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罪人

もう動かなくなった母親の体を抱き、声を上げることすらできずにルーナルドが泣いている。

全身を奮わせ、静かに涙を流すその姿は、胸が押し潰されそうなほどの悲しみをこちらに伝えて来る。


『もう死にたいんだ』


初めてあった時、彼はそういって泣いていた。

実の親に憎まれている。必要ともされていない。こんな自分なんかもういらないんだ、と。

でも違った。

ルーナルドはちゃんと愛されていた。


やっと心が通ったところだった。母親に深く愛されていたのだと知って。

きっともっと話したいことがあった。「母上」とそう呼びかけたかっただろうし、「ルーナルド」と名前を呼んでほしかっただろう。

なのに二人が心を通わせた時間や、交わした言葉は余りにも少なくて。

静かに泣き続けるルーナルドの全身から、後悔や怒り、そして深い悲しみ伝わってくる。


支えてあげなければ。


母親を犠牲にして一人生き残った。ルーナルドはきっとそう自分を責めている。

そして悲しいことに、そこにどんな想いがあったとしても、その事実は変わらない。

たった一人でそれを乗り越え、立ち上がるには余りにも重い。

誰かが支えてあげなければ彼は今度こそ潰れしまう。


子供のころはユーフェミアが彼の話を聞いた。

側にいて、時には拙いながらも慰めたりしたし、負けないでと言葉をかけた。


けれど・・・・。


今はもう()()はユーフェミアの役目じゃない。


ザクッと土を踏み締める音がして。

ユーフェミアの隣に立っていたカーティスが一歩踏みだし、ルーナルドの傍らに跪いた。


『家族に愛されない』と泣いていたエト。誰よりも家族の愛情に飢えていたエト。

その家族を自分のせいで死なせたと、潰れかかっているルーナルド。

でもまだ彼には『家族』がいる。

彼を慕い、彼の敵には絶対にならないと誓いを立てたカーティス()が。


「・・・兄上、泣かないでください・・・」


ユーフェミアに名前を聞かれ嫌そうな顔で『カース』と名乗った、幼い日のカーティス。

彼はいつもルーナルドの近くに身を隠していた。

ひどく寂しそうな顔でルーナルドを見ているくせに、ユーフェミアが何度誘っても頑なに『行かない』というだけだった。

けれど今思えば、あれは自分の意思で『行かない』と言っていたわけではなく。

誰かの言い付けて『行かない』といわざるを得ない状況だったのかもしれない。

もしそうだったとしたら・・・。

誰かの・・・例えば母親の命でルーナルドと接触することを禁じられていたのだとしたら。

それでもただ近くにいたくてルーナルドの側に隠れていたのだとしたら。

家族に愛されないと泣くルーナルドの側に寄り添っていたのだとしたら。


自分のせいで母親を失ったと潰れそうなルーナルドを支えられるのは、今度こそ『家族』であるカーティスだけだ。


「兄上」


カーティスの呼びかけにビクリとルーナルドの肩が揺れた。

ゆっくりと顔を上げたルーナルドの顔色は真っ青で。

光を完全に失った淀んだ目は、どこか怯えたように虚空を見ていた。

その弱々しい姿は少しでも力を込めればバラバラに砕けてしまうような、余りにも危うい印象を受ける。


「・・・俺が・・憎いだろう、カーティス・・・・?」


虚空を見つめたまま、かすれた声でルーナルドは呟いた。

疑問形で投げ掛けられた言葉だったが、答など既にわかっているような言い方だった。


「・・・俺はお前から・・・大事な母親を奪った・・・さぞ・・・憎いだろうな・・・?」


ギュウッと。腕の中に横たわったもう動かない母親の体を、ルーナルドが更に抱きしめたのが見えた。

その仕種に深い後悔が見て取れて、余計に心が痛んだ。


「・・・・いいえ、兄上・・・」


しばらくの沈黙の後。カーティスが返したのは、キッパリとした否定の言葉。


「わたしは今も、そしてこれからも。ずっと変わらず兄上を敬愛しております」


その言葉に、ハッと小さな嘲るような吐息が聞こえて。ルーナルドの口元がわずかに歪む。


「・・・俺はお前の母親を死に追いやった男だぞ・・・?」


そんな男を慕い愛するというのか?

言外に付け加えられた言葉に、カーティスはわずかに目を伏せた。


「兄上・・・。兄上が母上を死に追いやったと言うのであれば・・・わたしにこそ罪があります・・」


カーティスのその言葉にもルーナルドは反応を示さない。

けれどカーティスは構わず言葉を続ける。


「母上に問われました。『わたしを止めますか』と。わたしはこうなる結果を知っていながらも母上を止めなかった」


母上が兄上のために、病をその身に引き受けようとしていたことも。

死の病に一気に侵されれば、兄上ほど体力のない母上がすぐに命を落とすだろうことも。

そしてそんな母上を見た兄上が、酷く傷つき悲しむだろうことも。

ちゃんと分かっていて、わたしは母上を止めなかった。

分かっていてわたしは、母上の愛を兄上に教えた、と。


カーティスは苦しそうに顔を歪めながら、一気に言いきった。


「わたしがあの時心から『嫌だ』と拒んだなら、母上はきっとその望みを叶えてくれたでしょう」


そしてこれからもずっとわたしの側にいてくれた。

兄上を・・・愛する息子を救う手段を持っていながら、目の前で死なせた。

また何もしてやれなかったと自責の念に苦しみながら、それでもわたしの前では気丈に振る舞い側にいてくれたでしょう。


「・・・けれどそれでは母上は永遠に救われない・・・・」


苦しそうに震えたその声に反応したように、ルーナルドがゆっくりとカーティスの方に顔を向けた。

生気を失った真っ青なその顔を見て、カーティスは困ったように眉を下げた。


「母上は、わたしと違い隠れるのがとても下手なのです、兄上・・・」


急に何を言い出すのかとわずかに顔を曇らせたルーナルドに、カーティスは穏やかな笑みを浮かべた。

その穏やかに笑む右目から、つーっと音もなく涙が流れ落ちていく。


「何度も見ました。隠れて泣いている母上を。兄上の名を呼んで『ごめんなさい』と泣いて詫びている姿を」


母上は隠れるのがとても下手くそで・・・。

そしてわたしは、隠れている人を探し出すのもとても・・得意・・で・・・。

そこまで言ってカーティスは声を詰まらせた。

アイスブルーの右目からもう一筋、そして今度は左目からも涙が滑り落ちていく。


カーティスはいつもユーフェミアよりも先にルーナルドを探しだし側にいた。

本人が言っていたように、隠れるのも、そして見つけるのも得意なのだろう。

心配して誰よりも早く探し出していたのに。なのに(恐らく)接触を禁じられていたカーティスはルーナルドに声をかけることもできなかった。

そしてそれからもずっと。

母親を心配して探し出したのに。自分に心配をかけないように隠れて泣く母の前に姿を見せることもできず、幼い頃と同じように近くに身を隠して寄り添っていたのだろう。

声をかけて励ますこともできず、ただ側にいることしかできなかった。

それはどれほど苦しく、そしてもどかしかったことだろう。


「もう()()することでしか母上は救われないと思いました。そして・・・・」


懺悔するように、カーティスは泣きながら早口に言葉を続ける。


そしてそんな母上の愛を兄上にも知ってほしかった。

ずっと罪悪感に苛まれ笑うことすら自分に禁じていた母上を。

兄上をひたすらに愛していた母上のことを兄上に知ってほしかった。

兄上に『母上』と呼んであげてほしかった。

もう許してあげてほしかった。


「・・そのせいで、今度は兄上が・・自責の念に捕われると分かっていながらわたし、は・・・」


そこまで一気に言って。けれどそこでまたカーティスは言葉を詰まらせた。

穏やかに笑っていた顔はとっくに崩れてぐしゃぐしゃだった。


「罪ならわたしにこそあります」


あのブランフランの屋敷で・・・誰よりも兄上の近くにいたのに何もできなかった。

母上の近くで兄上が受けとるべきだった愛情まで独り占めしていたのに・・・。

なのに母上をお慰めすることもできなかった。

わたしがもし母上と同じ能力を持っていたなら・・喜んでこの身を差し出したのに・・・。

不出来なわたしはそれすら出来ず・・。


「申し訳ありません、兄上・・・。こんな出来の悪い弟で申し訳ありません・・・」


罪ならわたしにあります、だから兄上は何も悪くない。

わたしが母上を見殺しにし、兄上を苦しめた・・・・。

申し訳ありません、申し訳ありません、兄上。

全てわたしがわる・・・・。


その先の言葉は、唐突に途切れた。

ぐいっとルーナルドの左腕が伸び、カーティスの体を引き寄せた。

バランスを崩したカーティスの身体をルーナルドが受け止める。

右手で母親、そして左手で弟を抱きしめながら。

全てをあきらめ暗く淀んでいたルーナルドの目に、ゆっくりと光が差し込んでいく。


「・・・・もう、謝るな、カーティス・・・」


「しかし兄上、わたしは・・・」


「俺と・・一緒に、この罪を背負って生きてくれるか・・・」


その言葉に、ぐしゃりカーティスの顔が歪む。

一緒に罪を背負って生きる。それはきっと辛いことだけれど。


「はい、兄上」


迷うことなく告げられた言葉に、ルーナルドは嬉しそうに泣きながら笑った。




その直後だった。


「・・・・・・・・・いやぁ、感動的で涙がでるねぇ・・・」


パチパチパチ、と大袈裟に手を叩く音と。

余りにも場にそぐわない、陽気で耳ざわりな声が聞こえたのは。










ユーフェミアの予想通り、カーティスはルーナルドと接触することをイザベラに固く禁じられていました。

ついでに万が一にも二人が会うことがないように、カーティスは強い隠蔽の魔法までかけられた上でルーナルドに接近してます。

隠れず堂々目の前に出ていたとしても、その魔法のせいでルーナルドはカーティスを認識することは出来ませんでした。

なのに簡単にその存在をほぼ毎回見つけだしていたユーフェミアは一体何なのかというと、が次回からの話ですね。

また読んでくださるとうれしいです。

ありがとうございました。







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