第61話 決心
アイン、イグニスの戦闘の激化と同時刻。
——【飛竜の棲家】 中層〜上層 間にて——
カエは、最上部“竜の寝床”を離れ中層付近へと降りて来ていた。というのも、寝床で鎮座して寝息を立てていたはずの飛竜は、突然目を覚ますと大空へと飛び上がる。すると、下層を目掛け飛び去ったのだ。
そのことを確認した後……フィーシアから竜が目覚める少し前に、下層より響いてくる謎の物音が聞こえた——という報告を受ける。
この事からも分かる通り、どうもここ【飛竜の棲家】の下部で何か異変が起こっているのではないかと推察したカエとフィーシアは、丁度中層付近と思われる場所を、遥か高所から見下ろす構図で原因を探っていたのだ。
そして……
「——うわぁー……何だあれ?!」
「ドラゴン……大暴れですね、マスター」
遂に、原因の現場である場所を捉えていた。
そこは、この断崖絶壁の【飛竜の棲家】でも限られた、足場が広大に広がるエリア。そこでは、先程飛び去った飛竜が尻尾を大いに振り回し飛び跳ねていた。それは癇癪を起こした子供のようで、さながら地団駄を踏んでいるみたいだ。そのスケールの大き過ぎたステップによって、足場はすっかり砂煙が舞い付近は曇って見え辛くなっている。
ただ……カエとフィーシアは、竜が癇癪を起こす少し前から状況を観察していたのだが、おそらく竜を怒らせたであろう元凶もしっかり2人の目は捉えていた。
「それにしても“あのストーカー”、まさかこんな所まで追いかけて来るとは……」
「諦めが悪過ぎます。マスターは私のマスターだと言うのに——お気持ちは分かりますが……本当に困った方のようです」
いつから、俺がフィーシアちゃんのモノになったのか——? とツッコミたいところのカエだったが……
そんな事よりも——
今は砂煙によって確認は困難だが、視界が悪化する前——竜の懐に飛び込む1つの人影を目撃した。カエの居るこの場所からでは、人を確認するには困難な距離ではあるのだが、あいにく——転生者のカエには転生特典と第して、身体能力及び視力が人外並みに強化されていた。そのお陰で、視認の難しい距離で、尚且つ高速移動をする人影すらも捉える事に成功。最早、自分で自分を「気持ち悪る」と思える程の視力にドン引きであった。
と、自身の能力が異常な事は分かったが、その視界に捉えた正体……これもまた最大限に困った人物である。
確認できた容姿は、『茶色の短髪』『緑のマント』『手には2本の短刀』……
もうこれだけで、その正体が自ずと浮上してしまう。カエが2日に掛け散々迷惑を被った人物……そうアインその人であった。全く予想外の存在だ。
まさか、こんな辺境の地まで追いかけて来るとは誰が想像できようか——? 彼のその異常とまで思える積極性には狂気すら感じ、ここまでくると一周回って敬意すらも感じてしまう程に——『恋は盲目』と言うが、これ程とは……美しいって罪——?
……と気持ち悪い冗談はさておき——
どうも、状況を観察するに彼らは、この地を訪れた際に——竜を怒らせる『何か』をしてしまったようだ。現に竜は……アインを潰そうとでもしているのか歪な破壊のステップを軽快に踏み続けている事から、ここまでの考察は間違っていないとも思える。フィーシアの耳にした『謎の音』それがおそらく『何か』と当たると思うのだが、発生元が彼らによるものなら、ドラゴンの洞窟で騒音被害とは……本当に命知らずな奴らである。
と、先程から複数を匂わす物言いだが、実は戦闘現場に居たのはアイン1人だけではない。今は砂煙でアインの姿の確認は困難だが、観察を続けていると少し離れた場所にアニメ調の神官服に身を包んだ女性の姿があった。
「あの、見るからアニメ聖女は——あの子って確かレリアーレとか言ったっけ……彼女も一緒に? でも——あれは……」
彼女の姿があったのは戦闘エリアの隣——確認する限りでは、竜が暴れる姿をオロオロと傍観。どうも戦闘には、参加していないみたいだ。その姿は、まるで『不測の事態』に直面しているかの様な——それに近しい感覚をカエは得た。
「ダメダメですね。敵を前に狼狽えるのは。あの者たちは、一定の覚悟を持ってこの地に足を踏み入れているはず。不測の事態だろうと、沈着に対処できないようでは笑い者です。フィールドワークの基本ですよ」
フィーシアも、その事を察したのか、意外と辛口な評価を呟いている。
フィーシアはカエのサポーターで、ゲーム時代では主に『支援』が彼女の仕事であった。そこには、フィールド探索や素材採取は勿論、中級程度のモンスター討伐と、何でも卒なくこなす万能な人材で、不足の事態が起きようとプレイヤーが関与しなくとも大方対処までしてしまう。冷静沈着とは正に彼女に当てはまる言葉だ。
ゲームの世界を飛び出し現実となった彼女は、雑事のエキスパートとして、狼狽えたレリアーレの姿に我慢できなかったみたいだ。
「マスター? あの2人は、冒険者……というものなのですよね?」
「ん? まぁ〜そうだね。A級だって言われてたから、実力もそれなり〜くらいじゃないの?」
「なら、尚更——そこを『生業』とするのであれば、自ずと責任は自身へと帰結してきます。危険と分かって飛び込んだのですから、自業自得ですよ……あれは……」
フィーシアはアイン、レリアーレの2人に対して辛辣だ。そこには、我が主を奪おうとする“通り魔告白男”の影響が大いにある気はするが……そうだとしても、フィーシアの意見は的を射た発言ではある。
エル・ダルートのギルドを訪れた際の事だ。シェリー嬢から受けた“冒険者”の説明で『ギルド規約』の話が挙げられた。簡単に言ってしまえば、冒険者のルールのことである。
当時、シェリーからは『ギルド規約』と書かれた分厚い冊子を渡され、中身もカエは軽く読んでいた。ただ、内容は膨大な量だった為、カエは殆ど覚えていない。
だが……見た限りのものでも「まぁ〜当たり前だよな」と、常識的な文言が書かれていた事だけは良く覚えている。
『冒険者同士の喧嘩よくない!』や『他冒険者のイジメはダメ〜』などなど……常識ある者としては「当然だな」と思える文章の数々だ。
だったら、カエが受けた“竜鱗強請り事件”は何だったんだ——? と、ボヤきたいところだが、そこはエル・ダルート支部が“腐って”いたとしか思えないので、誰かどうにかしてくれ——って話だ。因みにカエがこの件で積極的に改革に動く気はサラサラ無い。理由は面倒臭いからである。
と——そんな事よりもだ。今注目を向けたいのはそこではない。
規約の文章が、数多く記載された冊子だが……表紙を捲った最初のページにソレはあった。
※冒険者は等規約以外 又は 魔物討伐及びダンジョン(危険エリア)で発生した不測的事態の責任を基本冒険者ギルドは一切関与致しません。
この文章が言い表すのは、つまり『冒険者は自己責任』ということだ。
冒険者とは未知への探究者……ダンジョンに足を運び、脅威の魔物を狩って生計を立てる。冒険を生業とする仕事だ。ただ、冒険と聞くと心躍る響きだが、現実は危険とは隣り合わせな仕事——つまり常日頃から死とは隣人であるのだ。
ギルドとは、管理と斡旋、依頼を紹介する組織で……管理と言いつつ、責任は冒険者持ち——いつ死んでしまうか分からない職種な分、当然ではある。ただ、文章にもあった通り、ギルド側が責任を負うパターンもあるそうで、規約をギルドが破っていた場合や、情報開示不足だったり……ギルドの責任問題が発覚すれば被害者救済に動くそうだ。
ここで、アインとレリアーレの2人へ意識を戻すが、2人は『冒険者』である。なら、この地に足を運んだのも彼らの判断で——彼らの責任——あの巨体の竜の出現がギルド規定に触れてない限り——【清竜の涙】の死——だ。
「私も、規約の内容は拝見しました。内容全て軽く網羅しましたが、どの項目をもってしても、今回の事は“あの者達”の責任が濃厚です」
「…………え?」
フィーシアがあの規約を全部覚えていたことに驚いた。軽く100以上の項目があった気がするが……それに読んだといっても軽くパラパラと捲っただけで、フィーシアも同じ様なものだったが……彼女の記憶力とは一体——? 数項目をうろ覚えな自身が恥ずかしい……とカエは、要らぬ羞恥を見舞う。
ただ……フィーシアは、何も自身の記憶力を自慢したくて、そんな補足を入れている訳ではない。それは彼女らしくない行為だ。しかし、彼女からは【清竜の涙】の叱責が続く……これもフィーシアらしくはない行為ではある。
だとしても——
「まぁ……私達には無関係のない事ですね——」
フィーシアにしては珍しく喋ってはいたが、ここで遂に彼女から2人に対する興味がなくなってしまったのか……今も尚、轟音を発する現場から目を離し、カエへと視線を移して喋る。
「マスター、じきに日も暮れます。ここはドラゴンとは反対の断崖を伝って下層へと降りましょう。今からでも、夕食の支度までには、ハウス設置に間に合うはずです」
そしてフィーシアからダンジョン脱出の提案が投げかけられる。彼女の中には、「2人を助ける」方針は持ち合わせていないようだ。言葉を吐き出す彼女の表情は一切の曇りもない。その選択をするに何の戸惑いもなかった。
確かに、カエも2人を助ける義理はない。そもそもカエは英雄でも、ヒーローでも救助隊でも冒険者ですらない。見捨てる選択が自身の中にあってもそれに対しての罪悪感すら持ち合わせていないし、フィーシアの提案に頷く準備だってある。
カエはこの世界でフィーシアと旅して周る事が第一の目的だ。勇者ゴッコの真似事に興じるつもりは毛頭持ち合わせていない。
あの2人を助ける。それ即ち、カエが持ち合わせた力を盛大に公開しなくてはならない。風潮しないように説得をすれば、黙って居てくれる可能性はあるだろうが……力を使う事で、知らしめてしまう可能性は増す事に変わり無い。昨日の宿での一幕で、その危険性は身を持って体験済み。なら、カエの適切な選択はフィーシアの返事に頷く——これだけである。
「そうだねフィー……」
だから、カエもフィーシアの方針に賛成の意を表明する。
だが……
「フィーの意見はさ……凄く正しいよ。俺もそれには賛成だよ——」
「……? でしたらマスター……その手に持っているモノは何ですか——?」
口では賛成を表明しつつも、彼女の手にはいつの間にか……
両の手で持つに適した程の、長々とした柄の大戦斧が握られている。
「うーむ……何だろうね? 俺にも、ちょっと分からないかな?」
「……」
その姿はまるで、今まさに竜に立ち向かうのだと——カエの姿勢は語っていた。
「あの2人を助けるつもりなのですか?」
「助けたい……のかな? たぶん、そうなんだと思う? 何だろう……自分でもよく分からないんだ」
何故、インベントリ内から武器を取り出していたのか——? この時、カエは自身でも己の行動原理がわかっていない。
でも……
「おそらく、“怖い”んだと思うんだ」
「……怖い?」
「うーん……見捨てる事は正直、何とも思ってないんだ。寧ろ、この感情は……見捨てる選択に何の戸惑いもない事に……恐れているんだ。きっと……」
精神からくる反射的な防衛反応……その現れが、斧を手にした姿に直結している。
以前にも似たような経験があった。森で、ゴブリンを斬り伏せた時だ。その時も、カエの精神は驚くほど静かであった。生き物を殺したことも、大量の血を見たことすらない。ゲームとは違った生々しい現場——鼻腔を擽る鉄の匂い——忘れる筈がない。
——が……何とも思えない。
その時は気に留めなかった。だが、カエはこの精神安定が非常に怖く感じていた事に今更ながらに気づく。
ここへきてようやく……精神から来る警鐘が、症状として現れたのだ。
「フィーシア……あの2人、助けよう!」
「……助ける? マスターの力を公にしてしまう可能性があるのに……ですか? それでは、マスターの命令には、矛盾が生じています」
カエの力を人の目に触れさせる行為に走る。それは、セーフティハウスでフィーシアに話し合った『方針』——『無難にゆったりした異世界巡り』が困難になってしまう可能性が増す事を指す。“ゆったりライフ”を求めておきながら“異常な力でドラゴン退治”に踏み入る。明らかに矛盾している。
それでも、カエは——
「ごめん……フィーシア。お願い、力を貸してくれない?」
本能的なのか——?
ドラゴンに襲われた冒険者を助けるべく、ただの“旅人?”——いや、“SF装備”のこの世界の不調和が——ドラゴンスレイヤーに挑む。
その、決心を固めた。
「本当にごめんね。フィーシア……夕食には、ちょっと間に合わないかも……だけど……」
いくらカエの精神状況が、前世に比べるべくもない強化が施されようと……カエの記憶、考えは、前世のまま……何も変わっていない。
例えば、目の前で殺されそうな人が居れば『助けてあげたい』と思うのは善行ある心の持ち主では当たり前の思考であろう。
だがしかし、もともとの『俺』なんかは、“ゲーム三昧のヒッキー”で心は自身の事をヒーローと勘違いするような精神状況を持ち合わせてはいなかった——ヒーローチャンスの現場に出会そうと、足がすくんで果敢に危険に飛び込む勇気は……当時の“俺”は持ち合わせてはいない。
だが……今は——?
カエは、“ドラゴン”という異界の地の天災と目される存在を前にして、襲われた冒険者を助けたいと言葉にした。そして、事の起こっている現場は、巨体を大いに振り回し暴れた“ドラゴン”が……自身の人生の中で、聞く事のない程の轟音を轟かせている。
それでも、カエは『天災』に対し挑む決意を固め——哀愁漂う微笑みを作りサポーター(仲間)の助力の返事を待ってる。
これは、前の“俺”では考えられない行為だ。
この世界に来て、与えられた精神強化あってこその行動力である。
この選択は、この世を渡るには些か甘い考えで、余計な面倒事に首を突っ込んでいるわけだ。故に、楽な道を行く上では……真に“正しい”行為ではない。
この事で、フィーシアに呆れられればそれまで、それでもカエが取った選択は『天災』と戦う選択だった。
その時、フィーシアは……
「……フ……フフフ……」
突然に笑みを溢し、カエを見つめ返していた。
「マスター? 何で、先ほどから謝ってばかりいるんですか? 可笑しい、ですよ……フフ……」
言葉を続け、クスクス笑うそのフィーシアの姿は、『呆れ』とは違う感情が見え隠れしていた。
普段彼女は、あまり表情を変えることがない。そのせいか……時たま見せる、無表情以外のフィーシアの姿は、カエにとって嬉しい発見があると共に、驚きを得る場合がある。今は、どちらかといえば“驚き”の方が大きい。
てっきり、彼女からは『呆れ』もしくは『叱責』の言葉が飛ぶモノだと思っていたが……苦笑を浮かべてくるとは予想していなかった。
この時のカエは、そんな彼女の反応に困惑し——ただただ、彼女の選ぶ言葉の続きを黙って聞いた。
「いいですかマスター。私はマスターのサポーターのフィーシアです! サポーターとはマスターの支えなんです。マスターが望みとあらば、どんな命令でも遂行し、最大限のサポートをお約束するが私の務め——ですので……」
そんな彼女は、サポーターの矜持について語った。だが、カエはフィーシアの存在を知ってからというもの、どうしても『サポーター』としての彼女を何処か否定していた。だから、フィーシアを『妹』の様に思う決心に踏み入ったのだが……フィーシアの中では『サポーター』としてのプライドがあり、こうして尚もサポーターであり続けようとしている。
それは、カエの理想とはかけ離れているのだが……彼女がそれを誇りとしているなら、それを否定し続けるのは不躾な考えだと気づいた。
だから……
「マスターが私に対し口にするべきは、『謝罪』や『懇願』ではありません」
フィーシアのこの時の言葉は、何よりもカエにとって嬉しかった。
「ただ……『命令』して頂ければ、それでいいのです!」
ただ……命令してとの——フィーシアの承諾の言葉が……
「……ッ——……ありがとうフィーシア」
そこでカエが口を開くと、溢れるは『謝意』の言葉——どこまでも、カエに付き従うフィーシアに向けての咄嗟に溢れ出た言葉であった。
「……それじゃーフィーシア!」
なら……次にカエの口にするセリフは、フィーシアの意を汲んだものとなる。
ただ——1つ……
フィーシアに自身の矜持がある様に——カエにも、譲れない“事”というのもあるわけで……
「“お姉ちゃん”に——! 力を貸してくれ!!」
あくまで、フィーシアは『サポーター』であると共に『家族』である事をカエは捨てたりはしない。
「——ッ! まったく、マスターはしょうがない人ですね。了解しましたお姉ちゃん——」
2人の心が通じ合うと——綻ぶ顔を浮かべ戦場に視線を向ける。
今から、“ドラゴン”に挑む者とは、とても思えない。




