贄姫4
元気な産声を聞いた。けれど腕に抱かせてもらうどころか、顔さえ見せてもらえず引き離された。
初めてその顔を見れたときは、側妃の策略にまんまとはまり、またイザベラの無力さゆえに、幼い我が子を罵ることしかできなかった。
クロス公爵家に引き取られ、毎月のようにその様子を知らせる手紙をもらっても。
誰かに見られることを恐れて、『ご苦労でした』の一文しか書くことができず。
自らの力だけで困難を払いのけ、自分の地位を取り戻してみせた我が子に優しい言葉の一つも言えず。
あろうことか暗殺者を放たれ毎夜命の危険に晒されていると知ったときも。
犯人に目星が付いていながら表だって批難もできず。
戦場で部下をかばって命すら危うい程の重症を負ったと報告を受けた時でさえ、見舞うこともできなかった。
何一つ、本当に何一つとして母親らしいことはできなかった。
けれど・・・・。
今イザベラの腕の中には、愛しい我が子がいる。
大きくなった。あんなに小さかった幼子が。
クロス公爵に、公爵夫人に、そしてその子供達に。
とても大事にされ、たくさん愛してもらったんだろうなと一目でわかる。
公爵はルーナルドに勉学、剣術だけでなく、人ととして誇りを、上に立つものとしての責任と振る舞いを、そして何よりも愛情を教えてくれた。
それらは全てイザベラでは与えてやれなかったこと。
あのままあの小屋にいれば。
あるいは違う誰かが後見人になってしまっていたら。
ルーナルドはきっとこんなに立派に、人として、剣士として、王族として成長できなかった。
全てクロス公爵のおかげ。
そして・・・。
イザベラは視線だけをゆっくりと横に向けた。
心配そうな顔でこちらの様子を伺う女性。ドロドロに汚れた服を着ていてなお、内側から光り輝いているようだ。
彼女がきっとそうなのだろう。
『指輪を贈りたい相手ができたようで。仰天しておりますが、喜ばしい限りです』と。
いつかもらったクロス公爵の手紙に書かれていた。
『その日を境にポツポツと話しをしてくれるようになり、先日など背中を流してくれました』と。
公爵家に行っても、心を閉ざし言葉を話そうとしなかったルーナルド。
その彼が変わるきっかけを与えてくれたのが彼女なのだろう。
そして・・・。
余命宣告まで受けたルーナルドが、残された時間全てをかけてでも守りたいと願った相手も。
それがまさかアルフェメラスの王女だとは思わなかったけれど・・・。
妙に納得したのも事実だ。
あれ程アルフェメラスに進軍し、力で戦争を終結させようとしていたルーナルドが。
ある時を境に急に軍やめ、和平締結のために動き出したのは。
きっとそのタイミングで幼い日にあった女の子がアルフェメラス王女だと気がついたからだろう。
───・・・ルーナルドにとってあの王女は、それ程に大事な女の子だった。
ルーナルドと彼女はなんらかの【約束】を交わしたようだと手紙には書かれていた。
どんな内容の約束なのかまでは書かれていなかったし、クロス公爵も把握していないようだったけれど。
その【約束】を守るために日々ルーナルドは努力をし続けている、と。
であれば、ルーナルドの成長は。
今の立派なルーナルドがあるのは、ルーナルド自身のひたすらな努力の成果と。
そしてそれを成すための気力を与えてくれた彼女のおかげ。
イザベラが目線だけで友好の笑みを送れば、すぐにそれに気がついて丁寧に頭を下げてくれた。
さすがに一国の王女だけあって、周りをよく見ていて察しがいい。
それから・・・。
美人で穏やかそうで、頭もとても良さそうだ。きっと話しをすればとても楽しい時間を過ごせるだろう。
できればルーナルドに嫁いで来てくれるとありがたいのだけれど。
こればかりは当人の気持ち次第だろう。
イザベラはルーナルドにゆっくりと視線を戻し、愛しい我が子の顔を瞳に焼き付ける。
いつかルーナルドに話してあげたかった。
あなたが生まれた日は朝から雨が降っていて。その雨がようやく止んでちょうど雲の切れ間、綺麗に日が差し込んできたその瞬間にあなたが生まれたんのよ、と。
難産でとても大変だったけれど。
元気な産声をあげて産まれてきてくれた貴方が、ただただ愛おしくて。
毎晩話しかけていたあなたにやっと会えた、とそう思ったこと。
この世で一番かわいい赤ちゃんをこの腕に抱けることが嬉しくて。
わたしは世界中で一番の幸せ幸せものだと思ったこと。
・・・・・まさかその後、こうやって貴方を腕に抱けるまで21年もかかるとは思わなかったけれど・・・。
ルーナルド・・・・こんなわたしを母親にしてくれてありがとう。
わたしを選んで産まれてきてくれてありがとう。
何もできない母親で本当にごめんなさい。
こんなダメな母親だけれど・・・。
まだたった一つだけ、こんなわたしでもあなたにしてあげられることがある。
イザベラはルーナルドを腕に抱いたまま、生涯でたった一度だけ使うことができる特別な術式を展開させた。
複雑な模様の魔法陣がイザベラを囲うようにゆっくりと描かれていく。
ルーナルドが死の病に侵されていると知ったとき、こうしようと既に心に決めていた。
そのために神様がこの能力を授けてくれたのだと、そう思えた。
イザベラが継承した特殊能力。
その能力の継承者は敬われつつも影では『贄姫』と、そう呼ばれ哀れみの目で見られる。
いけにえひめ。
その能力を引き継いだことを幸せだ、なんて思ったことは一度もなかった。
何故それが自分に、と思った。自分の人生に全く必要のない能力だ、とも。
けれど今はその能力を与えてくれた神様に心から感謝している。
そのおかげでイザベラはやっと母親らしいことをしてあげられるのだから。
ルーナルドの変わりに、ルーナルドの体を侵している死の病を受けることで。
大事な我が子を救うことができるのだから。
イザベラやカーティスは王宮でなにもしていなかったわけではなく、影ながらルーナルドを助けるように動いていました。
カーティスが表だってギルバートと派手に王位争いをすることによってルーナに目を行かさないようにしたり。
ルーナが和平を望めば、上手に王をその方向へ誘導したりしてました。
読んでくださりありがとうございました。




