命の天秤3
───・・・全員まとめて消えるといいよ。
まるで聞き分けの悪い子供を諭すかのように穏やかに、けれどとても低い声でその宣告は成された。
それとほぼ同時に襲い掛かってくる膨大な魔力が込められた攻撃。
避けなければ。そう思うのに、そこに立つ『謎の男』の強い魔力にあてられ、身体が硬直して動かない。
強すぎる魔力はそれだけで他者の自由を奪う。
生来魔力がほとんどないに等しいユーフェミアは、ここにいる誰よりもはその影響を受けていた。
ユーフェミアが呆然とそこに立ち尽くすその横で、ルーナルドが一瞬で魔法障壁を張ったのが見えた。
彼はつい先程母親を亡くしたばかりだ。声も出せずに泣いていた。ちゃんと立ち直ることすら、きっとできていない。
なのにその亡骸を腕に抱いたまま、それでも周りにいる全ての人間の命を一人で背負い必死で守ってくれている。
あんなに真っ青な顔をしていた。あんなに一人静かに泣いていた。きっと体調もまだ戻っていない。
なのにそんな彼に全てを背負わせて、守ってもらうだけでユーフェミアはまたなにもできない。
なにか、できることがあるはずなのに・・・。
先程からずっと体調が悪い。
頭が痛い。視界が回る。もう立っていることもできない。
でもこんなところでみっともなく倒れて、ルーナルドに迷惑をかけるわけにはいかない。
少しでも役に立たないと。
なんとか自分にできることはないかと視線を上げたユーフェミアは。
それを目にした瞬間、息をのんだ。
笑いなが何度も何度もこちらに攻撃を仕掛けてくる『男』。
その男の腕、その皮膚が急にパックリと割れて赤い血が一筋流れ落ちていく。
ドクッと自分の心音が耳の裏で響き渡るのをユーフェミアは聞いた。
あれを知っている。
あんな風に急に肌が裂け、血が吹き出す光景をかつて嫌と言うほど見た。
・・・・・でもどこで・・・?
わからない。
頭に霧がかかったかのようにはっきりしない。
でも知っている。
これはきっと知識ではない、記憶だ。
なのにどんなに記憶を探っても思い出せない。
もともとたいした記憶ではないのかもしれないし、今この状況で考えるべき事でもないのかもしれない。
でも、どうしても気になる。
今だからこそ、必死で考え、思い出さなければいけないことのような気がしてならない。
ドクドクとかつてないほど自分の心臓が早撃ちを繰り返している。
同時に周りの音が酷く遠くなり、頭にまた靄でもかかってるかのように思考が制限される。
考えなければいけないのに。なのに考えれば考えるほど分からなくなる。
頭痛と耳鳴りがひどい。地面がぐらぐらと揺れて立っていられない。もう限界だ。
そう思ったとき。
ガンっと何かがぶつかる音が鮮明に聞こえた。
あちこちから聞こえる、グシャリと肉がえぐられる鈍い音、苦しそうなうめき声。
そして周囲に広がるむせ返るほどの血の臭い。
それを目にした瞬間、頭の中で不明瞭な映像・・記憶が過ぎった。
視界いっぱいに広がる赤い色。喉が引き攣れたような苦しそうなうめき声。鼻につく血生臭さ。
薄い金色が赤にまみれて・・・。
・・・・・・・・そうだ・・・『あの時』もそうだった・・・。
軍を率いて出陣した兄イシュレイが、側近をかばい瀕死の状態で城に担ぎ込まれたとき。
イシュレイはフルポーションでなんとか命を繋いで・・・・。
そこまで思って、盛大な違和感を覚えた。
いや、違う。
その時も確かにひどい傷だったけれど、回復魔法でなんとか傷が癒えたのだ。
イシュレイにフルポーションが使われたのは、その時じゃない。
もっと、本当にすごい大怪我で。彼の少し薄い金髪も、白い肌も全てが血まみれで・・・。
『ミア・・・』
ユーフェミアは確かにその場にいた。
そしてその時兄は全身から血を流して瀕死の重症を負いながらも、何か言っていた。
ユーフェミアに向かって一生懸命。
『ミア・・・・』
ミア、それはイシュレイがユーフェミア呼ぶときの愛称。
イシュレイはユーフェミアを真っ直ぐに見てそう呼んで、それから・・・・。
『・・・・ミア、今日のことは忘れろ。今までのことも全て忘れるんだ』
そう、言った。確かに、そう。
そして血だらけの手でユーフェミアの頭を優しく撫でてくれて・・・。
『お前が本当にその少年との【約束】を守りたいなら。その少年と世界を見て回りたいなら・・・』
そこでイシュレイは一旦言葉を切って、それから苦しそうに眉根を寄せて・・・。
『まだ、生きていたいのなら・・・今日のことは忘れるんだ。そして二度と思い出してはいけない』
そして自分だってボロボロだったのに、ぎゅっとユーフェミアを抱きしめてくれて。
『お前は生まれながらに魔力がなかった。そう記憶し直すんだ』
そうだ、ユーフェミアは生来魔力がほとんどなかった。
だから魔法がダメなら、と剣の道に進んだ。
けれど記憶にあるイシュレイのその言い方ではまるで・・・。
お前の大好きな魔法を取り上げることになってすまない。
こんな形でしかお前を救えないふがいない兄をどうか許しておくれ。
愛しているよユーフェミア。
そこまで言って、イシュレイは倒れた。
みるみるうちにイシュレイの身体の下には大きな血溜まりができあがって・・・。
もしあの場にフルポーションが用意されていなければ、きっとイシュレイは助からなかった。
その後のことはぼんやりとしていてよくわからない。
けれど今の記憶が正しければ、ユーフェミアは生来魔力がなかったわけじゃない。
イシュレイが取り上げた・・・?
なぜ・・・?
イシュレイがあんなにひどい状態になったのはそれと関係がある・・?
兄は『思い出すな』といった。『忘れろ』、と。
イシュレイはユーフェミアをとても可愛がってくれていた。
どんな突飛なことを言ってもきちんと理由を聞いてくれたし、それが納得できる理由だったなら誰が何と言おうと応援してくれた。
いつだって味方でいてくれたし、助けてくれた。
そのイシュレイがユーフェミアに不利になることを自ら進んでするわけがない。
そこは絶対に信用できる。
で、あるならば・・・。
その『記憶』はイシュレイのいうとおり思い出してはいけないものなのかもしれない。
けれどなぜだかその『記憶』と『理由』が今どうしても必要な気がするのだ。
思考を阻むようにズキズキと頭が痛む。
ぐらぐらと揺れる視界をあげたその先で、また『あの男』の腕の皮膚が裂けたのが見えた。
裂けた皮膚から赤い血が溢れだし、地面へと流れ落ちていく。
その光景が時間を引き延ばされたかのように、ゆっくりと見えた。
カチリと軽い音を立てて、欠けていたピースがぴったりと収まった気がした。
・・・・・・・ああ・・・そうか・・・・。
頭の中にかかった靄が消え、ゆっくりとクリアになっていく。
あれはユーフェミアだ。
六歳までのユーフェミア。
エトと出会った頃のユーフェミア。
まだ大好きな魔法を自由に使うことができたユーフェミア。
そして・・・・。
その身に授かった大きすぎる魔力に身体が耐えきれず、死にかけていたユーフェミアだ。
─────・・・思い出した・・・。
だからユーフェミアは故郷を離れ一人異国にいた。
イシュレイはユーフェミアから魔力を取り上げ、魔法を使えた記憶をも一緒に封じた。
ユーフェミアは魔力が生まれながらに少ないと思い込んで生きてきた。
全てはユーフェミアを救うため。
『不幸なことだよ』
イシュレイがそう言って泣いてくれたのはいつだったか。
ユーフェミアの身をあんじ、その未来を心から心配してくれた。
けれどユーフェミアは自分が不幸だなんて思わない。
それを授かったおかげでエトに会えた。
絶対に叶えたい夢ができた。
そのために日々頑張ってこれた。
そしてこの力があったから・・・。
────・・・大事なあなたをやっと守ることができる。
「命を救っていただいた事、心から感謝いたしますルーナルドさま・・・」
隣に座り込んだままのルーナルドに向かって丁寧に頭を下げた。
いつもいつも助けてもらってばかりだった。
きっとルーナルドはユーフェミアに再会したあの時点で既に、命にかかわるような重い病を患っていた。
それでも助けに来てくれた。
大事な時間をユーフェミアのために使ってくれた。
何度お礼を言っても決して返しきれる恩ではないけれど。
それでも今度こそ。
困ったときには絶対に力になると【約束】した。
だから大事なあなたを守ってみせる。
───・・・例えその後自分が死ぬことになったとしても。
読んでくださりありがとうございました。




