命の天秤2
ギルバートから、とんでもない質量の攻撃が繰り出され、襲いかかってくる。
それをカーティスは兄の傍らで呆然と見つめていた。
確かにギルバートは血筋ゆえに、魔力そのものの絶対量はそれなりに多かった。
けれどそれを扱うための修練を嫌がり、学ばず、努力せず、王族の責任を一切放棄して毎日遊び狂っていた。
なのにそれを諌めるべき馬鹿の母親も、そして国王さえもそれを許しひたすらに甘やかした。
結果、ギルバートは簡単な術式さえ構築できずに成長した。
カーティスが知る限り、ギルバートがまともに使えたのは、イザベラが、そしてカーティスがもっとも嫌悪している《隷属魔法》のみ。
・・・・なのにこれはなんだ・・・?
ビリビリと空気を奮わせ、肌を突き刺してくる程の膨大な魔力。
まともに息をすることさえできず、知らず呼吸が止まる。
こんな質量の攻撃は知らない。とても受けきれない。これは桁が違いすぎる。避けるにしても範囲が広すぎる。どこに避けても避けきれるものではない。
であれば、魔法障壁を。
そう思ったが、あの攻撃を防ぎきれるほどの障壁をそんなに一瞬で構築できない。
周りに立つ兵士の誰もが、カーティスと同じように金縛りにあったまま動けない。
余りに強すぎる魔力に当てられて身体が硬直しているのだ。
このままではたった一撃で全滅だ。
それだけはなんとしても避けなければいけない。
せめて隣にいる兄だけでも、この身を盾にしてでも救わなければ。
身体の自由を縛るように絡み付く魔力を振り払って、カーティスはルーナルドの前にでた。
そのカーティスの視界の隅に、長い金の髪がちらりと見えた。
ああ、でもここにはユーフェミアもいる。
いつもいつも綺麗に身を隠していたはずのカーティスを見つけだしては、得意げに笑っていたあの小生意気なブ・・・あの小生意気な王女も救わなければきっと兄が哀しむ。
なのにカーティスの身体は一つしかなくて・・・。
どちらを優先するかと問われれば兄だ。それは間違いない。けれどあの小生意気なブ・・・小生意気な王女もカーティスにとっては・・・。
無意識に身体が揺れる。兄の前に出たはずの身体が、立ち尽くすユーフェミアの方へと傾いて・・。
と、そのとき、ルーナルドが左手を突き出したのが肩越しに見えた。
瞬時に術式が組まれ、浮かび上がる魔法陣。
それは白く輝く魔法障壁となって、周囲一面を覆い尽くした。
一泊遅れて。
襲い掛かってきた魔法弾と、ルーナルドがたった今作り出した障壁がぶつかり合い、激しい爆発音を鳴らす。
魔法弾はいくつもいくつも打ち込まれた。数秒、数十秒をかけて息をつく間もないほど絶え間無く襲いかかってくる。
その全てをルーナルドが作り出した障壁は受けきった。
とても信じられなかった。
あれほどの強さと数を兼ね備えた攻撃を、あんな一瞬で構築した障壁で、しかもこれほど広範囲に渡って防ぎきれるなんて。
カーティスやルーナルド、ユーフェミアだけじゃない。
あれほどの攻撃にみまわれたにも関わらず、誰一人として傷を負った形跡がなかった。
それはつまり、兄ルーナルドが『誰も切り捨てず、全員を守る選択をした』ということ。
守る範囲が広ければ広いほど、自分にかかる負担は桁違いに大きくなるのに。
それが分かっていて、それでもルーナルドは誰も見捨てなかった。
そんな兄の強さを、そして信念を、誇らしいと心の底から思った。
そして同時に理解した。
ここに連れてきた軍人達の、ルーナルドへ忠誠心の高さ。
それはどこからくるのかと常々不思議に思っていたのだが。
兄のこの強さを、そしてこの信念を目の当たりにしつづけた結果芽生えた、当然とも言える感情だった。
一瞬でも迷っていたらきっと防御は間に合わなかった。
兄は今までもずっとこうやって誰も見捨てず自分の見える範囲全てを救ってきた。
こんな姿を見せられれて心酔するなという方が無理な話だ。
けれどそんなルーナルドの人外じみた強さも・・・・・。
「はは、すごいね。まさか防ぎきるとは思わなかったよ。でも次はどうだろう? その次は? はたまたその次の攻撃は?」
悪いけれどこちらはまだ何百発でも打てるよ、と。
ギルバートの顔をした『何か』が嘲う。
そうあれほどの攻撃をしてきたにもかかわらず、向こうの魔力は全くと言っていいほど減っていない。
つまりあの男が言ったように攻撃は一時として止むことはなく・・・。
バシンとまた攻撃を弾く音が響く。
何度も何度も嘲う男から攻撃は繰り出され、ルーナルドがそれを防ぐ。
こちらから攻撃する隙など一秒だってありはしなかった。
「はは、種明かしをしようか? 君が言ったように私はブランフラン国王ゼノ。私はね、常々思ってたんだよ、果てしない軍事力を誇る君達二国、邪魔だなぁって。共に滅んでくれればいいのにとずっと思ってた」
なのにダメだよ、和平なんてむすんじゃあ。
鉄が特産品の私の国が儲からなくなるし、いつこちらが標的になるか分かったもんじゃない。
だったらいっそのこと、永遠に争いつづければいい。
ハイエィシア最後の王族はここで謎の死を迎える。そしてその屍の中には何故か敵国の王女までいる。
ああ、そういえばアルフェメラスの王弟殿下までいたね。
そんな状況じゃあ、いくらでも邪推できる。和平を望んでいた王女は実はスパイだったのか、とか。
和平をと油断させておいて王族を殺しに来て返り討ちにあったのか、とか?
人は適当に何でも推測する生き物だからね、と。
ギルバートの身体に憑いたブランフラン国王は勝利を確信しているのか饒舌に話しつづける。
「わたしが王に即位して十三年。ずーっとこの機会を見計らってきた」
そのために魔法具に魔力を貯めつづけた。王宮魔術師四十名の魔力を、十三年かけてずっとね。
「ハイエィシア建国以来最強と讃えられたルーナルド王子。君がいかに並外れた魔力を持っていて、優秀な魔術師だろうと。さすがに我が国の魔術師四十名の、十三年分の魔力には敵わないだろう?」
ふふっと、たっぷりと肉のついた顔が醜悪に笑う。
カーティスはゼノにあったことがない。だから元の彼がどんな姿形をしているのかまでは知らない。
けれどきっとその心は腐りきっているのだろうと思う。でなければ、あんな醜悪な笑みが浮かべられるわけがない。
「勝ちがわかりきっている勝負じゃあ面白くないからね。一つヒントをあげるよ。魔力が込められた魔法具はギルバートの身体のどこかに埋め込まれている」
万が一にもそれを破壊できたら、君達の勝ちだよ、とゼノは挑戦的に笑う。
この状況を心底楽しんでいるんだろう。無防備に両手を広げて「さあ剣士の皆さんでも王子殿下でも好きにどうぞ」とこちらを煽って来る。
・・・・・・それが出来るくらいならとっくにやっている!
けれどそれが状況的にも実力的にも出来そうにないから。
一番に離脱させるべきルーナルドに守られ、こうやって手をこまねている。それが歯痒くて仕方がない。
どれだけ素早く動けても、あの攻撃をかい潜って前へは進めない。
仮に運よくゼノのもとに行けたとしても、魔法具を無理矢理壊すにはそれ以上の力をぶつけたたき壊すしかない。
王宮魔術師四十名が毎日魔力を注ぎ込んだという魔法具。
王宮魔術師の起用条件は国によって違う。その実力も魔力の高さも違う。
けれど仮にも国が認めた認定魔術師だ。
魔力は相当に高いはず。その王宮魔術師が何年もかけて作り上げた魔法具。
ゼノの言っていることが本当かどうかはわからない。
けれど確かに奴の身体から立ち上る魔力は凄まじく強い。
この中の誰もそれには遠く及ばない。
最強と言われたルーナルドの体調が例え万全であったとしても、きっと壊せない。
・・・・そんなものはもう、勝機がないと言われたのと同じだった。
せっかくここまで来たのに・・・・。
やっとルーナルドを『兄上』と呼ぶことができた。
ギルバートを誘導し父王を嗜虐させ、やっと自由に動き出せた。
もう少しで母の悲願だった国王の座にルーナルドを据えることができたのに・・・。
こんなところで・・・。
バリンと、甲高い音がして。ルーナルドが張った魔法障壁が粉々に砕け散った。
ルーナルドの顔色は真っ青。荒々しく肩で息をし、額には脂汗がびっしりと浮かんでいる。
無理もない。あれほど強度の壁を、あれほど広範囲に、連続して展開させていたのだから。
もともと病に侵されつづけた身体は体力が尽きかけていた。貧血も相当に進んでいるはず。
そんなボロボロの身体であれだけの魔法を展開させ続けたこと事態が異常だったのだ。
ルーナルドの視線がゆっくりと動いた。限界を超えてぶるぶると震える手が、自分の脇に立っているユーフェミアへと伸ばされる。
「ユフィ・・・にげ・・・」
限界まで追い詰められて気にすることは自分の身の安全でも、カーティスの安全でもなく、ユーフェミアの身の安全。
そのことがほんの少しだけ寂しくはあるが。
しかしそんなことは幼いあの日から分かっていた。
あの頃からずっとルーナルドの中の『特別の中のさらに特別』はユーフェミアただ一人だった。
もうルーナルドは限界。
そして当然向こうの攻撃は一切止むことはない。
丸裸になったこちらに、また無数の魔法弾が襲いかかってくる。
カーティスは右腕を突き出し、丁寧に組み立てた術式を展開させた。
白く輝く魔法陣があらわれて、周辺を覆い尽くす。
先程まで兄が使っていたものと同じ魔法障壁を、兄よりも遥かに時間をかけて作り出した。
見た目は全く同じ。けれど情けないことに強度がまるで違った。
バシンバシンと苛烈な音を立てて、止むことのない攻撃が作り出したばかりの障壁にぶつかってくる。
攻撃を受ける度に、カーティスの身体を突き抜けていく鋭い衝撃。
これは想像していたよりもずっときつい。
こんな攻撃、後数秒も受けきれない。
ピシリと乾いた音がする。
カーティスが作り出した壁が限界を迎える音が。
次の術式を即座に組み立てるなんて神業、カーティスにはできない。
もう攻撃を防ぎきれない。
───・・・それでも絶対に兄上だけはお守りしなければ。
ルーナルドは王になる人間だ。きっと歴史に残る賢王になる。
こんなところで死なせてしまうわけには絶対に行かない。
であれば、カーティス達ができることなどもう一つしかない。
バリンと甲高い音を立てて、カーティスが作り出した障壁が割れた。
それと同時にカーティスは声を張り上げる。
「肉の壁になれ! 絶対にルーナルド兄上をお守りしろ!」
そういいつつ、自らは最後の肉壁となるべくルーナルドとユーフェミアの前に立つ。
哀しいことだが命の重さは同じではない。
今この場で最優先されるべき命は次代の王であるルーナルドと、そして和平の要であるユーフェミアだ。
そしてそのことを、この場にいる兵士全員が承知している。
魔力の圧から立ち直った剣士達がカーティスの指示を受けるより早くに動き出し、ルーナルドの前に立ち塞がった。
医術班が少しでも衝撃を緩和するために剣士達の前に障壁を張る。
・・・・ああでも、きっとあれで防ぎきれない。
哀しいことにカーティスの読み通り、医療班が作った障壁は一度として攻撃を防ぐことなく、呆気なく砕け散った。
無数の魔法弾が勢いそのままに向かって来る。黒光りする魔法弾は底知れぬ恐ろしさがある。
けれど誰一人としてルーナルドの前から動こうとしない。
・・・全くこの局面で誰一人として怯えを見せず、一身に主を守る行動をとるとは・・・。
どれだけ兄に心酔しているのか、とわずかに口元が緩んだ。
もう魔法弾は目の前だ。
この人数でどれほど攻撃を凌げるか。
五回か、十回か・・・。
けれどそのあとは・・・?
それで攻撃が止んでくれればいいが、向こうの残りの魔力量をみればその望みも絶望的だろう。
肉壁は一時しのぎにしかならない。
分かっている。
けれど口惜しいことにカーティス達にはこれ以上の選択肢はない。
それほどに、ゼノを覆う魔力は絶大だ。
「兄上、今のうちに離脱を・・・・・・」
言い終わる前にガン、っと何かがぶつかり合う音がして、攻撃が到達したことを知った。
グシャリと肉が潰れる嫌な音とうめき声が聞こえ、あちこちから血飛沫が上がる。
最前列にいた兵士達が体中から血を流して、バタバタと倒れていく。
息を吐く時間さえなく打ち込まれた次の攻撃で更に数十人が。
その次の攻撃でまた数十人が倒れ、守りの壁がどんどん薄くなっていく。
カーティスが思っていたよりもずっとそのスピードが早い。
ルーナルドはまだ離脱どころか、立ち上がることすらできていないのに。
ゼノの魔力は一向に弱まらない。
攻撃は止む気配はない。
もうルーナルドを守る壁は数人しかいない。
これでは次の攻撃を防ぎきれない。
それでもなんとしても後ろにいる二人を守り切らなければ。
カーティスが再度そう覚悟を決めたとき。
「命を救っていただいた事、心から感謝いたしますルーナルドさま・・・」
この阿鼻叫喚の中で、その静かな声は不思議なほど鮮明にカーティスの耳に響き渡った。
深い感謝の念がこもった優しい声。けれどどこか生きることを諦めたようなその声音にカーティスの胸がざわっ逆立った。
その瞬間。
ドスンと重圧のようなものがのしかかり地面が揺れた。




