後編
「手っ取り早く彼女か彼氏を作ってはどうですか?」
これが一番簡単な方法だ。そうなると私は完全に邪魔者だが、先輩を大事にしてくれるなら誰だっていい。
「彼氏って……僕はバイセクシャルではありません」
…………ちっ。
「先輩ならなれます。雰囲気で」
「……君は僕をどう見ているの?」
「生存能力がミジンコの研究馬鹿です」
「……教授だってそこまで言わないよ……?」
「先輩が人並みに生きるには誰かの助けが必要です。しかもマザーテレサ並みの慈愛を持った人が!」
「マザーテレサって……僕、そこまでひどい?」
「推しキャラ以外の世間の事象にほぼ興味のない私が心配するほどひどいです」
「……ああ、うん、説得力が増したよ……」
そして今度は箸を置いて腕を組む先輩。
その姿を見ていると、自分で提案しておきながら、いずれこの時間が二人きりじゃなくなると思うとなんとなくモヤモヤしてきた。
…………んん?
一人で先輩を抱えるの大変じゃん。
お弁当だって、教授のお金だけどメニュー考えるの大変じゃん。
毎週先輩がちゃんと生きてるか心配するのしんどいじゃん。
お昼ご飯でしか会えないのに、推しキャラと同じくらいの時間を先輩の事考えてるなんて悔しいじゃん。
…………んんん?
毎度行き倒れていても先輩はモテないわけではない。教授から何人か先輩の将来を見据えた肉食彼女がいたと聞いたことがある。二週間でフラれるだけで。
一日のほとんどを研究室で過ごし、連絡なしの返信なし。食事は学食、デートは構内、装いはよれよれ白衣。レポート前には音信不通に電波遮断。
さすがの私も歴代の彼女たちが可哀想になった。肉食なのに牙が役に立つ隙がない。
そしてその彼女たちからの防波堤となった教授も。
この話を教えてくれた時、教授はしきりにつるりとなった頭頂部を撫でていた。
その髪型、海外映画の研究者っぽくて似合ってますよと言えなかった。たまには空気を読む。
「思い返してみても、確かに君への負担が著しいね」
あ。ようやくわかってくださいましたか。でも先輩、教授への負担の方が著しいですよ。
「僕がこんな状態でお一人様街道を歩むことを決心している君に嫁になってくれ、または嫁として受け入れてくれと頼むのは気が引ける」
ん?
「僕は君の推しとは対極の人間だと理解はしている。そもそも君の愛は二次元に振り切れていて、三次元の僕は視界にも入っていない。そして僕は二次元にはなれない」
さて困ったぞと先輩がさらに悩む。
想定外な事をどっさり言われ、私はそれを処理するのに無言になった。
先輩の嫁? 嫁が先輩? 先輩は二次元にはなれなくて困る?
今初めて自分の薄っぺらさに目眩がした。先輩が悩んでる理由がひとつしか思いつかない。しかもそれが間違いの可能性の方が高い。
でも。
「……先輩、もしかして、私のこと好きなんですか?」
「うん」
まさかの即答。
だがまだ安心はできないと理性が叫んだ。そうだ、この人優秀な変人だ。まだ悩んでいるようだし、今のは生返事っぽい。そして友人枠が一番濃厚だ。先輩なら友人も好きって言う気がする。
なのに、なんでこんなにドキドキするんだろう。
推しを思うのとは違う感じ。不覚にも戸惑う。友人枠だとしても好きと言われて嬉しい。
嬉しいことに戸惑う。
…………えぇ……私、先輩をキャラとして好きなんだと思っていたのに、男性としても好きなの?
「うーん。世間的に僕はお買い得だとは思うけど、君にとってはそうでもなさそうだ。困った、プレゼンできない」
実験が失敗した時以上に先輩の肩が落ちる。その姿を可愛いと思ってしまった。
あぁ、なんだ。
そういえば、満腹になって寝ちゃう姿も可愛いと思ってた。
「先輩。私、重度のヲタクですよ?」
「うん。そうだね」
「そう言うと、告白してくれた人がすぐに手のひら返す女ですよ」
「不思議だよね。僕は重度のヲタクな君しか知らないから、なんで彼らが諦めるのかが理解できない」
理解できないところが世間からズレているのを先輩はわかっていない。
「そんな風に言ってくれるのは先輩と仲間だけです」
「うーん、仲間に入って段階を踏めばいいのだろうか……」
ヤバい。私に寄ってくれようとしているのが嬉しい。
「僕にできることは何でもする!……と言い切れればいいんだけど……」
無理でしょうね、たぶん。大丈夫わかってますよ?
でもそれを引き合いに出すということは。
「私が彼女になったらして欲しいことがあるんですか?」
途端にもじもじする先輩。珍事!珍事発生!
「あの……弁当の後の睡眠から覚めた時に近くにいて欲しい……講義があるから無理なのはわかっているんだけれどね。あと、夏休みに視察回りに行った時に、君と会えなくて気が狂いそうになってお土産を買い過ぎた」
「え」
「でも恋人でもない僕が君にただ会いに行くだけの理由が思いつかなかった」
「……電話、は」
「夏休みはイベントが目白押しと言ってたでしょ? そのために頑張っていたのに、君の楽しい時間の邪魔はすべきじゃないと思って」
「意外に律儀……」
「嫌われるのだけは避けたいよ」
「え、と……あの……本当に私を好きなんですね……」
「うん。君に初めてお弁当をもらった日から」
「ええ! そのわりには全然アプローチがなかったですね?」
「色々立て込んでいたし、そうして忙しくしておかないとストーカー化しそうだったから。だから、もし付き合えても君の健全な生活を確保するために今までとあまり変わらない付き合いになると思う」
「ストーカー……あ、だから今までの彼女も放っておいたんですね?」
「いや、単純に仕事や研究より興味がなかっただけ」
「うわ最悪」
「……言えば言うほど僕が彼氏になっても良いとこ無しなのはどうしたらいいんだろう……」
「先輩が一般的に良いとこ無しなのは知ってますよ」
「……君のオブラートはどこにあるんだい?」
「心の壁がある相手には分厚いオブラートが発生します」
「…………僕には壁はないってこと?」
「私のヲタク論にちゃんと付き合ってくださった日からありません」
「あれ!そんなに前?」
「そうじゃなかったらお弁当なんて作りませんて」
「え!弁当作りも趣味なんだと思ってた」
「弁当作りは節約と体型維持ですってば。でも先輩のお弁当を作るのは趣味かもしれないです。全部食べてくれるので」
「ん?趣味……ってことは?……よくわからない……」
また先輩が考え始めたので、何も進まない会話から脱却すべく、一石を投じる。
「もし付き合えるとしても今までと変わらないのはちょっと不満です。先輩が私からの条件をのんでくれるならお付き合いします」
「……怖い気がするけど、うん、聞こう」
私の上から目線の言い方も先輩は気にならないよう。でもちょっとビクビクする。こういうところが可愛い。そして「わかった」と言わないところが交渉事に慣れている。
「お弁当は今まで通りで、他に、週に一回または二週に一回、24時間通しで私と一緒にいてください」
うわ、先輩のぽかん顔なんて初めて見た。
「どうですか?」
「え、待って、それだけ?」
「それだけって言いますけど、今までの生活から更に私に月に48時間も割くんですよ? できます?」
「うん!やる!」
子供のような返事だけど真剣な顔だ。
この際、恋人に割く時間が月にたった48時間という異常さは無視する。先輩はそれ以上に異常な生活を送っている。時間のほぼ全てを目の前の研究につぎ込む人からこれだけの約束を取り付けたことに満足しなければならない。でも。
「あともうひとつ」
「え」
ごめんなさい、こっちの方がわりと重要です。これを理由にフラれても仕方ない。
「私の中で先輩は推しと同等までにしかならないかもしれません。それが嫌じゃなければ」
途端、先輩は天を仰ぎ両拳を掲げた。何ですかそのポーズ?
「君の推しへの愛をずっと聞いて見ていたからね! 同等になれるかもしれない可能性があるなんて! とても嬉しいじゃないか!」
ええぇ……これ、ぶっちゃけ、愛人宣言なんだけど……
こんな風に喜ぶなんて、やっぱり先輩はズレている。
ああ いとおしい
推し以外に、現実の男性にそう感じる日が来ようとは。思わずポエミーになってしまった。
先輩が我に返ったように私を正面に正座をした。ん?なんだろう?
「君の条件は守る。これから出てくるだろう要望もなるべく優先すりゅ……ようにする……だから、ぼ、僕の恋人になってください」
噛んだ瞬間に先輩が真っ赤になった。
いつも飄々としてるかぼんやりとしている人が真っ赤にプルプル震える姿になんとも言えない温かい気持ちになる。
この姿は私しか知らないと思うとかなり……萌える。
やばい。先輩に対しての独占欲に戸惑う。
でもそれは、恋人なら許されるのかもしれない。
「はい。喜んで」
ここでキスでも抱擁でもなく握手って、ズレた私たちらしいかな。
◆◇◆
その後、実家に先輩を連れて帰った時、母は悟りを開いたような笑顔で深く頷き、父は「花嫁の父になれる!」と仏壇に手を合わせて泣いた。二人とももう少し普通な感じで喜んでよ。そして父よ、気が早い。
先輩はそんな両親を見て「結婚も許された、のかな?」と私に確認してきた。
「……そのようです」
「じゃあ二ヶ月後にまた視察の予定が入ったから、海外挙式はどう? イベントは何もないよね?」
「……視察のついでに挙式はいかがなものかと」
「いや、挙式のついでに視察だよ」
「……それ、駄目発言だし、発想ですよ」
ちょっとしゅんとした先輩の向こう側で初海外旅行だと盛り上がる両親。二人に呆れる私に気を取り直した先輩は、決定だね、と楽しげに笑った。
お読みいただきありがとうございます(●´ω`●)
『重度のヲタク』がよくわかってませんが、そこはゆるくお願いします…(。-人-。)