天才剣士3
ユーフェミアが意識を取り戻した。
魔物の数も最初よりはだいぶ減ったはず。
このままアッシュがユーフェミアの匂いを拡散させながら移動すれば、匂いを追尾する魔物はきっとアッシュについて来る。
問題は後ろにいるローブを被った男。
あの男だけはどう出るか分からない。
だが・・・。
魔物を操るにしてもそれなりの代償がいるはず。
それが術によるものなら、代償は魔力。それも相当量の。
あれだけの数の魔物を魔力で操ったとするならもともとあった魔力量は相当なものなのだろうが。
今あの男からはほとんど魔力を感じない。
術で使いきったのか、生来少ないのか。
とにかく、あの魔力量で放たれる程度の攻撃だったらルーナの外套が十分防いでくれる。
体格が細いから、剣士には見えないし。
それでも万が一ということもあるが。
アッシュ自身、痛みと呪いでいつ動けなくなってもおかしくない。
そうなる前になんとしてもユーフェミアだけはここから離脱させないと。
アッシュが魔物を引き付ける。
この方法が一番ユーフェミアに危険が少なく生存確率も高いように思えた。
だったら、四の五のいわずにそれにかけるしかない。
なのに、体が重い。足が進まない。
はやくユーフェミアから離れないといけないのに。
魔物をユーフェミアから離さないといけないのに。
一歩踏み出す。
そんな簡単な動作が果てしなく困難だった。
動け。もっと早く。もっと遠くに。動け。
歯を食いしばって踏み出し続けた足が、ぬかるみにはまりずるっと滑った。
堪える力もなく、体があっいうまに傾く。
常時であればものともしないふらつきも、今のアッシュには立て直す力がない。
ベシャリと水音がして、情けなく倒れ込んだ。
そこへ。
その巨体からは想像できないほどの速さで魔物が襲いかかってくるのが見えた。
迎撃を。
そう思ったが、体が硬直したように動かない。
もう限界なんてとっくに超えていた。
魔物の不揃いな牙が迫ってくるのがいやにゆっくりと見える。
・・・・・・・走馬灯なんて流れないじゃないか・・・。
ルーナは以前、走馬灯のような長い夢を見たと言っていたけれど。
アッシュにはそんな長い映像が頭を過ぎったりなどしない。
ただ、この生で一心にアッシュを愛してくれた人たちの。
そしてアッシュが愛した人たちの顔が順に頭を過ぎっていく。
時に厳しく、でも愛情を持って接してくれた父。
穏やかで優しかった母。
アッシュのことを心底慕ってくれるかわいい妹と弟。
誰よりも尊い、絶対の血筋をその身に宿しながらも孤独に生きてきた義弟。
小さい頃から世話をしてくれた使用人達。
数少ない、けれど信頼できる友人達。
そして・・・。
「・・・・・ユーフェミア・・・・」
あんな最低なことをしたアッシュを。
本気で殺意を抱いて殺しにいったアッシュを。
それでも変わらず愛称で呼びつづけてくれたユーフェミア。
そんな彼女を、本当に・・・。ただ一心に守りたいと思ったんだ。
アッシュにもっと力があったなら。
アッシュがもっと機転の利く男だったなら。
ユーフェミアをもっと安全に、確実に逃がすことができたかもしれない。
けれど所詮凡人のアッシュにできることなど、これぐらいが限界だ。
どうかせめて彼女だけは無事でいてほしい。
もう魔物の鋭い牙はアッシュの目と鼻の先。
最後の悪あがきで、せめてこの一匹だけでも道連れにしたかったが・・・。
相変わらず体は硬直して動かない。
・・・・・ここまでか・・・。
覚悟はとうに決まっている。
せめて最後まで目を見開いて魔物の動きを追っていたアッシュの、その霞む目に。
黒い人影がさっと動くのが見えた。その人影は、アッシュと魔物の間に入り込んで。
そして、あっという間に魔物を斬り捨てた。
右からも左からも。
襲いかかってきた魔物を的確に、最小限の動きで次々と斬り伏せていく。
・・・・・・ル・・・・・ナ・・・?
ヒラヒラと舞うあの漆黒の外套には覚えがある。
成人を迎えたルーナルドに父と母が贈ったものだ。
・・・来て・・・くれたのか・・・・。
無事でよかった。
ほったらかしにしてごめんな・・・。
体調はどうだ・・・?
あれからどうしてた・・・?
向こうにユーフェミアがいるんだ・・。
僕のことは放っておいていいから・・・頼むから彼女を・・。
伝えたい言葉は次々と浮かんでくるのに、喉が張り付いたように動かない。
けれど、ルーナルドが来てくれたならもう安心だ。
何もできない無力なアッシュとは違い、ルーナルドなら確実にユーフェミアを助けてくれる。
そこまで思ったとき。
あれっと、アッシュは微かな違和感を覚えた。
視力が落ちてきているのか、よく周りが見えない。
けれど今魔物の猛攻を一人で押さえているあの人影は、ルーナルドにしては随分小さくはないだろうか?
それにルーナルドは艶やかな黒髪をしているはずで。
あんな長く美しい金の髪ではない。
なによりも剣術の型が違う。
ルーナルドの動きはもっと猛々しく力強い。
あんな舞を舞っているかのような繊細な戦い方はしない。
であれば、あれは・・・。
「アッシュさま」
聞こえてきた声は、ルーナルドの少し低い美声ではなく。
もっと数段高い、若い女性のきれいな声。
「え・・・・・。ユーフェミア・・・・?」
思いも寄らなかった事態に軽く頭が混乱する。
こんな・・・。
こんな圧倒的な速さと確かな剣術で、魔物を次々と仕留めていくのが。
あのいつも穏やかに微笑んでいたユーフェミア?
襲いかかってきた魔物を避け、切り伏せながら。
その人影、ユーフェミアがちらりとアッシュへと視線を向けた。
もうよく見えないはずのアッシュの目にも、なぜだか彼女の苛烈に燃えあがる目だけははっきりと見えた。
「わたしお伝えいたしましたよね? 剣なら少しは使えます、足手まといにはなりません、と」
・・・・・・・え、聞いたっけ。
初耳なんだけど。
一度聞いたら、余程興味のない話でない限り覚えている。
なのに、彼女からそんな話を聞いた覚えはない。
「わたしはいつも守ってもらうだけの、弱い小娘などではありません」
共に戦えます。
身を呈して逃がしてもらわなくても、ちゃんと自分の身は守れます。
だから・・・。
「だから、自分の命を諦めないでください!」
「!?」
そうしてユーフェミアはアッシュを庇うように立ち、魔物を相手取っていく。
『いつも守ってもらうだけの、弱い小娘だと思うな』
・・・ああ、本当にそうだ、とアッシュは今更ながらに痛感する。
思えば彼女はいつもそうだった。
いつも、どんな状況でも自分ができる精一杯のことをしてきた。
ここにたった一人でさらわれ閉じ込められることになった時も。
解毒剤を飲んで苦しんでいる時も。
ルーナルドが倒れた時も。
そして、今も。
ずっと自分にできることを探し出して、一生懸命実行していた。
いつも自分の命を、そして他人の命までも決して諦めたりしなかった。
そうだ、彼女はそういう人間だ。
『・・・自分の命を大事にしない奴など大嫌いだと怒られてしまってな・・・』
【ユフィ】との思い出話を、苦笑しながら話してくれたルーナルドの声が頭を過ぎる。
彼女はきっとその頃から少しも変わっていないのだろう。
だからこそ自分の命を早々に諦め投げ出そうとしたアッシュに、あんなに怒っている。
怒ってくれている。
どうせもう長くない命だから。
どうせもう、生き残ったところで苦しいだけの時間だから。
そんなふうにさっさと手放した残りの時間を、ユーフェミアは守ってくれている。
「・・・ああ、もう本当に敵わないなぁ・・・・」
体を襲う痛みはずっと変わらない。
目もほとんど見えない。
右腕からの出血は今もとまらず、尋常じゃなく寒い。
けれど・・・。
そんな状況なのに、それでもふふっと自然と笑みが漏れた。
「・・・なんでそんなにかっこいいのかなぁ・・・・」
強情で、口が達者で、小生意気で。
少しもアッシュに格好をつけさせてはくれない。
素直にただ守られてはくれない。
その高潔な魂に。
強くまっすぐな生き様に。
強烈に惹かれる。
共に戦いたいと思う。
許されるのなら、もう少しだけでも一緒にいたい心が切望する。
羽織っていた外套の裾を切り裂きその布で、左手と歯を使い右腕の付け根をきつくしばりあげた。
これで出血が少しでも止まってくれれば、まだ。
まだ戦える。
ユーフェミアと一緒に。
震える足を踏ん張って、立ち上がる。
左手に持った剣柄を再びきつく握りこんで。
ユーフェミアに襲いかかった魔物を斬り伏せる。
そして、小さなその背中側に回り込む。
「アッシュさま!?」
「みくびっていてごめん、ユーフェミア」
────・・・・ここから二人で逃げ延びるために、僕と・・・一緒に戦ってくれる?
答えなどわかりきっているのに、それでもはっきりとした返事が欲しくてわざと問い掛ける。
ユーフェミアはアッシュの言葉に一瞬だけ驚いたように目を見開いた後。
泣きそうなほど顔をくしゃくしゃに歪めた。
「はい・・・。はい、アッシュさま・・」
「うん、ありがとう。・・・・じゃあ僕の背中は預けるね」
剣士が背中を預けるのは最大級の信頼の証。
ユーフェミアは絶対にアッシュを裏切らない。
必ずアッシュの背後を守ってくれる。
そしてアッシュも。
必ずユーフェミアの背後を守り通して見せる。
あとは、己の視界に入る敵を屠っていくだけ。
「いくよ、ユーフェミア」
「はい!」
そうして天賦の才もった二人の剣士は、お互いに背中をあわせたまま魔物達を次々に迎撃していった。
と言うわけで天才剣士はユーフェミアです。
それでもルーナやアッシュにはかないませんが。
戦争にはでていませんが、自ら軍を率いて魔物討伐には何度もでていますので、経験も豊富です。
ちなみに。
アッシュはなにをやっても、初回で人並み以上のことができるので、完璧公爵と呼ばれています。
また次回もよろしくお願いします。
ありがとうございました。




