命の天秤
「・・・・・・・・・いやぁ、感動的で涙がでるねぇ・・・」
響き渡った耳触りなその声に、一瞬で場が凍りついた。
戦場において、捕虜に逃げられるということは絶対にあってはならないこと。
自軍の行軍ルート、作戦、食料事情にいたるまで。細かい内部情報を、全て敵の手に渡してしまうのことになるのだから。
情報は力だ。たった一人がもたらした有益な情報で、戦局など簡単にひっくり返る。
だから捕らえるなら絶対に逃げられてはいけない。
特殊な状況を除いて・・・例えば嘘の情報を握らせた捕虜をわざと逃がして敵の混乱を誘う、などの場合を除いて、捕虜は皆徹底的に拘束する。
当然身につけている魔法具や武器は全て取り上げ、魔法が使えないように処置したうえで、両手両足の骨を折り、自害できないように猿ぐつわを噛ませ、更に強度の強い縄で身体を後ろ手に縛る。
そこまで徹底して初めて敵兵は『捕虜』となり、『拘束が完了した』といえるのだ。
ルーナルドはそれを全ての軍人に徹底させていた。
非情と言われたこともあったが、情けをかけて自軍が被害を受けては元も子もない。
ここにいるのはかつてルーナルドの指揮下に入っていた軍人ばかり。
当然拘束のやり方もルーナルドの教え通り徹底していた。
ルーナルドも確かにそれを確認した。
他の雑兵のことまでは見なかったが確かに『その男』が完璧な『拘束』をされているのは無意識に確認した。
なのに気がつけば『その男』はそこに立ち上がり、愉快そうに笑みを浮かべて手を叩いている。
まるで質の高い演劇を楽しんだ後のように、うっとりと頬を赤く染めてさえいた。
「子を想う母親というのは、いつどんな時に見ても心が動かされる」
ザザッと土を踏み鳴らす音がして。ルーナルドに跪いていた軍人達が一斉に立ち上がり身構えた。
「申し訳ありません、殿下。拘束が甘かったようです」
視線を『その男』に固定したまま、フィルがルーナルドにわずかに頭を下げたのが見えた。
代表して頭を下げたということは、フィルが『あの男』の拘束に携わったということなのだろう。
フィルは相手の動きを封じ、無力化するのがとてもうまい軍人だった。
だからこそ最重要人物である『あの男』の拘束をフィルが担当した。
けれどその拘束が・・・・。
・・・・甘かった・・・・?
いや、そうじゃない。ルーナルドの目から見ても、拘束は完璧だった。取り残した魔法具は一つもなかったし、縄の緩みもなかった。
『あの男』の元の魔力を考えれば十分過ぎるほどの処置も施されていた。あれでは魔法も使えないはず。
なのに『奴』はそこにいる。
強度が高く簡単には切れないはずの縄をずたずたに切りおとし。
おかしな方向に折れ曲がった足で、苦もなくその場に立ち。
腫れ上がった腕を動かして、楽しそうに拍手を贈り。
そしてやつの魔力量からは考えられないほどの、凄まじい魔力をその身に纏わせて。
その男・・・第一王子ギルバートがそこに立っていた。
ブクブクに太った大きな体を覆う、膨大な魔力。
ルーナルドは腕に母と弟を抱いまま、その男にむけていた目をわずかに細めた。
ギルバート・・・? ・・・いや違う、そうじゃない。
見た目はどう見てもギルバートだが、そうではない。
これはギルバートの魔力じゃない。もっと複数の人間の魔力がぐしゃぐしゃに入り混じったような気持ちの悪い感じがする。
口調も違うし、気配も違う。そして魔力の質も違う上に、その身を覆う魔力量はありえないほど跳ね上がっている。
恐らく中身が違う。
あの身体を操っているのはギルバートじゃない、別の誰かだ。誰かに憑かれている。
ぐしゃぐしゃに混ざった魔力。その中心、一際存在感を放っているその魔力は・・・・。
「ブランフラン国王、ゼノ・・・」
随分と距離があったにも関わらず、ルーナルドの呟きのような言葉が聞こえたのか。
『ギルバートのような何か』は「へぇ」と感心したように声を上げる。
そして腫れ上がった両手を大袈裟に振って、また楽しそうに称賛しはじめた。
「すごいねぇ、君は魔力が視えるのかな? そのとも魔力だけで人物を特定できる?」
あ~、そういえば君には一度あったことがあっただろうか。
でもそれだけで特定できたのかな? さすが王国最強と言われた第二王子様だ。
本当に感心したような声に、クツクツと喉奥を鳴らす笑い声。それに分厚い手と手がぶつかる、乾いた音が重なる。
ルーナルドの呟きをはっきりと肯定したわけじゃない。けれどその物言いは、肯定したも同然だった。
ギルバートの身体にゼノが憑いている。
どうやって?
わからない、そんな術は聞いたことがない。けれど問題なのはそこではない。
もっとも問題なのは・・・・。
「しかしすごい顔ぶれだね。現在残っているハイエィシアの王族三人。完璧と名高いクロス公爵に、エリート軍人達。そして・・・・」
ギルバートの濁りきった目がゆっくりと動いて。
ルーナルドの近くに立っていたユーフェミアをみた。
瞬間、びりっと背筋に電気が走った。長年培った危機管理能力が耳裏でけたたましく鳴り響く。
「和平を訴え続けた、慈悲深く可憐なお姫様・・・」
・・・うん、邪魔だね、と。
信じられないほど低い声でそう呟かれた。脂ぎった顔が醜く、そして楽しそうにゆっくりと歪んでいく。
「君達全員邪魔だよ。だから・・・・」
────・・・まとめて全員消えるといいよ。
その瞬間、ギルバートの身体の前に黒く濁った魔法陣が現れて。
ルーナルド達に向かって無数の魔法弾が打ち込まれた。
ギルバートの身体にゼノが憑いている。
問題なのはその事実でも、そのやり方でもない。
もっとも問題なのは・・・。
ゼノを覆うその魔力量がこの場の誰よりも・・・最強と讃えられたルーナルドよりもはるかに強いという一点のみだった。




