第1話 転落
鬱蒼と茂る樹海の奥で、まさに今、目の前のロープに
首を掛けようとしている男がいた。
俺だ——
俺の名前は、天川大地
名前のごとく、天から地へ落ちた男だ。
俗に言う人生詰んだってやつ。
――――――
青く澄み渡る空の下、広大な敷地の奥に、壮麗な大邸宅が悠然と佇んでいる。
この豪邸は俺の家—――――だった…
俺はある財閥の家に生まれた。
世界でも指折りの資産があり、俺は
莫大な富を相続する資格を持って産まれた。
学校は全てコネで入った。
女、酒、ドラッグ、車…ありとあらゆる贅沢を
やりつくした。
俺は自分以外の人間は全て見下していた。
使用人やメイドは道具だと思っていた。
「友達?お前が? そんなもんいらねーよ。
欲しけりゃ買えばいい。」
当然俺の周りからはどんどん人が離れていった。
だが金や権力をちらつかせると、どんな奴も
ペットの様に媚びへつらった。
だがある日を境にそんな生活が急に幕を閉じた。
現当主である父が急死したのである。
そして父の代わりに会社の舵を握ったのは
父の秘書の男、黒原であった。
あとで知ったが、黒原は随分前からクーデターを
画策していたらしく、わずか一年足らずで、会社の名義を
自分の物にしてしまったのである。
「坊ちゃん、いや、天川大地、もうお前はこの家とは
関係が無い、さっさと消えろ。
おい! さっさとこいつをつまみ出せ!」
数人の使用人が俺を取り囲み
荒っぽく両腕を持たれて部屋から引きずり出された。
「おい!離せ!俺は次期当主だぞ、そんな事をして
ただで済むわけ…」
だが使用人たちは無言で俺を引きずって
ついには巨大な門の外に放りだされてしまった。
「そんな…俺はこれからどうすれば…」
今まで何不自由なく暮らしてきた。
働いた事など当然なかった俺は途方にくれた。
それからの生活は地獄だった。
人に物を尋ねることも出来ない俺は町の裏路地を転々とした。
何度か知り合いに見つかった。
「あれ?天川じゃない?」
「追い出されたって聞いたぜ?」
俺は救われたと思った。
「た…助けてくれ…」
「いくら出せるんだ?」
「今は手持ちが…」
「ああ…落ちぶれたな…いい気味だ…」
「ほんと、ざまあ! ははは」
何度か良い思いをさせてやったのに。
俺はそう思ったが、俺はそいつらを押しのけて
走り出していた。
ゴミを漁る日々、雨宿りしていると警察に通報された。
俺はただ逃げるしかなかった。
人目を避け、暗闇から暗闇へ、肌は煤け、高級ブランドの服も
いつしかボロ布と化していた。
髪は伸び放題、靴の先は割れ
指先が露出していた。
「なんか臭いよ…」
子供の声がする。
母親は俺に気づく。
「近づいちゃダメよ!」
もはやなんの感情も湧かなかった。
あまりの空腹で腹と背中がくっつきそうだった。
その時、目の前にクッキーが落ちていた。
久しぶりの食事だった。
そして俺は必死で飛びついた。
だが一瞬早く何かが俺の食事を横取りしたのだ。
犬だった。
そしてあろうことかその犬は俺に小便をかけたのだ。
だが俺には犬を追い払う力は残っていなかった。
一声で何十人の使用人を動かせた俺が
今は犬一匹追い払えない。
そこから俺がどんな行動をしたのかは覚えていない。
気が付いた時にはゴミの中に埋もれていた。
口の中が切れ、歯も何本か折れていた。
死のう…
その文字が頭の中にはっきりと出現した。
思えばこれが俺の人生で唯一自分で意思決定した事
なのかもしれない。
少し誇らしい気もした。
人生の目的が決まった俺は
なぜか心が満たされていくのを感じた。
俺は力強く立ち上がり、早速行動を開始した。
そして今俺は首を吊って死のうとしている。
「これでいいんだ。」
なぜか清々しい気分にすら思えた。
縄を首にかけ、踏み台を蹴った。
その瞬間、ゴキッと首の骨が折れる音がして
やがて意識は白んでいった。
「………」
風のない世界だった。
静寂がしばらく続いた。
おかしい…これが死後の世界か?
辺りの景色は霞がかかったようにぼやけていた。
俺は黙って成り行きを待つことにした。
どれくらい時間が経過したかわからない。
「はあ…めんどくさ…」
急に若い女の声が聞こえる。
「?」
「あんた…天川大地?」
「誰? てか これってどういう状況??」
俺は辺りを見回したが、誰もいない。
「こっちだよ! こっち!」
「は? どこ?」
「上だよ!間抜け!」
俺は視線を上に向けた。
すると、そこにビキニの女が浮かんでいた。
羽衣の様な薄い布を纏っていた。
「あんた誰? てか ここどこ?」
「ああ ああ 説明めんどくさいから用件だけ言うわ」
「??」
「もう一回人生やり直させてやるから、希望を言って。」
「はあ!? お前何言ってんの? 俺は死ん…」
「チッ 聞こえなかったのかよテメエ! もう一回人生やり直させてやる
っつってんだろうが!! イライラするわこいつ」
「そんな唐突に言われても信じられるかよ、クソガキ」
「クソガキ?もう一回言ってみろや。これでもワシは3000歳じゃ
、東神界を任されてる女神様なんだよ!」
「“これでも” って自分で言ってるし。
女神? とうしん?? うさんくせえ…」
「この見た目気にいっとるのに…
じゃあこれならどう!?」
そういうと女は巨大なドラゴンに変化した。
グオオオオオオ!!!
大地を揺らすような吠え声を上げた。
「うわああ!! わかったよ!」
「わかったならさっさと希望を言え!」
「希望ってなんだよ。」
「生まれ変わってお前がなりたいものじゃよ。」
「なんだって?…急に言われてもなぁ…」
しかし、待てよ…
「人間がいい。」
思わずその言葉がついて出た。
「何?そんなもんでいいのか?」
何言ってんだ?こいつ…
人間が一番いいに決まってるじゃないか。
「ファイナルアンサー?」
いつの間にか姿が人間のおっさんに変わっている。
白髪でオールバック…あれって…
なぜか俺は色んな角度から顔をズームされている感覚があった。
「もちろんファイナルアンサー…」
そう言って俺は生唾を飲み込んだ。
「残念…」
女神のおっさんは残念がった。
「残念だって?どう考えたって正解でしょ?」
「次の問題」
女神は言った。
っていうか昔のクイズ番組になっとるやんけ…
「性別と容姿じゃ。」
「ああ、なるほど、キャラクリだな。」
「そうじゃ、最初はざっくりでいいから言ってみろ。」
「そうだな…じゃあ性別はもちろん男。
容姿は…美男子だ!!」
「ファイナルアンサー?」
女神が言った。
「なんでファイナルアンサーなんだよ!
ざっくりって言っただろ? こういうのって
何度かトライアンドエラーするのが
楽しいんじゃないか!」
カメラが俺にズームしていく。
女神の視線が厳しさを増していく。
「おい!!…
じゃあ もういいよ! ファイナルアンサーで!」
「……正解」
みの…いや、女神がニヤりと歯を見せた。
なぜか胸を撫でおろす自分がいた。
「ステータスは…普通でいい?」
「なんでそこ適当!?」
「ファイナルアンサー?」
「ええ!? それって選べんのか? ちょっと待…!」
その時、俺の人生が走馬灯のようにフラッシュバックした。
「いや…それでいい。
普通にしてくれ。」
浮き沈みの激しい人生はもういい。
なぜか、”普通”という言葉が腑に落ちた。
俺は普通に生きたい――
「ファイナルアンサー!」
ありたっけの声で叫んだ。
その瞬間、目も開けられないほどの
まばゆい光が俺を包んだ。
◆
俺はゆっくりと目を開けた。
目に入ったのは建物の天井だった。
木がむき出しの粗末な小屋みたいだ。
「どこだ?ここ」
俺はベッドの上で目を覚ましたらしい。
俺は…どうなった…?
窓の外は明るい。
「とにかく外に出てみよう」
俺は玄関の扉を開けた。
その瞬間、道を歩く通行人と目が合った。
その通行人は肌が緑色で、下あごが突き出ていて
長い牙が生えていた。
「うわあああ!!」
俺は驚いて急いで扉を閉めた。
「うわあああ!!」
通行人も同じリアクションだった。
通行人は小屋の外で何やら叫んでいる。
「宇宙人が目覚ましたぞ!!」
何だ…あれ…緑色してたぞ…あれじゃまるで
ナメッ…
それに宇宙人だって!?
どっちがだよ!
そう考えていた瞬間、玄関の扉がガチャリと開いた。
玄関から3人の緑色の肌の人間が入ってきた。
真ん中の一番偉そうな奴が、紙を俺に見せた。
そこには、笑顔のマークと握手をするイラストが
描かれていた。
なるほど…敵意はないという事か…
すると後ろの奴が何やらジェスチャーをしている。
器を持って?…スプーンで?食べる…フムフム…
力こぶのポーズ…何かを引っこ抜くポーズ…
てか、口が”にく”と”やさい”になってるぞ…
そして、それを…鍋に入れて…かき混ぜる…
カレーやないかい!
にく…やさい…俺は声に出した。
そうそうそう! 3人は口を揃えてそう言った。
「あの…言葉通じますよね…多分…」
「え?」
「ええええ!?
宇宙人がしゃべったぞ!!」
―――――
「なるほど…倒れていた所を助けてくれたと。」
「あんたが降ってきたんだよ!俺の目の前に!
宇宙人かと思ったから。
だけど放って置くわけにもいがねっし。
とりあえず連れて帰って来たってワケ。」
と、一番偉そうなリーダーっぽい奴が言った。
「何が望みだ? 金は無いぞ?」
リーダーは窓の外を指さした。
するとそこには人型に地面が陥没していた。
どれだけ高い場所から落ちたらああなるんだ…
俺だけど。
「ここは…どこだ?」
「ここ? オークの国、オークランド
ってワケ」
リーダーが言った。
「オーク?」
「なんだ、あんたオーク知らないのか?」
ちょっと待て…
ここはどこなんだ…まさか
地球以外の星って事か…
「逆に聞くが、あんたはどこから来たんだ?」
一番背の小さいオークが言った。
そうだ…俺は死のうとして…
そしたら変な女神が現れて…
だけど、その事を言ったって信じてもらえないだろう。
「地球だけど。」
嘘は言ってない。
「どこだそれ?」
「聞いたこと無い…ってワケ」
「聞いたことないさー
どこさあるだ?その地球ってば」
「ずうっと南の…方かな…」
ってか、色んな方言混ざってるし、リーダーの語尾
が気になるぅ…
「南…」
「なんだって…!?」
「南って…魔族領だぎゃね!」
「あんたもしかして…」
「俺は魔族じゃない」
そう言って俺は手を振った。
その瞬間
バキバキバキ!!
大きな音を立てて部屋中の家具が砕け散った。
「え…?」
俺たち全員、あっけに取られた。
「や…やっぱりあんた…」
「魔族だっぺ!!」
「助けてくれ!!」
3人はそういうと一目散に部屋から出ていった。
どうなってる…
今のは俺なのか?
軽く手を振っただけなのに…
――――――
しばらく考えていると、また声が聞こえた。
「はあ…めんどくさ…説明するの…」
「その声は…女神…」
見上げるとあのビキニの女が浮かんでいた。
大きなリングピアスがきらりと光った。
「あのさ…どうでも良いけどその女神って呼び方
止めてくんない?
私には、ルキナって名前があるのよ。」
「じゃあルキナ、俺はいったいどうなった?
ここはどこだ? 地球なのか?さっきのあれはなんだ?
手を振っただけで家具が吹き飛んだぞ。」
「はあ…ステータスを私に委ねたのはあなたでしょ?」
ルキナはガムを噛みながら少し上を向いた。
「俺は“普通”って言ったんだ!
あれのどこが普通なんだよ!」
「だ・か・ら 普通なのよ!!
あれが。」
「いやいや、普通の人間が腕の一振りで
家具をぶっ壊せないだろ…」
「はあ? 人間だって?
そんなの言ってなかったわよね?」
「どういう事だ、俺は一体“何”を
基準に“普通”なんだ?」
「東神界だけど?」
「は? 東神界ってそもそも何なんだ?」
「ええ…? 説明しなきゃダメ?
超面倒くさいんだけど!」
「頼むよ。」
俺は今でも自分が置かれている状況がわからない。
だが…嫌な予感しかしない…
「あのね、世界っていうのは一つじゃないの。
私が管理しているだけでも、数えきれないほどあるわけ」
「それで?」
「世界によって、生き物の強さが全然違うのよ。
あんたがいた世界は、どちらかといえば弱い方ね」
「……それが俺と何の関係があるんだ?」
「だから、いろんな世界を基準にして、普通の能力にしてあげたの」
「ちょっと待て。俺が言った普通って、そういう意味じゃないんだけど!」
「知らないわよ。ちゃんと確認したでしょ? ファイナルアンサーって」
「って事は…俺は人間を超えてるって事か?」
「そうなるわね。」
ルキナは表情を変えずすました顔で答えた。
「じゃ、私もう行くわね!
あ、そうそう、この小屋の裏口は
あなたの元いた次元への通用口になってるから。
それじゃ!」
ルキナはフッと消えてしまった。
「お おい!!」
行ってしまった。
どれだけせっかちなんだよ…
っていうか…
一旦落ち着こう…
俺はソファに座り、フウっと息を吐いた。
視線を上げると、小屋の裏口があった。
いつの間にか俺は裏口のドアノブを回していた。




