命の天秤7
「待っていろ、今助ける!」
迷うことなく告げられたその言葉に、ふいに泣きそうになって。目に力を入れて、必死で涙を追いやった。
ここで泣くわけには絶対にいかない。
そんなことをしてしまえば、ルーナルドはユーフェミアを助けようとしてしまうかもしれない。
それだけは絶対にダメだ。
ユーフェミアを助けようと思えば、もう一度魔力回路を切断するしかない。
けれどそんなことをしてしまえばルーナルドもただではすまない。
以前魔力を封じられたのはまだ六歳で、その力も発展途上だった。
それでも。
万全の準備をして、人員を最大限動員し、当時ユーフェミアの次に最大魔力を誇っていた兄が主体となって行ったそれで。
兄イシュレイは、凄まじい跳ね返りの力をその身に受け瀕死の重症を負った。
あれだけ念入りに計画されてさえ、そうだった。
今は何の準備もなされていない。人員だっていない。なによりユーフェミアの魔力があの頃の非ではない。
身体の中から後から後からあふれて来る。
これほどの魔力の中、いくらルーナルドでも回路を正確に断ち切る事などできるわけがない。
体がずたずたに引き裂かれて終わってしまうだけだ。
ルーナルドだってそれはわかっているはず。
成功率は著しく低く、そのくせ負うリスクは高すぎる、と。
それでも全てを理解したうえでなお、義理堅い彼はユーフェミアを助けるために動こうとしてくれるかもしれない。
だからその選択肢を前もって潰そうとした。
ユーフェミアにはもう望みはないのだから。
ルーナルドを煩わす前に彼の前から消えようとした。
なのにそれさえもルーナルドに阻まれてしまった。
ユーフェミアだって勿論死にたいわけじゃない。希望があるならそれに縋ってでも生きたい。
夢があるのだ。どうしても叶えたい夢が。
でもその未来を望むことが、大事な人の命を脅かすとなれば話は別だ。
そんな危険を伴う未来ならいらない。
だだルーナルドの手助けがしたかった。
ルーナルドに生きてほしかった。
それを一心に望んでいるユーフェミアが、ルーナルドの命を脅かすなど絶対にあってはならない。
だからルーナルドの命を脅かすような助けは・・・。
「必要ありません」
言った瞬間ルーナルドのあまり動かないはずの表情筋が崩れ、絶望感を漂わせた。
きっと聡い彼はこの一言だけで全てを悟ったのだろう。
決してそんな顔をさせたかったわけではない。
けれどしょうがないではないか。
自分の命とルーナルドの命。
二つを天秤にかけてみれば、簡単にルーナルドの方に傾いてしまったのだから。
ユーフェミアの言葉を受けてルーナルドがゆっくりと顔を伏せた。苦しそうに寄せられた眉や、引き結ばれた口元、その場に呆然と立ち尽くすその姿が、一人で泣いていたかつての彼を思い出させてツキリと胸が痛む。
きっと彼はユーフェミアの死を悼んでくれるだろう。
・・・けれどきっとそれも一時だ。
今ルーナルドの周りにはたくさんの人がいる。話を聞いて彼の支えとなる人間はいくらでもいる。
幼い頃はユーフェミアが彼の話を聞いて慰めた。一緒に遊んで未来の話をした。
けれどもうそれはユーフェミアの役目じゃない。
これからのルーナルドを支えるのは、ユーフェミアではない。
その事実にほんの少しだけ胸が痛むけれど。
泣いていた彼がやっと居場所を手にしたのだと思えば、それ以上の幸福感に包まれた。
ピシッと鋭い音を立ててまた口腔内が切れた。
溢れ出た血液が、口の端しから流れそうになり慌てて袖口で拭う。
ルーナルドは覚えているだろうか。
カエルが飛んできたと言って泣いていたユーフェミアに『ユフィの笑った顔がすきだよ』といってくれた事。
ユーフェミアは何気ないその一言がとても嬉しかった。
だからせめて最後まで口元だけは綺麗な笑みをかたどっていたい。
血を拭った後意識して、口角をあげる。
そしてわずかな静寂の後・・・・。
「・・・・そうか・・・。それが君の選択か・・・・」
とても低い声が聞こえたと同時に、ルーナルドがゆっくりと顔をあげた。
鋭く光る金の瞳。引き結ばれた口元。
強い決意に満ちたその表情に、ゆらりと彼の身体から目に見えない何かが立ち上ったような錯覚さえ覚えた。
「君は俺を守るために『助けは必要ない』、などと言い出したようだが・・・」
金の瞳が射抜くようにまっすぐにユーフェミアを見て、そして獲物を狙うようにゆっくりと細められる。
「あいにくと俺は二度と君を手放す気はない」
「・・・・・・・」
ルーナルドはいったいなにを言っているのか。まるで理解ができない。
唖然としたまま言葉を返せないでいるユーフェミアにルーナルドはゆったりと妖艶に微笑んだ。
あのめったに動かない表情筋であんな顔もできるのだと、さらに唖然としていると。
「君がここで死ぬというのなら、俺も一緒にいく。共に死ぬか、共に生きるか、俺にはそのどちらかの選択肢しかない」
「な・・・・」
「・・・そうだな・・・。死後の世界は花が咲き乱れる美しい場所だと聞いたことがある。二人でそんな場所を歩くのも悪くない」
「・・・なにを・・言っているのですか・・・」
本当に、ルーナルドはいったいなにを言っているのか。
彼には心底慕っている弟がいる。アッシュもいる。
ユーフェミアのかわりなど沢山いるのだからユーフェミアに固執する必要などない。
なにより一緒に死ぬ、なんてそんなことをすれば・・・・
「母上様の思いを無駄にするおつもりですか」
自分の命をかけてルーナルドを救った彼の母。
ルーナルドのその発言はその彼女の行動を無駄にするもので・・・。
ユーフェミアの言葉に、ルーナルドの顔から笑みが消える。
思い直してくれたか、一瞬そう思ったけれど続いた言葉は・・・・。
「・・・そうだな・・。母上には向こうに行ってから心より謝罪しよう」
「な・・・」
言葉が続かない。ルーナルドはこんなふうに誰かの思いを軽んじるような人間ではないはずで・・・。
呆然と見つめる中、ルーナルドが一歩こちらに足を踏み出したのが見えた。
ダメだ、近くに来させてはいけない。
噴き出しつづける魔力に圧をこめ、ルーナルドの動きを封じる。
強すぎる魔力はそれだけで人の動きを簡単に止められる。
なのに・・・。
簡単に止められる、そのはずなのにルーナルドはほんの一瞬だけ歩みを止め身体を揺らしたけれど。
また何事もなかったかのように一歩こちらに足を踏み出した。
「・・・・どうして・・・」
体は硬直して動かなくなるはずなのに。それだけの圧力を何度もかけているのに。
なのにルーナルドはその度にほんの一瞬よろめくだけで、一度だってその歩みを止めない。
まっすぐにユーフェミアを見つめたまま、距離を縮めてくる。
これ以上近づかれてはいけない。離れなくては。
そう思うのに、ユーフェミアの方こそ美しい金の瞳に捕らわれ身動きがとれない。
「なあ、ユフィ・・・【約束】・・・しただろう?」
今度は少し甘えるように、コテリと首を右に傾けてルーナルドは優しく微笑んだ。
【約束】・・・。
幼い頃、あの花が咲き乱れる夢のように美しい場所で。
『困ったときは必ず助ける』と彼は【約束】してくれた。けれど彼にはもう・・・・。
「十分すぎるほど助けていただきました。もうこれ以上・・・・・」
「違う、そうじゃない」
ユーフェミアの言葉を遮って、ルーナルドが首を横に振る。
・・・違う・・・?
では【約束】とは・・・。
「世界が平和になったら・・・『ずっと一緒にいて世界を旅して回ろう』と、そう【約束】しただろう?」
ルーナルドの言葉にユーフェミアの心臓が一際大きく飛び跳ねる。
平和になった世界で、エトと・・・ルーナルドと一緒に世界のいろいろなものを見て回りたい。
それはユーフェミアがずっとずっと夢みてきたことで・・・。
「・・・・覚えて・・いらしたのですか・・・」
もうその【約束】は忘れていると思っていた。
ユーフェミアが『将来を約束した殿方がいる』といったときも彼は無反応だったし。
ルーナルドにあの頃の思い出を全て聞いたんであろうアッシュも、その【約束】については一言も触れなかった。
だからルーナルドはもうそのことは忘れてしまっているんだと、そう思っていたのに・・・。
「勿論だ。忘れるわけがない。それは俺の夢、だから」
ニシャリと口角をあげて、子供のようにルーナルドが笑う。あれほど表情を表に出せなかったルーナルドが。
きっとすごく頑張って、言葉と表情でユーフェミアに一所懸命伝えようとしてくれている。
そう思うと胸がギュッと苦しいほど締め付けられた。
「・・・・・君が一緒ならどこでもいいんだ」
そうしてとても穏やかな表情でルーナルドは静かに語る。
見慣れた町の景色でも。道端に咲いたありふれた花でも。何の変哲もない野原でも。
それがたとえ死後の世界であったって。
君と一緒なら俺にはなによりも価値がある。
けれどそこに君がいないのなら・・・。
────・・・俺にとってそんな世界は何の意味もないんだ・・・。
ザクッと土を踏み締める音がして、ルーナルドがユーフェミアの目の前にたった。
「・・・・なぜ、そこまで・・・・」
ユーフェミアは確かに幼い頃一緒に過ごしたけれど。
『恩人』だとルーナルドはそういってくれたけれど。
ここまで言ってもらえる理由がユーフェミアにはわからない。
ただただ困惑するユーフェミアに、ルーナルドは眉根を下げて困ったように微笑んだ。
「ここまで言ってもまだ伝わらないのか・・・。君は意外と鈍いのだな・・・」
そんなことはない。ユーフェミアは狐とタヌキの化かし合いが常である王宮で育ったのだ。
人の心の機微には誰よりも鋭くて・・・・。
「君を愛している」
「・・・・・・・・へ?」
思ってもみなかった言葉に、淑女らしからぬマヌケな声が出た。
恐らく顔も相当ひどかったのだろう。
ルーナルドがフフっと喉奥を鳴らして笑ったのがわかった。
「そこまで意外か・・。割と態度にでていたと思うのだが・・・」
「・・・と言うか」とルーナルドはわずかに顔をしかめる。
「と言うか、いくら恩を感じていても惚れてもいない女のためにここまでのことはしない」
そう言って、目を白黒させているユーフェミアを見てまたフフっと楽しそうな笑い声をあげた後。
ルーナルドは表情を一変させた。
とても真剣な、疑いようもないほどの熱のこもった目でユーフェミアを見つめてくる。
「なあ、ユフィ。必ず助ける。だから・・・頼むから・・・・。俺を信じて・・・・」
────・・・俺と生きる未来を選んでくれ。
まるで言葉に魔法でもかかっているかのように。
一言一言に、ルーナルドの深い思いが込められているのを感じる。
ルーナルドと一緒に生きる未来。
それをずっと夢見てきた。
けれどもうそんな未来は諦めなければいけないのだと思った。
ユーフェミアがそれを諦めなければ、ルーナルドの身に危険が及ぶ。それだけは絶対に嫌なのに。
なのにルーナルドは信じてくれという。
ユーフェミアと一緒でないなら意味はないとまで・・・。
「頼む、ユフィ・・・。『生きたい』、と。そう言ってくれ・・・・」
まるで自分の命がかかっているかのような、ルーナルドの必死の懇願に涙があふれてくる。
こんなにもユーフェミアを思ってくれている。
そんなルーナルドと一緒に・・・。
「・・・・生き・・たい・・」
そう願っても許されるだろうか。
「助けて・・・。助けてください、ルーナルドさま・・・」
そう言って泣いて縋っても許されるだろうか。
ユーフェミアはひどく残酷なことを願っているのではないだろうか。
そう思ったけれど。
「ああ、任せておけ」
そんなユーフェミアの不安を吹き飛ばすように、ルーナルドは自信満々の顔で笑った。
読んでくださりありがとうございました。




