見事なまでの拘束が解かれ、体が自由を取り戻した。
「いやぁ。シグルドさん、5秒は遅いっすよ。俺なんか即効で答えましたからね」
「ルーナルド殿下最高、って」と。冗談なのか本気なのかわからない、微妙な事をこの空気の中平然と言ってのけるその人物を見て、シグルドは言葉を失った。
「・・・お・・お・・ま・・・」
シグルドの真後ろ。立っている位置から言って、たった今までシグルドを拘束していた人間。
見覚えのある顔、聞き覚えのある声。そして空気をあまり読まないこの感じ。
「・・・フィ・・フィル!」
三日前行方不明になったシグルドの友人。
もう殺されたものと思っていた、ルーナルドを慕う軍人だ。
「いやぁ、残り五秒でもたいしたもんだ。俺なんかぎりぎりでやっと答えられたからな」
そういって座り込んだままのシグルドを立たせようと手を差しだしてくれた人物をみて、今度こそシグルドは叫び声を上げた。
「テオ!!」
一番最所に行方不明になったと思われたテオ。
そしてその横には行方不明リストに名が乗っていた数名の軍人の姿もある。
「は・・・? ・・え・・・? ちょっと待ってくれ、理解が追いつかない・・・」
「まあ、そうっすよね。俺も最初はずいぶん混乱しましたからねぇ」
と、軽い感じで笑うフィル。
今までシグルドを容赦なく拘束していたのはフィルで。
そう、フィルは確かに軍の中でも飛び抜けて拘束術がうまい人間だった。
そしてその横には、行方不明とされていた人間が何人もいる。
明らかに彼らはカーティスの命令に従っていて・・・。
けれど彼らは言動や行動からいって、確かに今でもルーナルドを慕っている・・・。
カーティスとルーナルドの関係は最悪のはずで。
カーティスはルーナルドを亡き者にしようと暗殺者を送り付けている。
そこまで頭を整理して、ちょっとまてよ、と小さな疑問が浮かび上がる。
そもそも本当に二人の殿下の関係は『最悪』なのか?
カーティスは本当に暗殺者を送り込むほど兄王子を嫌っているのか?
思い返してみれば、カーティスはルーナルドのことを最初からずっと『兄上』と呼んでいたのに・・・?
嫌いな人間を、そんな敬意を持って呼んだりするだろうか?
真意を探ろうとゆっくりとカーティスへと視線を向ける。
するとなぜだか、カーティスの後ろにずっと控えていた側近が、随分と焦った表情で告げた。
「で、殿下、そろそろ執務に戻っていただかないと」
言っていることは至極もっともだ。優秀と評される王子には、やるべき事がきっと山積みで。こんなふうに自ら一軍人の、それも王都の外れにある家に尋ねてくる時間など本来はないはずなのだ。
なのにそれでもカーティスは自らここへ足を運んだ。
一体何のために?
「殿下、早々に城へとお戻りください、時間が押しております」
「ああ、わかっている。ではいつもの通り、後始末をしろ。塵一つ残すな」
「承知いたしました」
そうして恭しく一礼した側近が、いそいそと床に散らばった本を拾い上げていく。
フィルが、箒を取り出して床に散乱した食器類を片付け、アレンがこびりついた血糊を拭き落としていく。
驚いたのは、カーティス自らもせっせと掃除をしているという事実で・・・。
「あの、殿下・・・。一体何を・・・?」
呆然と問い掛ければ、じろりと睨まれた。
「見てわからないか?」
いえ、わかります。わかりますとも。掃除、ですよね。ですがなぜ掃除されているのか、それを知りたいのですが。
心の中だけで呟いた言葉が聞こえたように、カーティスは言葉を付け加える。
「勝手に邪魔をして散らかしたのだ。後始末をするのは当たり前だろう?」
「・・・・・・」
意味がわからない。
え、ってか、妹は・・・? 掃除よりとにかく妹の安否を教えていただきたいのだが・・・。
「ただいまーって・・・あれ、まだちょっと早かったかな・・・?」
バタンと盛大な音を立ててドアが開かれると同時に聞こえてきた元気な声。
それはまさしく・・・。
「ア・・・アナ!!」
「ヤッホー、お兄ちゃん。ちゃんとカーティス殿下のテストに合格したでしょうね?」
「・・・は?」
「まさかわたしの命惜しさに、誇りを捨てたりしなかったでしょうね?」
「はあ???」
「お兄ちゃん、悪態ばっかりつくけどほんとはわたしのこと大好きだもんねぇ。でもだからって・・・」
「ちょ、ちょっと待て、意味がわからない。・・・とりあえず、カーティス殿下! あなたは一体兄君のことをどう思っていらっしゃるのですか?」
そう口にした瞬間、場が凍りついた。ひゅうと締め切られたはずの部屋に冷たい風が吹き、温度が二、三度ほど下がった気さえした。
突き刺さる非難めいた鋭い視線。あちこちから聞こえる大きなため息。
異様な空気の中、ゆっくりとこちらを振り返る、絶世の美貌を持った第三王子。
そのアイスブルーの瞳が獲物を捕らえたと言わんばかりにゆっくりと細まった。
「どう思っているか・・・だと?」
「で、殿下、時間が押しております。すぐに城へと戻っていただきたく・・・・」
「いいか? 兄上ほど素晴らしいお方は他にはいない。お前達軍人は兄上と寝食を共にし、優位にたっているつもりかもしれないが、わたしは実の弟であり・・・・・・・」
あ~、うん、わかった。これはあれだ。
目をキラキラさせて嬉しそうに兄のことを話すカーティス。
自慢げに、誇らしげに、そして親しげに。
自分こそが兄の一番であると主張するその姿。
・・・なんかほほえましい・・・。この殿下、実はお兄ちゃん大好きなんだ・・・。
いつ息継ぎをしてるのかと心配になるほど、よどみなく嬉しそうに。そして時に悔しそうに兄のことを語るカーティスをみて。シグルドはひっそりと笑みをもらした。
完全に誤解していた。
嫌っているなんてとんでもない。カーティスはルーナルドを誰よりも慕っている。
ルーナルドの力になる人間を選別するために、忙しい時間を割き、自ら足を運び、厳しい条件を突きつけ、それでも裏切らない人間を『保護』していたのだ。
第一王子ギルバートを推す派閥から、迫害されないように。
カーティス殿下の兄自慢はここから実に三時間にも及び。
『せっかくわたしが、早々に帰るように誘導したのに。余計な質問しやがって』という側近達の恨めしい視線と。
『お前もその質問しちゃったのね、俺達もだよ』という同情めいた視線の中。
シグルドは正座をしつつその話を延々と聞くこととなった。
ちなみに。
後日聞いた話だが、床に散乱していた食器はカーティス殿下がわざわざ王宮で割れたものを集めて持ってきたものであり。執拗に『よそ見をするな、自分を見ろ』と言っていたのは食器が別物と知られるのを防ぐためだったらしい。(なにそれ、せっせと割れた食器集めてるとか、かわいい、か)。
床に落ちていた血はカーティス殿下自らの腕を切ってつけた血痕であり。王子自ら身体を傷つけなくても、と言ってみたが『では変わりに誰かを傷つけろ、と?』と冷たい視線を向けられた。(なんだよ、この王子この見た目でめっちゃ優しいじゃん)。
そして妹はすべての事情を説明されたうえで、カーティス殿下お抱えの近衛兵と楽しく町デートを楽しんでいたのだそうだ。しかも一番好みの男を選ばせてくれるという破格の好条件で。(恐いもの知らずの妹が、ではカーティス殿下がいい、とごねたところ、時間がなく大変申し訳ない、と丁寧にお断りをされたそうだ。・・・妹の図太さがすごい)
その全ての話を聞いてシグルドが思ったのが。
え、この殿下、生き方が不器用過ぎない?
ってか、なに・・・。 こんな冷たい見た目してるのに、カーティス殿下なんか可愛らしい・・・?
だった。
そしてその印象は全員の共通認識になったらしく。
王子でありながら意外と雑に、そして親しげに扱われつつ。
カーティスは兄の助けになるべく、日々動きつづけるのだった。
カーティスが、軍人さん達に結構雑に扱われていたのは、こんな経緯がありました。
次はルーナとユフィの後日談を書きたいです。
またよろしくお願いします。




