死者からの言伝
「・・・・なにをしている・・・・」
静まり返ったその場所に低く響く声。
声を荒げているわけでも、特段大きな声を張り上げているわけでもないのに。
まるで声が力を持っているかのように、その低い声は圧倒的な圧を持って場を支配していく。
「・・・俺の大事な兄と大事な恩人に・・・お前達はいったい何をしている・・・?」
アッシュを庇いうずくまったままのユーフェミアを、さらに背中で庇うように。
ルーナルドはユーフェミアから数歩先のところに、背筋を伸ばしまっすぐに立っている。
「・・・・ルー・・ナルド・・・さま・・・」
無意識に声に出して名前を呼べば、ルーナルドが答えるようにちらりと視線だけをこちらに向けた。
その美しい黄金の瞳と目が合った。
瞬間、今まで全くといっていいほど崩れなかったその顔が、痛みに耐えるように歪んだ。
「・・・ユフィ・・・。来るのが遅くなってすまなかった・・・」
そんな怪我を負わせてすまない。守れなくてすまない。ふがいない男ですまない、と。
苦しそうに顔を歪めて何度も謝罪を繰り返す。
ルーナルドに負わされた傷など、ユーフェミアの体に一つとしてありはしないのに。
そして言う。
前に向き直り、こちらに向かって進行して来る数十人の兵士達を、射殺すような鋭い視線で睨みつけて。
「後は全て俺に任せてくれ」と。
最後にあったあの時よりもさらに酷い顔色で、もう見るからに酷く弱っているのに。
歩くのも辛そうで、足元もふらふらなのに。
なのにそれでも一人で全てを背負おうとしている。
相手は完全武装している。数も多い。どんな魔法具を持っているかもわからない。
明らかに分が悪いのに・・・。
「ルーナルドさま、わたしも・・・・」
「君はアッシュについててやってくれ」
わたしも共に参ります。
そう続くユーフェミアの言葉を察したようにルーナルドが言葉を被せて来る。
そうしてもう一度ちらりと視線をこちらに向けた。
視線は一度ユーフェミアを見て、そして倒れたままぴくりとも動かないアッシュへと動いた。
「第5段階の傷に、なんらかの毒。 あの馬鹿が好んで使うとしたら・・・ブルンの毒か・・・」
ルーナルドはブツブツと口の中だけでなにか呟いた後、腰に下げた革袋から小さな小瓶を二つ取り出した。
一つは赤く発光する液体。もう一つは黄金色に光る液体が入っている。
一つは見たことがない液体だったが、もう一つ、黄金色の液体には見覚えがある。
見るからに高い魔力を含んだそれが使われた現場に、過去に一度だけ居合わせたことがある。
軍を率いて出陣した兄イシュレイが、側近をかばい瀕死の状態で城に担ぎ込まれたとき。
あの魔法具が使われ、傷が一瞬で癒えるのを見た。
あれは完全回復魔法薬だ。
数百年前に栄えたと言われる古代文明。世界各地にあるその遺跡でごく稀に発見されることがある超希少な魔法薬。
そうユーフェミアが気づいた瞬間、ルーナルドは迷うことなく二本とも中身をアッシュへとぶちまけた。
本来は口から摂取するものらしいけれど。
今のアッシュのように意識を完全に失い、飲み込む力さえもう残っていない重篤な状態では、ああやって体に直接ぶちまけた方が間違いない。その分治りはずいぶんと遅くなるけれど。
ルーナルドは戦場に長く身を置いていただけあって、流石に状況判断が早く応用力がある。
フルポーションをかけられたアッシュの体からゆったりとした湯気のようなものが立ち上り、浅い傷から徐々にふさがっていく。
それをみて、心底安堵したユーフェミアは。
抱き抱えたままのアッシュの肩に、未だに矢が二本つきささったままなのに気がついた。
「待ってください、今矢を・・・・」
背中に刺さったままの矢。それを先に抜いてしまわないと。このまま傷がふさがってしまうのはまずい。
「ユフィ、素手で触るのはよくない。毒が・・・・・っ!」
迂闊にも素手で毒矢を引き抜こうとしたユーフェミアを制するルーナルドの言葉。
その言葉が、ヒュッと風を切る音により途切れる。
とっさにそちらに視線をやったルーナルドの黄金の瞳が、ギラリと光ったような気がした。
正面に向き直ったルーナルド。その美しい立ち姿の向こう側に、こちらにむけて飛んで来る無数の矢が見えた。
「・・・何度もしつこい!!」
ぶわっとルーナルドの背中から魔力が吹き出して。
こちらに向かって飛んで来ていた無数の矢が焼け落ちた。
一瞬だった。本当に一瞬で、あれだけの矢が跡形もなく焼け落ちた。
これだけ弱っていて、あれだけの強さ。
軍神と呼ばれ恐れられたルーナルドの強さ。そのほんの一部を垣間見た気がした。
「・・・ユフィ・・・・」
前をしっかりと見据えたままのルーナルドが、静かに名を呼んで来る。
「はい」
返事をすれば、ルーナルドの表情が少しだけ苦しそうに歪んだ。
「おそらくあいつらは首を跳ねないと止まらない・・・」
「・・・・はい・・?」
急に始まった物騒な話に軽く混乱する。
「奴らは必ず止める。ここには来させない、信じてくれ・・だからユフィ・・・できるなら・・・・」
ルーナルドが顔だけこちらに向けた。
そして酷く辛そうな泣きそう顔で。けれど最後は困ったように微笑んだ。
「・・・できる事なら・・・俺の姿を見ないでほしい・・・」
「・・・・・? それはどういう・・・」
見ないでほしいとはどういう意味なのか。
そういえば数日前にもルーナルドは『ユーフェミアには見られたくない』と確かに言っていた。
だから一緒にはいられない、と。
けれどいったいなにを見られたくないのか、ユーフェミアにはわからない。
意図が読み切れなくて思わず問い返した。
そんなユーフェミアの問いに答えることなく。
ルーナルドは腰から剣を引き抜き、こちらに向かって来る兵士達に向かって走り出した。
援護をしなくては。
余りにも多勢に無勢。絶望的なほどの戦力差がある。加えてルーナルドは著しく体調が悪い。
一人で戦わせてはいけない。少しでも役に立たないと。
思わず立ち上がりかけて。
自分の腕の中のアッシュの存在が、ユーフェミアに冷静さを取り戻させた。
・・・・・今ユーフェミアがやるべき事はそれではない。
信じてくれといっていた。
であるならば今ユーフェミアがすべき事は、アッシュを助けること。
ここまでユーフェミアを守るためにボロボロになってまで戦い続けてくれたアッシュを。
ユーフェミアの大事な友人であるアッシュを。
そしておそらくルーナルドの大事な人であるアッシュを。
全身全霊を持って救わなければいけない。
それは今ユーフェミアがしなければいけなことであり、そしてきっとユーフェミアにしかできないことだ。
服の裾を裂きそれを両手に巻付けて、アッシュの背中に刺さった矢を細心の注意をはらって引き抜いた。
毒が付いているかもしれない鏃を適切に処理し、さらに二カ所の傷口を観察する。
周りの皮膚状態は悪くない。異臭もしない。流れ出る血の色も悪くない。
・・・・であれば、解毒されている・・・?
毒に侵されているならば傷口に何らかの病変が現れるものだが。
至って普通の傷に見える。
もともと毒矢ではなかったのか。それともルーナルドが先ほどかけた瓶の中身が解毒作用を持つものだったのか。
・・・・おそらく後者だろう。
ひどく聞き取りにくかったが確かに『毒』というワードがルーナルドから出ていた。
であればやはり赤い方の液体が、解毒の作用を持っていたのだろう。
アッシュの命を脅かしている要因は大きく分けて4つ。
怪我、それにともなう出血、そして毒。
そのうち傷と毒はこれで解決している。出血はどうにもならないが、安静にしていれば大丈夫だろう。
問題は4つ目の・・・。
呪い。
これはフルポーションでは治らない。
解呪できるのは、エリンティアと同じ血を持つユーフェミアだけ。
アッシュはそう言っていた。
そんな話には全く身に覚えがなかった。
《許し》を得られれば解呪できると聞いたから、呑気に言葉だけで《許し》を与えたつもりでいた。
でもそれだけでは《許し》にはならない。
であればどうすればいいのか。
・・・・・わかった気がする。
まだユーフェミアが幼かった日。
月が赤く輝く度に、ユーフェミアの前に姿を現していたあの女性。
長い金の髪に、深みのある青い瞳。酷く悲しそうな表情が印象的だったあの女性。
実は自分以外の人間誰も、その姿にも声にも気づいていないとわかったときから。
あの女の人が一般的に、幽霊と呼ばれる存在なのではと思い至った時から。
怖くて泣き叫んで話を聞こうともしなかった。
いつからか成長とともにその姿を見なくなって、今まですっかり忘れてしまっていたけれど・・・。
あの人はとても大切なことをユーフェミアに伝えに来てくれていたのだ。
『──もしこれから先の人生の中で・・・あなただけが解けるといわれている呪いに侵された人間と出会ったなら・・・。そしてあなたがどうしてもその人を助けたいと思ったなら・・・・』
────・・・・少しでいい。あなたの魔力をその人に流してあげなさい。
そうだ、あの人は確かにそういっていた。
自分の魔力を他人に流す、魔力流し。
今のユーフェミアにできるような技じゃない。
経験が足りない、魔力が足りない、なによりも技術が足りない。
なにもかもが足りない。
けれどできない、なんて弱音をはいている時ではない。
できないではなく、やる。
幸いやり方はルーナルドが教えてくれた。
魔力切れを起こしたユーフェミアに、ルーナルドがしてくれたように。
あれと同じ事を今度はユーフェミアがアッシュにすればいい。
自身の体を持って体験した。これ以上の経験はない。
後の足りないものは・・・。
「気合いと根性で補います!」
精神論だけで解決できることは実は少ない。
けれど魔法とは元々著しく精神力に左右されるものだ。
であれば『出来ない』のではなく『出来る』のだと。
『不可能』等ではなく『可能』なのだと。
自らを奮い立たせて挑むしかない。
「アッシュさま、今お助けいたします」
血だらけのアッシュの右手をギュッと握り込み。
ユーフェミアは自身の魔力をアッシュの魔力と同調させるために目を閉じた。
読んでくださりありがとうございました。




