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「ええと、これに着替えればいいの?」
見たことない作りの洋服に興味を示しながらも不安げなペルセフォネは、縋る様にハデスへ視線を向けた。
「―――そうだな」
今のところペルセフォネにガイアの声は届いていないようだ。なぜハデスが伝言役を買って出る羽目になるのか、それもまた恐らくちょっとした嫌がらせである。
ペルセフォネに与えられたセーラー服は、やや色身が落ち着いた臙脂色がベースとなっていて、襟と袖には二本、薄い朱色のラインがアクセントで付いている。胸と臍の横辺りに三つ、平行にポケットがついており、底にはポケットの位置を示すように同じ色のラインが一本ついていた。襟の先端に結ぶのはスカーフで、それは純白で薄く、つるつるとした感触が特徴的である。それを襟に掛けてからリボンのようにして結ぶためにかなり長めになっている。スカートは膝下まであり、きちんと折り目が付きやや艶めいている。基本的な制服の他に、下に着る薄手のシャツやソックス、靴まで揃っており、それの着方の手引もご丁寧に添えられていた。
「ええと、まずは…」
ハデスの了承を得てすぐに、ペルセフォネが自らの衣服に手をかけ始めた。ハデスに結んでもらった上着がぱさ、と下に落ちたところでハデスはくるりと背を向けペルセフォネから距離を取り、一部屋ほど離れた場所へ向かい自分にも宛がわれたものに手を伸ばした。
ハデスが渡された制服はブレザーは、上着が紫がかった黒、ネクタイは青、シャツが濃い水色で、ポケットは胸にはなく二つ、腹周りを中心としてやや斜めについていた。スラックスに一筋皺が入っているくらいで、ペルセフォネの者に比べるとシンプルな作りである。ハデスは説明書を見る必要もないほど手際よく着替え、脱いだ服は丁寧に畳んで隅に置きペルセフォネのもとに戻るべく身体を反転させた。
「ええ、ここを引っ張るの…?あら、おかしいわ」
ハデスが席を立っているのに気づかぬまま、ペルセフォネはひとり初めてのセーラー服に奮闘していた。オリュンポスで生活していた頃の衣服は、何枚かの布を合わせたり、ワンピースのような頭から被って着れるような簡単な作りであったので、セーラー服のようなジッパーを上げたり留め金に引っかけたりボタンを通したり、意外と面倒くさい工程のあるものにかなり手こずっていた。
ハデスがいる(と思っている)にも関わらず、ペルセフォネは着替えるために身に着けていたものを大胆にもすべて取り払っていた。異性と接する機会がほぼ皆無であったせいか、異性間で服を脱ぐことがどれほど大変な行動であるかの意識がなかったのだ。彼女の裸体の記述については諸々次の機会へ、割愛。
まず初めに下に身につけるシャツを頭から被る、これは簡単である。頭と袖口があるので難なく終える。次に上着。これは袖を通して、前が合わせ布みたいになっているから、なんだかぎざぎざしたのがふちについてるし、先っぽにはよくわからない金具がある。なんとなくいじってみると合わさって、首元まで動かすとどうだろう、閉じていくではないか、成程こういう仕組みなのか。と感心しながらゆっくりジッパーを上げていったのだが途中で布を巻きこんでしまったか、引っかかってしまい動かなくなってしまった。仕方ないので次はスカートを履いていく。これも同じように金具を引き上げていけばいいものだ。下半身に纏って、いざ、いやこれは正面ではなく斜めなのか。体勢を整えるのが難しい、あ、また引っ掛かった。
「変になっちゃったわ、とれない、どうしましょ―――きゃあ!」
すてん!
スカートのジッパーが上がりきっていないのでずり落ち、そのせいで下がってきた裾を踏んでしまいバランスを崩しすっ転んでしまった。
「い、痛い…、ハデス、これ、どうしたらいいのかしら―――あら?」
いると思っていたかの彼が既にその場にいないことに、ペルセフォネは転び起きた時点でようやく気付いた。
男の前で平気で着替え始めたペルセフォネから離れたハデスは、彼女には貞操観念も欠けているのが分かり正してやらねばと考えた。触れずに生活するのであれば、別段ペルセフォネの裸体を見ようが違反しているわけでもないのだが、それ以前にモラルの問題である。性欲の塊でもない限り、なおかつハデスのような清廉潔白な性格であれば視線を逸らすのは当然のことだ。それだけでなく彼女の母親のことも考えると、下手に気に障る行動を取るのは賢いとは言えない。もしかしたらガイアを介してこちらの動向が伝わっている可能性もあるのだ。
さて着替えたはいいものの、ハデスはペルセフォネの元に戻るタイミングを窺い立ち往生していた。なにせ男に比べ女というのは着替えるのに手間がかかる。さらに初めてセーラー服に臨んでいるだろうからペルセフォネの着替えスピードはスムーズとは言えないだろう。早計に戻って妙な場面で鉢合わせは避けたい。着替えが終わったかどうか声を掛けてみるか、と息を吸った矢先であった。
「あ、ここにいたの、ハデス!これを見て、変なことになっちゃって、どうしたらいいか分からなくなっちゃったの!」
当人がのこのこ現れたのである。先程うまくいかず着乱れた状態のままで。
上下とも中途半端に布を噛んだジッパーが不格好で、上は胸の谷間が見える怪しい位置に、下はずり落ち続けるので片手で押さえながらも、足の付け根のラインがはっきり見える。つまりいといろといけないところが見えてしまっているわけだが、羞恥心がいま一感じられないペルセフォネは、
ハデスがこちらを見ずに首を真横にしたままであることを不思議に思いながらも指示を仰いだ。
「…ペルセ」
「はい?」
「直すが、あとで話がある」
極力見ずに、触れずにを耐え抜き何とかペルセフォネに制服を着せてやったハデスは、いたずらをした娘を諭す父親のような気分になりながら、何度となく溜息を漏らした。
「…わ、あ、わたし…っ!!」
「次から気をつけて欲しい」
ハデスから改めて異性の区別について説明を受けたペルセフォネは、顔を沸騰させながら二度と今回のような失態を犯さぬと誓ったのであった。




