贄姫2
産後の肥立ちが悪く、イザベラはその後数ヶ月ベットの上で過ごした。
何度も何度も夫への面会を申し出た。けれど夫がイザベラの部屋に尋ねてくることはなく。
仕方なくイザベラは愛する我が子の行方を信頼できる侍女に探らせた。
そしてようやくルーナルドと名付けられた我が子が、離宮で無事に暮らしているという確かな情報を掴むと。
今度は我が子を助けるために動き出した。
信頼できる人間がいる。
絶対に誰もが無視できない地位にあり、王すらも無下にできない人間がいる。
この王宮でイザベラと同じように権限を行使し、影ながらでも息子を手助けできる人間が。
イザベラは己のプライドを捨て、夫が好きな馬鹿な女を演じ、夫に甘え擦り寄った。
殺してやりたい。けれどそんなことをすれば、ルーナルドがどうなるかわからない。
失敗すれば罪人の子として今度こそ殺されてしまう。そんな大義名分を与えるわけにはいかない。
どうしても吹き出る殺意をひた隠しにし、何度もその身を差し出し。
そして一年後、ようやく次の懐妊の兆しが現れた。
男の子だろうと女の子だろうと、この子は確かに王とそして正当な王妃の子。
誰よりも王位に近い、王の次に力を持つ子供。そして、王以外のすべての人間を従えられる権限を持つ子供。
本来はルーナルドがそれをもつはずだった。
けれど愛する我が子は産まれた瞬間にそれを不等に奪われた。
今度こそ奪われたりしない。そして、あの子も取り戻して見せる。
九ヶ月後、イザベラはかわいい男の子を産んだ。前回とは比べものにならないほどの安産だった。
張り切って名付けをしようとする夫を上手に転がして。『カーティス』とイザベラ本人が名前をつけた。
カーティス。兄神を必死で支え愛した弟神の名前。あまり有名な神様ではないからきっと知識のうすい夫は知らないだろうと思ってはいたが、案の定だった。
イザベラは飴と鞭を使い分け、精一杯の愛情を注ぎつつ、厳しくカーティスを育てた。
「あなたはには大事な兄上がいます」「兄上をしっかり支え、お助けできるようになるのですよ」と。
毎晩のように言い聞かせた。
そして同時に、夫の体調管理をしっかりと行った。
自ら調理場までおもむき、健康にいいレシピを一緒に考え。
時には乗馬に誘い、運動不足にならないように取り組み。
適度に刺激を与えて、脳を活性化した。
端からみれば、夫の体を気遣う献身的な妻にさぞみえたことだろう。
・・・・その通りだった。
夫の、国王の健康には人一倍気を使った。
病に倒れてもらうわけには絶対にいかなかったから。
そして。
イザベラが愛する我が子を奪われて五年がたったある日。
その日はとても良く晴れた日で、側妃に茶会に誘われた帰りだった。
突然、小さな子供がイザベラの前に転がってきた。
そう転がってきたのだ。
その子共はまともに食事すら与えられていないのか、ガリガリに痩せていて。
歩くことすらままならないほどに弱りきっていた。
この寒空に、身につけているのは物乞いのような、ドロドロに汚れた服とも呼べないような布切れ一枚。
風呂にも入れてもらっていないのか、肌は汚れで浅黒く、髪もベトベトで・・・。
・・・・・・え・・・?
どこの子供だろうと思った。
使用人の子供だろうか。こんな幼子になんという酷いことを。
もっとしっかりと世話をするように言い聞かせて・・・。
そこまで思って、ベトベトに汚れた黒髪を。
そしてこちらを見上げてくる美しい金色の瞳をみて。
イザベラは言葉を失った。
・・・・・・ルー・・ナルド・・・?
まさか、どうして?
あの子は今離宮で暮らしているはず。側妃の宮にいるはずがない。
毎月の報告書にはちゃんと王子教育を受け、問題なくすくすくと育っている、と。
最近ではやんちゃが過ぎて手を焼かされている、と。
そう書かれていた。
陛下もあの時約束してくださった。『離宮を与える』と。『最低限の衣食住を保障する』と。
だから目の前の子は、大事な我が子であるはずが・・・・。
そこまで思って。
イザベラは気がついた。
柱の影からこちらの様子を伺う人物を。本気で身を隠そうなんてきっと思っていない。むしろ見付かることを前提としたような分かりやすい場所にその女、側妃リリアーナがいた。
扇子で口元を隠してがいるが、その顔が醜悪に笑っているのがなぜだかはっきりと見えた気がした。
そして同時に理解した。
ああ、この子こそ自分の大事な息子だと。
あの時無理矢理取り上げられ、この腕に抱くことすらできなかったかわいいかわいい息子だと。
理解した瞬間イザベラは絶叫した。
現実逃避するように視線を背けたところで、古ぼけた小さな小屋が見えた。
確か農具がしまわれていた場所で。老朽化がひどく数年前に取り壊しになったはず。
なのになぜ、取り壊さずにそのままで・・・・?
・・・・まさか・・・。
あの小屋でこの子は生活している・・・? あんなあばら家で?
絶望で目の前が真っ暗になる。
側妃の嫌がらせか。それとも夫の憂さらばしか。
どちらにせよ、かわいい我が子が、あんな場所で、こんな生活を・・・・!
どうして? どうして? どうして?
助けてくれると、そういう約束だった。衣食住を保障してくれると、そういう約束だった。
なのにこれはどういうことか。これが、この状態が最低限というのか?
満足に食事も与えられていない。体を清潔にも保てていない。王子として産まれ、誰よりも尊いはずの我が子がこんな仕打ちを受けていたなんて知らなかった。知らずに今までのうのうと生きていた。
何をやっていたのか。自分は今まで一体何を・・・。
今すぐにでも手を指し述べて、その痩せた体を抱きしめたかった。
ごめんね、と。一緒に母と帰りましょう、と。その手を引いてあげたかった。
けれど自分に注がれるたくさんの視線がそれを押し止めた。
木の影から。建物の後ろから。そして今まで自分が連れ歩いていた侍女達から。
自分を観察する粘っこい視線を感じる。
・・・・・裏切り者が近くいる。
イザベラに偽の報告書を渡した人間が。そしてこうやって側妃の宮に誘いだし、大事な息子と対面させ、イザベラの様子を観察している人間が。
地位を追われるだけならいい。
むしろ喜んで王宮を去ろう。
けれどイザベラは、引き継いだその能力ゆえに絶対にここから逃れられない。
王宮からだされるのは息子達だけ。
今ここでルーナルドの手をとって、王宮を逃げ出すことは可能だろうか?
けれどをそれをしてしまえば、宮に残してきたカーティスの身に危険が及ぶ。
なによりこの国にいる以上、最大権力者に真正面から逆らうのは最大の愚作。
・・・・これはきっと側妃の仕組んだ罠だ。
イザベラを茶会だといって誘いだしルーナルドと対面させ。
我が子に気づいたイザベラが情を見せたところで、それを口実にルーナルドを亡き者にする。
何かにつけてきっとカーティスさえも害するつもりなのだろう。
王位継承権を持っているルーナルドと、そしてカーティスが邪魔なのだ。
・・・・ルーナルドを愛している。
お腹に来てくれたとわかったその瞬間から、今も変わらずにずっと愛している。
けれど一遍たりともそれを見せてはいけない。
ルーナルドを攻撃する口実を側妃に、そして夫に与えるわけはいかない。
「なぜお前がここにいるの?」
イザベラの言葉で幼い我が子の肩がびくりと震える。
「近寄らないで、汚らわしい」
イザベラを見つめる黄金色の瞳に、みるみる涙がせりあがってくる。
抱きしめたいのに。この腕に抱きたいのに。ずっとその時を夢見てきたのに。
なのにそれがどうしても叶わない。
苦しい、悲しい、心が死にそうだ。
でもルーナルドはもっと苦しくて痛くて悲しい。
・・・・・ああ、ごめんなさい、ルーナルド・・・。
力のない母で・・。
こんな形でしかあなたを守れない情けない母で、ごめんなさい・・・。
そしてイザベラは心を殺し、思いつく限りの言葉で愛する我が子を罵りつづけた。




