命の選択2
成人を迎えた日、父と母からカフスボタンとタイピン、剣帯、そしてあの外套をもらった。
この国では男子が成人すれば父からは剣帯、母からは自作の外套を贈られるのが一般的で。
なのになぜ3つもあるのかと少しだけ違和感を覚えた。
そして・・・。
丁寧に包装された外套を箱から取りだし広げてみて、違和感は納得へと変わった。
恐ろしく複雑で細かい刺繍が丁寧に施されたそれ。
何年も前から用意してくれたんであろうそれは。
しかし1年前に成人の儀を済ませたアッシュフォードが贈られたものとは、明らかに違うデザインだった。
形も、色も、施してある刺繍も、全てが違う。
・・・・兄弟であれば似通ったデザインにするのが一般的なのに。
心の冷静な部分が瞬時に答えを弾き出した。
ああ、自分はどれだけ大切にされようと。どれだけ愛されていようと。
・・・・結局のところ他人の子でしかなのだ。
実子と同じような扱いはできない。だからその埋め合わせのために、もう一つ余分に贈り物があったのだな、と。
線引きをされたのだと思った。
愛しているけれど、やはりどこか違うのだよ、と。
この成人を迎えた節目の日に、それを明確に伝える。これはそのため手段なのだ。
だからその後どれほど父と母に「愛しているよ」と言われても。
その言葉に「わかっているよ」と、必死で笑顔のようなものを浮かべ返してみても。
ずっと心は泣き叫んでいた。
「どういうことだ」と、まるで自分のことのように父と母に詰め寄る優しい義兄を抑えこんで。
あの場で表情を一切崩さず「ありがとう」と受けとることが出来たのは、一重にルーナルドの表情筋が他人よりも動きにくかったからだ。
そして、ちゃんと理解していたから。
・・・・そう、わかっている。
一人だけ明らかに顔立ちが違う。名前だって違う。
そんな線引きをいちいちしなくても昔から『俺だけ違う』とちゃんとわかってる。
理解している。納得もしている。
なのに、言うことを聞かない心は泣き叫んだまま。
成人を迎えその日から大人と呼ばれる年齢に達していたのに。弱い心はいつまでも、子供のままで。
・・・・だから気づきもしなかったんだ・・・・。
自分の心を制御するのに必死で。
その時、母がどんな顔つきをしていたのか。いったいどんな思いでそこに立っていたのか。
父がなにを思ってそんな母の隣に寄り添っていたのか。
『お母様からよ』、と。
その言葉の本当の意味にも、そこに込められた思いにも。
そして外套に付与されていた、限界まで重ねがけされた保護魔法の意味にも。
気づきもしなかった。
あの時ルーナルドがもっとしっかりと話を聞いていたのなら。
心に余裕があったなら。もっとしっかりしていたのなら。
何かが変わったりしていたのだろうか・・・。
『・・・ルーナ・・・お寝坊さんね。・・早く起きなきゃだめよ。今ならまだ間に合うわ・・・』
暗闇の中懐かしい母の声が聞こえた気がした。
「・・・・・・・・・・ルド! ・・・・ルー・・・!・・・・ルーナルド!!」
聞き慣れない悲鳴のような甲高い声に、ルーナルドははっと目を開けた。
「・・・・ああ、よかった。・・・ルーナルド・・。気がついたのですね・・・」
視界一杯に広がる女の顔に頭が混乱する。
ここはどこだ・・・?こいつはだれだ・・・?
細い肩から流れ落ちる美しい紺紫色の髪。ルーナルドの顔を一心に覗き込んでくるアイスブルーの瞳。
聡明さを感じさせるキリリとした切れ長の目。すっと鼻筋の通った形のいい鼻。美しい曲線を描く眉。
シミやシワ一つ見当たらない陶器のような白い肌に、壮絶なまでの美貌。
真正面からその顔を見たのはあの時以来。
けれど、忘れるわけがない。
・・・・・・・王妃イザベラ!?
王妃の両手がルーナルドの体に回されている。王妃の体がルーナルドの体にひどく密着している。
王妃に拘束されている。
理解した瞬間、その体を押しのけた。
いや押しのけようとして、体が痺れたように指一本さえ動かないことに気がついた。
・・・・体が動かない。なにか仕掛けられた。毒?まだ俺を殺そうというのか?
幼いルーナルドの心をズタズタに引き裂いたあの日のように。
そして何度も暗殺者を送り込んでルーナルドを殺そうとしたかつての日のように。
またルーナルドを害するつもりなのか。
けれどルーナルドはあの頃のような何も知らない、なんの力を持たない子供ではない。
こんな女に何を言われ、何をされようとも。今更傷つくような心も体も持ってはいない。
この十年で培った分厚い鎧で心を覆い、痛みと衝撃に備える。
けれど・・・・。
衝撃は予想もしないところから、痛みは想像さえしたこともない方法でルーナルドに襲い掛かってきた。
イザベラの右手がゆっくりと動くのをルーナルドは視線だけで追いかける。
首もと・・・? ルーナルドの首を閉めるつもりか? その細腕一本で?
いや違う、もっと上。 目? 目障りなこの目を潰すつもりか?
けれど、腕はそのまま止まることなく上がっていって。
ふわり、と。
ルーナルドの黒髪に触れた。
・・・不吉なこの髪を切り落とすつもりか。
けれどいつまでたってもイザベラが刃物を取り出す様子も、髪を切る気配もなく。
それどころか少し体温の高いその手は、そのままゆっくりと上から下へ。そしてまた上へ戻り下へ、と。
まるで母が幼子を慈しんでいるかのように、何度も何度もルーナルドの頭を撫でてくる。
・・・・・・・なにをする。 やめろ!
そう叫びたいのに。声の限りそう叫んで、その手を払いのけたいのに。
声が出ない。体が動かない。
驚きで見開かれたルーナルドの瞳に、深い慈愛を讃えたイザベラの顔が映し出される。
「・・・・・は・・・?」
何故そんな顔をする?
体が今までとは別の意味で硬直する。
「・・・ご・・めんね、ルーナルド・・・」
ハラハラと。宝石のような涙がイザベラの目からこぼれだし、白い頬を伝って落ちていく。
「こんな母でごめんね、何もしてあげられなかったダメな母親でごめんね・・・」
・・・・何をいまさら。
思ってもいない言葉なら必要ない。
そんな見せかけだけの白々しい言葉なんかいらない。
「・・・ああ、神様、わたしに息子を助ける力を授けてくださったこと・・・感謝いたします」
「・・・・む・・・・こ・・・?」
息子? 息子だと?
何をばかなことを言っているのか。
あの時目の前に出てきたみすぼらしい子供を、この女は言葉の限り罵った。
自分が産んだ子だと気がついてなお、意図的にズタズタに傷つけてきたのはこの女なのに。
なのになぜ今になって・・・・。
「・・・・お・・・れに・・・さ・・わるな・・・」
カラカラに乾いた喉に力を入れれば、かすれた声がなんとか出せた。
不思議と体の痺れが先程よりも薄くなっている。
ブルブルと震える腕を動かして、白々しくルーナルドの頭を撫で続けるイザベラの手を払いのける。
「・・・お、まえ・・は・・おれ・の・・・・」
「ルーナルドさま」
「兄上」
─────・・・・・母親なんかじゃない。
そう続くはずの言葉が、ユーフェミアと、そしてカーティスの声に遮られる。
ゆっくりと視線だけで声がした方を見れば。
数歩離れたところに立っているカーティスが、そしてユーフェミアが、ルーナルドの顔をじっと見据えたまま小さく首を横に振る。
その先の言葉は決して言ってはいけない。
そう視線と態度で言われた気がした。
他の誰が同じことをやってもきっと、ルーナルドは自身の言葉を飲み込んだりはしなかった。
兄と慕うアッシュの言葉でもきっと止まらなかった。
思いのままに、今までの恨みを、ずっと抱えてきた憎しみを。
今更母親などと名乗るこの女に。ルーナルドのことを息子などと、思ってもいない言葉を平気でいうこの女に。真正面からぶつけて、自分がされたのと同じ痛みを少しでも与えてやろうとしただろう。
けれど大事なユーフェミアの言葉が。魂をかけてルーナルドを害さないと誓ったカーティスの言葉が。
ルーナルドを最後の一線で踏み止まらせる。
「・・・ルー・・・ナ、ルド・・・ああ、やっと・・この手に、抱けた・・・」
ルーナルドが払いのけた手は、そのままルーナルドの左肩から背中へと周り。
ぎゅっと頭を抱え込むように体を寄せられた。
「・・・・・っ・・・」
放せ、触るな。
そう、言いたいのに。
そう言って払いのけなければきっとまた傷つけられるだけなのに。
なのに、初めて感じる実母の温もりに。その優しい匂いに。もう思い通りに動くはずの体が再び硬直する。
イザベラの肩越しに、おかしな模様が見えた。これは魔法陣だ。
自分とイザベラを囲うように、白く光る二重の魔方陣が浮かび上がっている。
広く深く魔法の知識があるルーナルドでさえ、見たこともない模様。
それが何の術によるものか見当もつかない。が、淡く光るその魔法陣を見ていると、今すぐに中止させないといけない、そんな焦燥感に駆られた。
「・・・や、めろ・・・。何の術を使っている・・・?」
この手の術は術者を中心に展開する。
であれば状況からいって術者はイザベラ、そして術の対象者はルーナルド。それ以外にはありえない。
ジワジワと言いようのない不安感がせり上がってくる。
・・・・・いったい何の術をかけられている?
絶対にルーナルドの敵にはならないと誓ったカーティスが、静かに状況を見守っている。
誰よりもルーナルドが信頼しているユーフェミアが、口を挟まない。
ルーナルドに忠誠を誓った多くの騎士達が、跪いたまま頭を下げている。
であればこの術は・・・・。
「おい、やめろ・・・」
時間が進むごとに体が軽くなる。呼吸が楽になる。痛みが、苦しみが、消えていく。
まるで誰かに吸収されているかのように・・・。
「止めろ、と言っている。・・一体あんたは何を・・・・・」
なにをしている?
そう続くはずだった言葉は、ゴボッという不吉な音によって掻き消されきっともう出てくることはない。
────・・・・・それはとてもよく知っている症状だった。
青白い顔。空気が通るたびに響く不快な呼吸音。苦しそうに上下する肩。眉間に刻まれた深い縦ジワ。
額に浮かんだ脂汗。
そして・・・。
体の全ての血がなくなるのではないかと思えるほどの大量の喀血。
それらは全て、余命宣告をうけたルーナルドがつい先程まで抱えていた症状。
命を刈り取る肺の病、その末期の症状。
その死の症状が、病を患っていたルーナルドにではなく。
ルーナルドを抱えたままのイザベラに現れていた。
読んでくださりありがとうございました。




