君なら絶対に
こちらを振り返ったルーナルドが、アッシュの顔を見た途端くしゃくしゃに顔を歪めた。
そして苦しさを吐き出すように言う。
「力を貸してくれ、兄さん」と。
ルーナルドがアッシュのことを『兄さん』と呼ぶときは、決まって余裕がないときだ。
ひどく混乱しているとき。悲しいとき。苦しいとき。どうしていいか分からないとき。
一人でなんでも背負い自己解決しがちなルーナルドが、自分の力だけではどうしようもできなくて。
だけど誰かに助けを求めることもできず、心がこれ以上堪えられないほど追い詰められているとき。
ルーナルドは無意識のようにアッシュのことを『兄さん』と呼ぶ。小さい頃からずっとだ。
ルーナルドの『兄さん』は、表情がほとんど表にでない彼の不器用な救難信号と同じ。
しかも今回は、『力を貸してくれ』と泣きそうな顔までして、アッシュに必死で助けを求めている。
大事な義弟、大事な親友。だからそれに答えないわけがない。
もとよりそのつもりで来た。
一人だけ呑気に寝ていて、今まで何もできなかった。
何が起こっているのか正確には把握できていないけれど、状況から察することはできる。
ルーナルドの腕の中。ぐったりとしているユーフェミアから感じる目に見えるほど強力で絶大な魔力。
なぜ彼女がこんな状態になっているのかは分からないが、思い返してみれば今までもひっかかるところは確かにあった。
例えば、ルーナルドが大量に喀血して倒れた時。
彼女の魔力はルーナルドが張った強固な結界を突き破ってアッシュに届いた。
あんなことはルーナルドの魔力を上回っていないとできない。
魔法の練習をしていて、考えごとに夢中になった彼女が魔力切れを起こしたときもおかしかった。
アッシュは万が一にもそのような事故がないように、注意深く見守っていたのだ。
なのにユーフェミアは突然魔力供給がぷつりと途絶え、魔力切れで倒れた。
通常の魔力切れはあんな過程では起こらない。
それらの事実と、現状を照らし合わせ導き出される結論は・・・。
『ユーフェミアは生来莫大な魔力をもっていて、誰かに封じられていた』
それはなぜか。
今の彼女の状態を見れば、考えずともわかる。
あれほどの魔力は、人には絶対に持ち得ない。体がその負荷に堪えられないからだ。
だからユーフェミアはその魔力を封じられていたし、今もルーナルドがそれを懸命に封じようとしている。
魔力の元である、魔力回路を切断するという方法で。
術者と対象者、双方に相当なリスクを伴う随分乱暴な方法だとは思うが。
ルーナルドが『それしかない』と判断したのならそれが最善なのだろう。
であるならばアッシュはそれがスムーズに成せるように全力でサポートするだけだ。
「ユーフェミア」
声をかければ、ルーナルドの腕の中にいたユーフェミアが青白い顔をアッシュに向けた。
目が合えば、額にびっしりと脂汗を滲ませながらも、ほんの少し表情を和らげてくれる。
「・・・よかった、お気づきになられたのですね。体調はどうですか・・・?」
こんな時にまで最初に出る言葉がアッシュを気遣う言葉なのか。
「・・・うん、もうなんともない。ありがとう、君のおかげだ」
本当に、あれほど苦しめられた痛みはすべて綺麗に消えて。
目覚めたときには、すっきりとした爽快感まであった。
もう二度と目覚めることはないと思っていた。
妹弟を救えないことが心残りで悔しかった。
自分の命が惜しかった。そして何より彼女と一緒に生きていたかった。
けれどもうどうしようもないと最後には諦めた。
なのにアッシュは目を覚ました。
身体のどこを探してもあの不気味な字は見当たらなくて。
混乱する頭でも、呪いが解けたのだと理解できた。
いや、違う。呪いは『解けた』んじゃない。『解いてもらった』のだ。ユーフェミアに。
おぼろげだが何となく覚えている。
『戻ってきて』と何度も言葉をかけられたこと。『許し』を与えてやってくれ、と自分のことのように懇願してくれたこと。
なにか暖かいものがアッシュの中に流れ込んできて、それが身体に侵食していた呪いを引きはがしてくれたことも。
なんとなくだが、ちゃんと覚えている。
ユーフェミアがアッシュを、リアやトーマを、クロス家を。300年苦しめられた呪いから解き放ってくれた。
もうアッシュ自身でさえとっくに諦めた命を、大事に大事に守ってくれた。
しつこいほど何度もしがみついてくれた。
負けないで、諦めないでと、声をかけてくれたし、そのために行動してくれた。
大事な恩人であり、アッシュの大事な女性。
───・・・こんなところで死なせない。
今度はアッシュが助けとなる。
ユーフェミアがアッシュにしてくれたように、その命をつなぎ止める。
そしてそのためには・・・・。
「ユーフェミア」
声をかければ、辛そうな息遣いの間から「はい」と声が返ってくる。
「自分の魔力を極力押さえ込むんだ」
巨大すぎてルーナルドでさえ容易に手が出せないユーフェミアの魔力。
けれど本人がそれをなるべく押さえ込むことができれば、成功率はぐんとあがる。
問題なのは、あの状態での制御が非常に難しいということ。
大きすぎる魔力を押さえ込むのは、自由に使うことよりも遥かに難しい。
けれど誰かが外から干渉し、上手に導いてやればできるはずだ。
「魔力制御の仕方は一緒に練習したよね? 魔力が少なかろうと多かろうとやり方は一緒だ」
そう、やり方は同じ。
ただあれだけの魔力では難易度か跳ね上がる。
でもきっと出来る。
一緒に魔法の練習を何日もした。
何度失敗しても彼女は決して諦めず、真剣に丁寧に取り組み、最後には細かい魔力制御ができるようになった。
なら今回だってきっとできる。
その道標は───・・・。
「僕が手伝う。それに習って魔力を押さえ込むんだ」
「できるよね?」と目をみて問いかける。
けれど答えなんて聞かなくとも分かっている。
彼女なら絶対に───・・・。
「はい、アッシュさま」
───・・・うん、思った通りの返事だよ、ユーフェミア。
 




