女 【ワケアリ不惑女の新恋企画】
女視点。
長岡更紗さま主催「ワケアリ不惑女の新恋企画」への参加作品です。
(約4300字)
来世でも―――
そう誓ったのは妖孤の我だけ。
今際の際で貴方は微笑んでくれた。
また貴方の傍に侍りたい―――
その時が一番幸せだったから。
貴方を助けて動くのは、何の苦もなかった。
だから、貴方の生まれ変わりを探して、国中を歩いた。
『センセー?』
彼の君の匂いを追えなくなったのはいつだったろうか。
見つけやすいのではと子供が多く集まる学校に忍んで何年経っただろう。
教員や保護者、地域の人間との関わりの多い学校で養護教諭として働き、人間の生活にずいぶんと馴染んでしまった。
『センセ? 大丈夫?』
ふと視界が陰り、その正体を確認すると一人の男子生徒だった。
『ああ、ぼんやりしていたよ。何用だい?』
高校に入学したばかりの、この年頃の己はいっぱしの男と思っている子供の一人。体育の授業で派手に擦り傷を作ってから、頻繁に保健室にやって来るようになった。
『挨拶に来ただけ。おはよーセンセ』
『……ふふ。おはよう』
我を気遣った顔が晴れ、返した挨拶ににっかりと笑うと「じゃあまた!」とそそくさと出て行く。男だが愛嬌のある生徒だ。身長も低めで子供としか思えない。
それでも、彼の君を見つけられない日々の癒しにはなった。
そう、思っていた。
「まさか、ここで会うとはなぁ」
在学中にやっていたように校舎の屋上で煙草に火を付けた彼は、しかめっ面をした。
職員室での転任新任紹介で彼の愕然とした表情に、すぐに30年前を思い出した。
我の尻尾を見た時と同じ表情。
見た目はすっかりオジサンになってはいたが、彼が変わっていないことに、己でも少々戸惑うほど嬉しかった。
再び出会えて嬉しい。
「大人になったらやめるのではなかったか?」
当時、彼の想いを撥ねつけた。
その後から煙草を吸ったりと少々悪ぶるようになった彼。それこそが子供の証だと、ただ微笑ましかった。
しかめっ面がやっと年齢相応の表情になったとやっぱり微笑ましくなる。紹介の時間が終わったからかスーツは着崩してあり、その胸ポケットから携帯灰皿を取り出した。
「想定外の事が起こった時にしか吸わねぇんだ」
生徒だったころより低く少し嗄れた声にはなったが、その変わらない律儀さににやけずにはいられなかった。なんだか楽しくなり、携帯灰皿と咥えていた煙草をさっと奪うと火を丁寧に消してそのまま自分の白衣のポケットに入れた。
「あ、おい返せ」
伸ばされた手をさらりとかわす。
「ふふふ、学校敷地内は禁煙だからな。先生に見つかったら没収だ」
彼の大きな舌打ちに、スキップを踏んだ。
気がつけば背は抜かされ、背伸びの仕草も僅かに板につきだした。
好意の熱量は増していき、童から男へと変わっていく姿は。
眩しくもあり、恨めしくもあり。―――なぜ君は彼の君ではない?
肌を合わせて、正体もさらして。 ―――一度きりの餞は誰の為?
彼の君を思わぬ日などなかった。
国の隅々を歩いても見つけらず、狂いかけていた。
『センセー』
砂漠の蜃気楼のようなもので。
忘れ去られるのは、我の方であるはずだった。
『センセー』
彼の君を、忘れたわけではない。
でも。
会えなくて、会えなくて。
涙が枯れた頃には、何処へ向かうかも決められなくて。
『センセー』
真っ直ぐな熱は。
幻だからこそ、心地よくて。
―――ああ……そうだったのか……
今日、彼の君が我の誕生を決めた日から、1000年。
今、目の前には彼の君ではない男が湯飲み茶碗を持っている。
以前は生徒として利用していた保健室を懐かしげに見回してから茶をすする。
「で?あれから愛しの君とやらには会えたのか?」
30年ぶりでもその気遣いは変わらず。
嬉しいと思うと同時に、あの頃の熱量が感じられないことに愕然とした。
……我ながら勝手なものだ……
忘れ去られるなら、置いてきぼりにされるなら、もっと傍にいればよかった。
…………今頃気づくとは、耄碌したな……ふふ。
「……ふふ」
ずずずずず。
自嘲した直後に情緒も何もない音が保健室に響く。飲まれた茶が憐れになる。
「おかわり。まあ、生まれ変わりが日本人とは限らないのかもな」
……ふふふ。ほら。優しい。
『迎えに来ない奴より!俺を選べよ!』
認めたくなかった。
我を形作ったのは彼の君だったから。彼の君の傍が世界の全てだったから。
『学校以外はそんな顔してんのかよ……美人が台無しじゃんか……』
数えきれない人数に容姿は褒められてきた。
だが、こんなにつらそう言われたことはなかった。
『追いかけるのがしんどいなら、俺に寄り道しろって』
認めたくなかった。
嬉しいと感じたことを。彼の君の傍が、己の世界の全てだと思っていたから。
だったから
彼の君への思いを否定しなかった。
平安から生きている妖怪だと正体をさらしても、抱きしめてくる腕はゆるまなかった。
『好きだよ。センセーが好きだ』
また我を置いて逝くくせに
失いたくなかった。
自分可愛さにそう選んだ。
苦しくなるのが、わかっていた。
会いたくて会いたくて、あてもなくさ迷うのは、とても辛いから。
だから撥ねつけた。
あの時、己の心を占めているのが誰か、気づかないふりをした。
今ならわかる。
二度も会えた。
とても―――とても嬉しい。
「よし。じゃあ今度は私が口説くかな」
「は?」
ぽかんとしたオジサンに、まだ愛嬌があると言ったら怒らせるだろうか。
「彼の君を諦める時が来たらお前の子種で子を成そうと思っていたのだ。彼の君以外に体を許したし、ふとした時に何度も思い出したし、そういう意味でもお前は私にとって特別な男だ」
ずっと取っておいたあの熱が甦るようにと、下腹部を撫でる。
「…………ちょっと、いやだいぶ待て。子種ってなんだ?」
「30年前のものだがまだ使えるだろう」
「…………ちょ、いや待て待て、は?」
「うん?あの時に避妊しなかっ「それを確認したいんじゃねえよ!いや確認したいのはそこじゃねえだろ!どうなってんだ狐女!」
妖狐であることを受け入れてくれる人間がどれだけいるのか。震える。
「……歳を取ってもうるさいのは変わらんな」
「くっコノ……灰皿返せ、一服させろ」
「ふふ、想定外だったか?」
ああ、楽しい。
「……地球がひっくり返ったら起こり得るとは思っていた」
「なんだ、つまらん」
可能性が残っていたことが嬉しい。
「馬鹿野郎、そういうのは妄想っていうんだよ、想定外よりあり得ねぇ」
照れ方の変わっていない姿がいとおしい。
ねえ。
お願い。
もし、子ができたなら、その子と一緒に生きることを許して。
「迷惑ならば、しない。だが、お前が息を引き取った後は許してくれ」
迷惑は掛けない。山に帰ってもいい。
お願い。
今度は、あなたとの思い出で生きていくことを許して。
「この馬鹿女。迷惑と思うくらいなら俺の妻になってからやれ」
スーツからは微かに煙草の匂い。歳を経た声は耳に心地よく。抱きしめてくれる腕は強く。背を支える手は熱く。
我が人ならざるものだと知っているはずの男は、伴侶にと言った。
心が歓喜で暴れる。
「……妻……いいのか?」
無様に震える声。
「俺の子供をお前が産むんだろう。妻以外なら大問題だ」
「ふふ……私は妖怪だぞ?」
「30年前から知ってるわ」
目が熱い。
「1000才だぞ?」
「だからなんだ。見た目だけはもう俺の方が上だ。お前の年齢設定は40才にまけてやる」
喜びが、目から溢れる。
それを、受け止めてくれる。
「ふふふ……ならば……ずっと、そばに、いてくれるか……」
「……そういう事はもっと早く言え。30年も損したわ」
「すまぬ……再会するまで……会いたかったのだと気付かなかったのだ」
会いたかった。
言葉にしてしまえば、すとんと何かが落ちついた。
ぎゅっとスーツの背を握りしめれば、抱きしめられる力が増した。
ああ、このまま、ひとつになりたい。
「お前……1000年生きてるくせにどんくさいなぁ」
長い間そつなく生きてきて初めて言われた単語に思考が真っ白になった。
「ど!?」
「ふっ……美人から妖怪と1000才を差し引いて残るのはどんくささかよ!ふは!あはははは!」
「どんくさくはなーーい!」
途端に白衣の裾からふさりとした尻尾が飛び出した。
突発的なことに弱いのは我の方と認めるのもしゃくである。
「ははは! はいはい、養護教諭がどんくさいなんて差し障りがあるからな、内緒にしてやるよ」
「キ~~ッ!」
なんとかやり返そうとジタバタしても男の腕はびくともしない。まるで子供のような己の振る舞いに遠い昔を懐かしむ。そんな余裕もいとおしい。
ああ。あなたに会えて、こんなに嬉しいなんて。
あなたの笑顔が、また我に向くなんて。
生きてて良かった。
シャン……と微かな音が聞こえた。
そして、下腹部に灯る、小さな熱。
「……あ」
これは。
「どうした?」
ピタリと動きが止まったからか、彼は心配そうに覗きこんでくる。
「子ができた」
「…………あ?」
「妊娠した」
「……」
「そうか……この感覚が妊娠というものか……はは、本当にお前との子ができた」
未来が結ばれた。傍にいてもいいという証、と何かに認められた気がする。
だが、男は脱力し床に這いつくばった。まるで漫画のようだ。
「48才でデキ婚だと……生徒たちには避妊だけはちゃんとしろと言ってきた俺が……しかも30年前のヤツで今妊娠だとぉ……妖怪の生態はどうなってんだ……!」
ブツブツとうちひしがれる男に寄り添う。
「なんかすまぬ……明日には産むか?」
一応望まれはしたが思わぬタイミングだろう。妖怪の妊娠出産は母体任せなことが多いため、力がある妖怪なら日取りも自在にできる。
ぽかんとした間抜けた顔もいとおしい。しかしそれは束の間で、すぐに起き上がり床にあぐらをかくと、優しく手を取られた。真摯な目線にドキリとする。
「体調に問題がないなら十月は妊婦してくれ。その間に俺の妻だとがっつりと周りに自慢する」
がっつりと自慢。そんなに求めてくれるのかと心があたたかくなる。声も出せずに頷くと、急ににやりとした。
「結婚指輪はどうする。石はダイヤでいいか?それともゴールドで油揚げの形に作ってもらうか?」
照れが隠せていないのが丸わかり。だが、揚げというからには黙っているわけにはいかぬ。
「揚げは食べるからいいのだ馬鹿め。これから毎日、私のレパートリーに驚け」
ああ。ゆるむ。
世界が変わる。
「毎日見てもまだ不思議だ……もっと大きくなるんだよな……?」
夫はようやく膨らんできた私の腹を恐る恐ると撫でては毎日呟く。その手に重ねて共に撫でる。
「ふふふ。今からたくさんいとおしんでおくれ」
「任せろ。今までも、これからも、だ」
腕に囲われるまま、夫の胸におさまる。
その度に何度も、生きている事を実感する。
口づけの度に、出会えた事を感謝する。
私を見つけてくれて、ありがとう。
了
お読みいただき、ありがとうございます(●´ω`●)
長岡更紗さま主催【ワケアリ不惑女の新恋企画】参加作です。
前編である『男』(企画参加にあたり、サブタイトルを『ーー』から変えました)と対になる『女』視点のみの参加。こちらだけでも大丈夫だと思うのですが、どうでしょう…?
ヒロインは40歳という年齢縛りがあったのに、実は1000歳にしてしまったので、参加にドキドキです(^-^;
でもまあ、長岡さんならゆるしてくれる…!(笑)




