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二番目に好きなひと  作者: 悠木おみ
番外編
6/6

3.この一夜に咲く歌

 彼女にとって、現実は常に彼女の努力ではどうにもならない所で彼女に牙をむく。

 現実こそが、悪夢だ。


 けれどそれを理由にして、全てを捨てて逃げ出した所で何の意味があるのか。

 いい加減、彼女は知るべきだ。

 偽りの仮面のまま夢のような平凡な現実に逃げ込んだって、本来の自分から逃げ切る事なんてできないという事を。

 いつまでも傷付く現実から、目を背けてはいられないという事を。



××××



 都会の片隅、流行っているのかいないのか。高級というわけではない。けれど、場末というほど寂れてはいない、知る人ぞ知る。

 桜井こはねが働いているのは、そういう隠れ家的な小さなバーの小さなステージ。こはねはそこで、ただ静かに「歌」を紡いでいた。


「こはね」

 青年の声に、こはねは顔を上げた。儚げを越えて触れれば折れてしまいそうなほど、華奢な体。体は痩せこけてこそいなかったが、不健康に青白い。

 瞳は澄んで煌めいてはいたが、人形のように何の感情も含んでいないという事が、いっそ不気味だった。


「こはね……大丈夫なのか?」

「……」

 心配する青年の言葉に、こはねはこくりと頷く事で肯定した。こはねの動きに合わせて、梳っただけの長い髪がさらさらと動く。

 長い髪も身にまとうワンピースも真っ白なこはねは、夜の街の中で幻想的に目を惹いていた。

「こはね……」

「リューには……問題、無いと思う」

 ぼそりと零すように告げたこはねは、それ以上青年―リューに言葉を重ねられる前に背を向けて店の中、ステージに向かって歩いて行った。




『愛は何処でしょう 夢は何処でしょう 罪の在り処は 私だけが知っている

 あなたを隠す この場所で 私は何処へ行けばいいでしょうか』




 小さな店の中で、ゆったりと心に染み入るかのような静かなバラードがこはねの口から紡がれる。抑えられた話し声が時折りささやかれるだけで、店中のほとんどかこはねの声に耳を傾けていた。



カラン...



 氷がグラスにあたる音。カウンターでグラスを片手にこはねの声に耳を傾けていたスーツの男は、ただ声を出さずに笑った。

「彼女は?」

 どこか楽しげに尋ねる男に、カウンターの中でグラスを手にしていたウェイターであるリューは、眉をしかめて嘆息した。

「……彼女が、何か」

 不信感をありありと、隠そうとすらせずに問い返したリューに、男はやはり声を立てずに笑った。

「いや……とても興味深く、懐かしい声をしていると思ったのでね」

「……」

 意味深で奇妙な男の言葉に、リューは不信を通り越して不快気な表情を浮かべた。だが男は、リューのその態度や感情すらも面白がって、こはねに不躾ともいえる視線を向けた。

「それで? 私の質問には答えを貰う事はできないのかな」

 答えを得ることができなくても、それはそれで楽しいといわんばかりの男を、リューは睨み付けた。

「彼女はこはねです。桜井こはね……オーナーが拾ってきた、捨てられていた少女だそうです。けれど、彼女には不用意には関わらないでください」

「桜井こはね……彼女がそう名乗ったのか?」

「……」

 リューの忠告とでもいうべき言葉を意図的に無視して尋ねた男に、リューはそれ以上の言葉を止めた。

「隆司」

 沈黙したリューの本名を呼びリューに視線を戻した男は、苦虫を噛み潰したかのようなリューの表情を見て、楽しげに笑った。

「なぜ、と後悔した時の表情だな」

 男は笑いながら、グラスの中に満たされている琥珀色の液体を飲み込んだ。

「なぜ自分は晃生と友人関係を続けているのだろう―と。“オレ”と縁を切りたければ、かぐやと関わるのを止めればいいだけだ」

 男―晃生こうきの言葉に、隆司は苦々しげに晃生に視線を向けた。

「そんな事、できるわけがない」

「なら、オレとの関わりを仕方ないものと諦めるべきだな。……で? 本当に彼女が桜井こはねだと名乗ったのか? 隆司」

 絞り出すかのような隆司の言葉に晃生はあくまでも楽しげに笑うと、質問を繰り返した。

 会話と酒を楽しみながら、ただ真実を言葉にし続ける晃生にため息を吐く事で諦めた隆司は、晃生からもこはねからも視線を外した。

「店の中で隆司の名前を呼ぶな。……それから“桜井こはね”の名前を彼女―こはねから直接聞いたわけじゃない。オーナーがある日“拾った”と言って、こはねと呼んでいたからそう呼んでいるだけだ……オーナーがこはねの声を気に入ったからステージに立っている。俺が知っているのはそれだけだ」

「全てを知っているのはオーナーと本人だけ、か……困ったな」

 困ったといっている割には楽しそうな晃生の様子に、隆司は訝しげな視線を向けた。

「晃生……彼女に何をするつもりだ」

「ただ」

 不安気な隆司の言葉に、はぐらかすかのような、誤魔化すような笑みを口元に浮かべた晃生は、ただこはねに視線を合わせていた。

「知りたい事と、聞きたい事があるんだ……彼女が、私の探していた彼女なら」



カラン...



 晃生の手の中で、氷がグラスにあたって音を立てた。

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