たがえることのない約束
背中に感じる温もりが愛おしい。
冷えきったアッシュの体と心に、目に見えない何かが広がっていくようだ。
時に離れていって、でもすぐにアッシュの元に帰ってくる。
アッシュが敵を討ち漏らすかもしれない。
アッシュがミスをしてうまく連携をとれないかもしれない。
十分考えられることなのに、一欠けらも疑わず信頼しきって、ただ背中を預けてくれる。
そのことがひどく誇らしく、この上なく幸福だった。
・・・・ああ、こんな風に感じる幸せもあるんだね・・・。
公爵家当主として、いつも一人で立っていた。
対等な存在として、誰かに背中を預けることも、誰かの背中を預かることもなく。
ずっと一人で堪えてきた。
なのに・・・・。
一緒に並び立ってもらえる。
そのことがこんなに心を満たしてくれるなんて・・・
────・・・・知らなかった・・・。
向かってくる魔物を的確に処理しながら、アッシュは夢想する。
・・・・・ああ、でもどうせ共同作業をするのならもう少し楽しいものがよかったかな・・・。
そう、例えば最近始めた料理なんてどうだろう?
あの少し面倒な行程も、二人でやったらきっと楽しい。
ユーフェミアはおかしなところで几帳面だったりするから、調味料をミリ単位で計ったりするのだろうか?
いやでも、わりと豪快な面もあるから目分量でドバっといくかもしれない。
・・・・・まあ、どちらにしても・・・。
できあがったそれをきっといつものように『おいしいですね』といって笑って食べてくれるのだろう。
そんな彼女の様子をアッシュはとても幸せな気持ちで眺めるのだ。
それとも一緒に町にでかけるのはどうだろう?
この国で今流行っているドレス、小物、食べ物に至るまで。
ユーフェミアの手を引き説明しながらのんびり町を歩く。
疲れたら近くのカフェで休憩し、たわいのない話で盛り上がる。
・・・・なにそれ、すごく幸せじゃないか・・・。
特別なことなんかなにもなくていい。
少し退屈だと思える毎日でいい。
ただずっと平穏に続くそんな日々を、一緒に過ごすことができたなら。
そんな未来がくることを、本気で夢見ることができたならどれほどよかっただろう。
けれど・・・・。
そんな幸せな時間はやってこない。
アッシュにはもう、夢見る時間はない。
「・・・・ユーフェミア・・・」
背中越しに名を呼べば「はい」と静かな落ち着いた声がかえってくる。
「・・・敵は後何匹残ってる・・・?」
「・・・・・・・20匹ほどです」
見ればわかるのに何故そんなことをわざわざ確認するのか。
ユーフェミアの声音にはそんな疑問が少なからず含まれていたが、何も言わず彼女はアッシュの問いに答えてくれる。
そういう素直さが、聡明さが、本当に好きだった。
「・・・・・そう・・・」
魔物の数はだいぶ減った。
・・・・・・・ここらが攻め時だろう。
「・・・・ユーフェミア、奥にフードを被った男はいる?」
ずずっと呪いが進んだ気配がする。
もうきっとそれは首元に巻き付いてきている。
であれば、いつ昏倒してもおかしくない。
大きな血管を傷つけでもしたのか、右腕からの出血もいまだに止まらない。
目眩もひどい。
────・・・・もう、時間はない。
アッシュの言葉にユーフェミアが顔をあげた。
そしてすぐにアッシュがいった男を見つけたようで「はい」と迷いのない言葉がかえってくる。
「多分その男が魔物を操っている。ここまで魔物の数が減ったならそっちを直で叩いた方がいい」
「はい」
残りの魔物の数は20匹程。
その数ならば包囲を切り崩して外にでられる。
けれど・・・・。
「けれどアッシュさま・・・・」
アッシュの懸念をユーフェミアも感じたようで、戸惑ったような不安そうな声が背中越しに聞こえてくる。
攻撃の幅が広い術者を先に叩くのは、戦いの定石だ。
けれど今この状況でそれをするには、背後から襲われないように魔物を引き付け対処する人間がいる。
そしてそれは勿論。
「僕が魔物を引き付けておくから、君はその男の捕縛を頼む」
「ですが、アッシュさま」
随分減ったとはいえ、それでもまだそれなりの数がいる。
一人でそれを相手取るのは今のアッシュには難しい。
だからこそアッシュの提案にユーフェミアは難色を示しているのだろう。
けれど今はそんなことをいっている場合ではない。
「君だってわかっているだろう? あの男を逃がすわけには絶対にいかない」
あの男は明らかに魔物との繋がりがある。
もしアッシュの予想通り、あの男が本当に魔物を操る術を知っているなら。
そんな術が本当に実在するなら。
事はアルフェメラスとハイエィシア、二国間だけの問題ではすまない。
魔物を従える、そんな力は世界的な脅威となる。
真偽を確かめ迅速に対処するために、今ここで絶対に捕縛する必要がある。
これ以上魔物を倒した後では、負けを見越して逃げだすかもしれない。
まだ相手が優位だと思っているうちに。
まだそこにいるうちに。
なんとしても身柄を拘束しないといけない。
「ではわたしが残ります。アッシュさまが・・・・」
自分が一番危険な場所に残る。
ユーフェミアならそういうだろうと思っていた。
けれどもう、その方法は取れない。
「ごめんね、君に行ってもらうしかないんだ」
「・・・・・どうしてですか・・?」
「もう・・ね。足が動かないんだよ、僕はもう走れない」
アッシュの言葉にユーフェミアが驚いたように顔をこちらに向けるのがわかった。
驚愕したような、それでいて泣きそうなユーフェミアの顔が狭まった視界の中なんとか見えた。
「それに・・・もう目がほとんど見えないんだ・・・」
・・・・だから、その術者がどこにいるのか僕には判断ができない。
静かにそう告げると、ユーフェミアが息をのむ音が微かに聞こえた。
きっとアッシュの体を気遣かってくれているんだろう。
けれどもう、迷っている隙などない。
「君の望みはなに?」
襲ってきた魔物に左手で対処しつつ。
いつもよりも一段低い声でアッシュは言葉を続ける。
「初めてあったとき、君は望みがあると言っていたよね? そのために和平を望んでいる、と」
「・・・・・・・・・・」
ユーフェミアからの返事はない。でもちゃんと話を聞いてくれているのはわかりきっているから。
構わずアッシュは言葉を続ける。
「今あの男を取り逃がせば、和平どころか世界中が危険に晒される」
「・・・・・・」
「だったらこんなことで揺らぐな。迷うな。進み続けろ。君の願いは平和のその先にあるんだろう?」
─────・・・・その大事な思いを貫き通せ!
彼女の望みがなんなのかアッシュは知らない。
けれど彼女がどれほどの思いで、和平への道を進んできたかは想像できる。
一語一句思いをのせて丁寧に言葉を紡げば、ユーフェミアがまた顔だけこちらに向けた。
そして眉を下げて、酷く困ったよう表情で告げる。
「・・・・・・ずるいです、アッシュ様は・・・」
そんな言い方をしてユーフェミアの逃げ場をなくし、上手に動かそうとするアッシュはずるい。
彼女はきっとそう言いたかったのだろう。
人が良いだけの甘い人間では食い物にされる。そんな化かし合いが当たり前の世界でずっと生きてきたのだ。
どう言えば、どう行動すれば相手を自分の思うように動かせるかぐらいは熟知している。
・・・・けれどまあ、それも王族ほどじゃないよ。
「・・・心外だな。これでも優しい公爵さまだと女性に人気なんだけどな」
無理矢理口角をあげて軽口を叩けば、ユーフェミアがまた苦しそうに眉を寄せるのが見えた。
でももうそんな彼女の目は覚悟を決めている。
「では【約束】をしてください」
・・・ほぉら、きた。
「必ず生き残る、と。わたしと【約束】をしてください、アッシュさま」
どう言えば望む状況になるか。
彼女はアッシュより余程熟知している。
エトとユフィ。
幼い頃に交わされた二人だけの【約束】。
それをアッシュがどれだけうらやましいと思ってきたか、ユーフェミアは知っていたのだろうか。
そんな大事な【約束】を自分も彼女と交わしたい、と。
そしてもしそれが叶ったなら。どんな無茶な状況でも絶対にたがえたりしないのに、と。
そう何度も浅ましくも願ったことを。
ユーフェミアは気がついていたのだろうか?
それとも無自覚に、絶対にアッシュが自分の命を繋がざるを得ないところに追い込んだのだろうか。
だとしたら、すごい。
もはやそれは支配者としての才能ではなかろうか。
「アッシュさま」と、ユーフェミアが返事を迫ってくる。
無茶苦茶だと思う。
もうアッシュの体は限界なのだと、わかりそうなものなのに。
それでもまだ諦めないのか。
けれど。
【約束】を交わそう、二人だけの。
それに対する返事など、もう随分前から決まっている。
「うん、【約束】する、ユーフェミア」
「・・・・はい、【約束】です、アッシュさま」
その言葉に満足そうに頷いたユーフェミアは。
一拍呼吸をおいた後、アッシュの背中を離れ飛び出していった。
進みが遅くてすみません。
読んでくださりありがとうございました。




