鳴り響く鐘の音
ゴーン、ゴーンと、どこかで鐘がなる音が聞こえる。
婚姻を神に告げるための、華やかで明るい音ではない。
もっと重苦しく、厳かで、そして悲しい音。
何度も聞いたことがある。
この音は・・・・。
鳴り響く鐘の音に誘われるように、ルーナルドはゆっくりと瞼を押し上げた。
最初に目に飛び込んできたのは、落ち着いた色合いの天井だった。
自分の屋敷の天井ではない。アッシュの屋敷とも違う。知らない場所だ。
そう判断した瞬間、条件反射のように起き上がった。急に動いたせいか、目眩がひどくぐらぐらと視界が揺れる。
それでも状況確認をしなければと視界を巡らせたところで。
またゴーンという重々しい鐘の音が聞こえた。
腹に響く重低音のそれは、死者のために鳴らされる鐘の音。
死者が迷うことなく向こうの世界に行けるように。残された人間の悲しみと愛情を載せて、いつかまた再会できることを願って鳴らされる鐘の音。
誰かの葬儀が行われている。
鳴り止むことのない鐘の音。
鐘の回数は身分によって異なる。
これほど何度も何度も鐘が鳴らされるという事は、よほど国の主要人物を送っている証拠。
そして。
ルーナルドが今まで寝かされていたこの見慣れない部屋。そこに並べられたいくつもの調度品。
ソファ、ベット、机、敷かれた絨毯から照明に至るまで。
興味がなく知識が薄いルーナルドでもわかる。ここにある全てのものが最高級品だ。
これほどの品を揃えられる屋敷は、そう多くはない。
その最有力候補が、クロス公爵家だが。あの家にこんな内装の部屋はなかったはず。屋敷の雰囲気ともあっていない。
であれば、おそらくここは・・・・。
「・・・・王宮・・?」
ルーナルドが無意識にそうつぶやいたのとほぼ同時に、部屋のドアが開く音がした。
二つ置かれた衝立の向こう。誰かが部屋に入ってきた気配がする。
極力音を立てないように気を使った足運びだ。
侍女や侍従などではない。歩き方一つでわかる。入ってきたのは相当な猛者だ。
ぐらぐらと気持ち悪いくらい視界が揺れ、目を開けていることどころか、起きてさえいられない。
けれど自分が置かれている状況を正確に把握するまでは、呑気にベットで寝転がることなどできない。
せめて今部屋に入ってきたのが誰なのかくらいは確認しておかないと。
そう思って必死でまぶたをこじ開けた。
時をおかずして、衝立の向こうから誰かの頭らしき物が見えた。
その色・・・窓から差し込む光を弾いてキラキラと輝く美しい銀色を確認した途端、ルーナルドの体からは自然と力が抜けた。
自分で思うよりもずっと緊張し力んでいた事実に、思わず苦笑が漏れる。
目で直接見ずとも、魔力を探れば誰かなどすぐにわかったのに。それに思い至らないほどにルーナルドは余裕がなかったのだ。
衝立から顔を出した人物、アッシュはベットから身を起こしたままのルーナルドを見た瞬間、声もなく目を見開いた。
一度ルーナルドの体を確かめるように、頭の先から掛布を被ったままの足先まで視線をやった後。
ようやく安心したのか、嬉しそうに顔をほころばせた。
「ルーナ! よかった、目が覚めたんだな」
アッシュは一も二もなくルーナルドのもとに駆け寄ると、サイドテーブルにおいてあった水差しから白湯をくんで差し出してくれる。
「一人にして悪かった。ちょうど今人手が足りなくてね」
「体調はどうだ?」「どこか体におかしいところはないか?」「ああ、水は一気に飲まず、少づつ飲めよ」といがいしく世話を焼いてくれる義兄に「大丈夫だ」と頷きながらゆっくりと水を飲み込んでいく。
冷たい水が体に染み渡り、それに反応するよう体の機能がゆっくりと動き出した。
どこか夢見心地でぼんやりとしたままだった思考が回り出す。
実母の犠牲、ギルバートの暴走、ユーフェミアの莫大な魔力、そして魔力回路の切断。
起こった出来事、そしてそれにより自分が置かれている状況を思いだし、理解する。
そしてそうなってしまえば、ルーナルドの頭に最初に思い浮かぶことなど決まっていた。
「・・・・・ユフィは・・・・?」
気を失う直前に聞いたアッシュの、そしてカーティスの悲鳴のような声を思いだし、恐怖で声が震える。
あの様子は尋常ではなかった。ルーナルドも恐らく瀕死の重症を負ったのだろうが、同じように必死で名前を呼ばれていたユーフェミアも危ない状況だったのではないか?
悪い想像ばかりが頭をよぎり、血の気が一気に引いていく。
けれど・・・。
「大丈夫だよ」
落ち着いた声で静かに、でもはっきりと告げられた言葉。
アッシュはどんな局面であろうとも、大事なことを誤魔化したり嘘をいって先延ばしにしたりしない。
であれば、アッシュの言ったことが全てなのだろう。
『ユーフェミアは大丈夫』
あれほど厳しい局面だったにも関わらず、約束通りどちらも欠けることなく生きている。
その事実にルーナルドの心が喜びに震え上がる。
そして無事とわかればもちろん次に出てくる欲求は一つしかない。
「隣の部屋で寝ているよ。彼女も昨日目を覚ましたばかりで・・・・」
「会いたい」
アッシュの言葉に被せ気味にいえば、思いきり顔をしかめられた。
「もう少し休んでた方がいい。熱がずっと40度近くあったんだぞ。今は薬でさがってはいるけど・・・」
「一目でいい。頼むからユフィのところに連れていってくれ」
アッシュの目を見て、真摯に願う。
本当に一目でいい。アッシュの言葉を勿論信じてはいるが、それでもどうしても自分の目で彼女の無事を確かめたいんだ、と言葉を尽くして説得を試みる。
数分に及ぶ説得の末、アッシュは眉を寄せてはぁっと大きなため息をついた。
長年一緒にいたからわかっている。これはアッシュが折れた時の仕種だ。
「彼女もさっき眠ったところだから本当に少しだけだぞ」
そう言って、ふらつくルーナルドの体を丁寧に支えてくれて。
アッシュはルーナルドを、ユーフェミアが休んでいる隣の部屋へと連れていってくれた。
天蓋つきの大きなベットのうえで、ユーフェミアが一人眠っている。
顔色は青白く、お世辞にも元気そうとは言えなかったが。それでも掛布が規則正しく上下に揺れていることから、彼女が生きてちゃんとそこにいることがわかった。
「・・・・お前も相当に危険な状態だったけど・・・」
と前置きしてから。
アッシュは苦しそうに眉根を寄せて『その時』のことをルーナルドに教えてくれる。
「彼女の場合は本当に危なかった。外傷はそうでもなかったけど。多分『あの時点』で内蔵が相当にやられていたんだと思う・・・」
告げられた言葉に、一瞬息が止まる。
「王宮に運ぶまでの間に、何度か呼吸が止まって・・・・。その度になんとか息を吹き返したけど・・・」
本当に、後数分ここに到着するのが遅かったら・・・。そしてカーティス殿下がフルポーションを使ってくれなかったら・・・多分・・・。
そこで不自然に途切れたアッシュの言葉の先。
『多分ユーフェミアは死んでいた』という言葉が容易に想像できて。
その訪れることがなかった未来を脳裏に見て、背筋が震え上がる。
「でももう大丈夫だ。昨日ちゃんと目を覚ました。少しぼんやりとはしているが魔力回路を切断すると数日はそういう症状が出るらしい。意識も記憶もしっかりしている。もう心配ない」
「・・・・・そう、か・・・」
青ざめた顔で頷くルーナルドを、心配したのか。
アッシュのいつもよりワントーン高い、力強い声が響く。
「ついさっきも、王妃殿下のご葬儀に末席でいいので出席したい、なんて言い出したものだから。悪いけど強めの睡眠魔法で眠ってもらったんだ」
とてもまだ歩けるような状態ではなかったからね、とアッシュが困ったように肩を竦める。
イザベラのことを話すアッシュの表情は柔らかく、それでいて悲しげだ。おそらく誰かから色々と話を聞いているのだろう。
だからずっとルーナルドの前では避けていた実母の話をあえて今した。
王妃殿下の葬儀、とさりげなく・・・。
つまり、今行われている葬儀はルーナルドの実母の葬儀。
そしてユーフェミアは自分の体さえ満足に動かないのに、その式に参列しようとしてくれた。
母の冥福を祈ってくれた。
そう思うだけで、突き上げるような愛しさが体中から込み上げて来る。
「ユフィ・・・・」
ゆっくりと寝台へと近づき、眠る彼女の髪を一房手に取った。
まるで日の光を集めたような美しい金の髪。柔らかくすべらかなそれに、心を込めて口づける。
睡眠魔法をかけられたのであれば、しばらくは目を覚まさない。術者がアッシュだというなら尚更。
だからなにを言ったとて、眠る彼女の耳には届かない。
わかってはいるが、それでも今伝えたい。
「無事で・・・無事でよかった、ユフィ・・・」
これからもユーフェミアと生きていける。それはどれほど素晴らしい世界になるだろう。
ずっとそんな未来を夢見ていた。ずっとそれだけを願っていた。
けれどどうやら神様に嫌われているらしいルーナルドには、その夢は果てしなく遠かった。
叶えられないと思った。潔くあきらめ手放そうとした。けれどどうしてもあきらめきれなかった。
そんな大事な夢の先をこれから生きていけるのだ。
「ユフィ・・・。ユフィ、愛している」
ユーフェミアの右手を両手でにぎりしめ、溢れ出す思いを言葉にのせて伝えれば。
答えるようにルーナルドの手のなかにある彼女の手が握り返してきた。
「・・・・ユフィ・・・?」
そんな馬鹿な。
睡眠魔法は、かけられた直後が一番効果が高い。しかもあのアッシュが強めに魔法をかけた、といったのだ。
だから目覚められるわけがない。
なのに。
起きるはずがないのに、覗き込んだユーフェミアの瞼がふるりと揺れて。
ゆっくりと持ち上がった。
宝石のよりも遥かに美しい緑色の瞳が数秒虚空をぼんやりと見つめた後。
ゆっくりとルーナルドのほうへと向けられた。
「・・・・・ルーナルド、さま・・・?」
「ああ・・・。 ああ、俺だ、ユフィ」
「よかった、気がつかれたのですね?」
「ああ・・。君も・・無事で本当によかっ・・・」
ユーフェミアの無事な姿に不覚にも泣いてしまいそうになり、唇をかんで必死で感情を逃がす。
こんなところでみっともなく泣くわけにはいかない。
それでなくてもユーフェミアには情けないところばかり見せているのに。
「ルーナルドさま・・・」
「うん? なんだ、ユフィ?」
「何度も命を救っていただいて、ありがとうございました」
「・・・・・・・・っ。 礼を・・・礼を言うのは俺の方だ・・ユフィ・・・」
────・・・・生きていてくれてありがとう。
心の底からの思いをまっすぐに伝えれば。
ユーフェミアが答えるように穏やかに微笑んだ。
「ユ・・・・・」
ユフィ、と呼びかける言葉を遮るように、ゴーンとまた鐘の音が重く鳴り響く。
イザベラを。ルーナルドの変わりに病を背負い、散ってしまった魂を、向こうの世界へと送る鐘の音が。
育ての親の時には、葬儀にすら間に合わず送ってあげられなかった。
今もあの葬儀の参列者の一番前ではカーティスが一人で母を送っているのだろう。
自分のせいだと泣いて自分を責めていた弟が、たった一人でそこに立っているはずだ。
本当ならルーナルドもそこに、カーティスの隣に立つべきなのに。
けれど今はユーフェミアのことが・・・。
「わたしのことは大丈夫ですので、ルーナルドさまはどうぞ葬儀に参列なさってください」
余りに的確な言葉とタイミングに心を読まれたのかと思った。
けれど考えてみれば、ユーフェミアはいつだってルーナルドの味方でいてくれて。
そしていつだって優しい言葉をかけてくれた。
「大丈夫なんだな?」
念押しすれば、すぐに「はい」と言葉がかえってくる。
「・・・・うん・・・。ありがとう、ユフィ。行ってくる」
「はい、いってらっしゃいませ」
ニッコリと穏やかにユーフェミアが笑う。
その笑顔に後押しされるように、ルーナルドはアッシュに付き添われながら母の葬儀へと向かった。
思っても見なかった兄の参列に涙を浮かべるカーティスと共に並び立ち。
ほとんど会話のなかった、けれどずっと愛してくれた母を送る。
厳かに、そして粛々と葬儀は執り行われた。
そしてその10日後。
国葬により延期となっていた和平会談が無事に開かれ。
その日のうちに両国同意の元、永続的な和平が結ばれた。
ここに300年続いた両国の争いが、ついに終わりを告げた。




