【18】自分のことを話しているのを立ち聞きする話
私も何度か書きました。
自分のことを話しているのを、物陰で聞いてしまう場面。
思い出すとけっこう書いていますね。
誰かの本音を知ってしまう場面、そこから当該人物との関係性が良くなることはほとんど無いと思っています。
最悪、それで何かが終わることもありますね。
その場面に遭遇してしまった主人公が、どうやってその場を後にしたか。
本当はそこを詳細に書きたい。
ただ短編では必要な情報だけを絞って書く必要もあって、なかなかそこを詳しくは書けません。
何故それを書きたいかというと、どうやってその場を立ち去ったか、
当事者はいつも覚えていないからです。
だから想像で書いてみたいと思っています。
自分の記憶の断片を辿るのは好きで、いつもやっているのですが、
立ち聞きしてしまった場面のその後だけは、断片すら拾えないことがほとんどでした。
実際に「立ち聞き」が成り立つ環境というのは、読み手の誰もが納得できるように書くのは難しいです。
フィクションにおける最もフィクションと分かる場面と思われがちです。
『そんな都合よく起こらない』
それが結構起こるものでした。
10代の終わり頃に小料理屋でアルバイトをしていました。
夫婦でやっている和食料理屋で、L字型のカウンター7席と、4人掛けのテーブルが2卓だけの小さな店でした。
店の奥で料理全般をする「大将」と呼ばれる旦那さんと、カウンター内で客をあしらいながら小鉢を整えたり酒を作ったりする「ママ」と呼ばれる奥さん。
私はカウンターの外側のことをやります。
お客さんに料理を出して、下げて、テーブルを拭いたり調理器具以外の茶碗やお皿などの洗い物も私の仕事でした。
小さな店なのでそれほど忙しくはありません。
アルバイトは平日のみで店の定休日は日曜日で、私は水曜日は休みでした。
18時から22時まで、21時半になるとカウンターの端で夕飯を食べさせてくれます。
その間も時給は払われて、おでん鍋から好きなものを選ばせてくれたり大将が奥から魚を焼いて出してくれたりして、お客さんから『ママにプリンを冷蔵庫に預けているから最後に食べたらいい』と言ってもらったりもして居心地の良すぎる店でした。
関西出身の大将が作るおでんは、それまでおでんの具として食べたことが無かった「くじら」がありました。
生まれて初めて食べた「くじら」のおでんは本当においしかったです。
私は実母と実母の夫である養父がいる家を早く出たくて、アルバイトを掛け持ちしていました。
言葉数は少ないけれど優しい大将と、世話焼きでよく笑うママ。
どこかで自分の親がこの2人だったらとても素敵なのになと、そんなふうに思うこともありました。
ある日仕事を終えると雨が降り始めていて、私は店の引き戸の外に出て折り畳み傘を開こうとしていました。
すると、
「鳩子ちゃんはいい子だね」
カウンターでまだ飲んでいたお客さんの声が聞こえました。
「鳩子ちゃんよりもね、水曜日だけ来るお嬢がね、特別素晴らしい子だからね。若い女の子には夜に酒を出す店で働かせるのは良くないからね、お嬢は水曜日だけにしてもらって店が終わったら3人であっちの料亭でメシを食うんですよ。それが生き甲斐でね」
「だから水曜日は閉まるのが2時間も早いんだ。水曜日は間に合わなくて来たことがなかったけど、なるほどそういう…」
そのやり取りは鮮明にほとんど違わず覚えているのに、そこからどうやって家に帰ったかを本気で覚えていないのです。
ドンと胸を突かれたような衝撃があって、その後のことは何一つ覚えていません。
2人には、大事にしているアルバイトの人がいた、それだけのことではありました。
小料理屋でありながら、酒を出す仕事をさせたくなくなるくらいに可愛がっている人が。
店を早じまいにして3人で食事に行くのが生き甲斐、そんな娘のように思っている人がいたのです。
私は『お嬢』と大将が呼ぶその人の存在を知りませんでした。
その人が週に1日だけ働く日は、指定された私の定休日でしたから。
それからも私は働き続けました。
時給が良くて夕飯も食べられ、家からも近く辞める理由がなかったからです。
いつもどおり働き、いつもどおり夕飯をもらって食べました。
でも、なんとなくその日からおでんの「くじら」を選ばなくなりました。
それから半年くらいで貯金の目標額に達し、その店を辞めることになりました。
「いつでもご飯を食べにおいでね」
そうママは言ってくれました。
でもそれから私はひとり暮らしを離れたところで始めて、
その小料理屋に行くことはありませんでした。
水曜日の20時に行ったらどうなったかな──と思ったことはあります。
でもあの雨の夜の胸の痛みを、違う形でまた味わいたいとは思えませんでした。
こうして思い出して書いていると、私が引き戸のすぐ向こうに居たことはママも大将も気づいていたのではと思いました。
引き戸は曇りガラスで、その戸のすぐ前で折り畳み傘をカバンから出そうとしていた私のシルエットは中から見えていただろうと思うのです。
辞めさせたかったのでしょうか。
そこから半年も働き続けるとは思っていなかったのでしょうか。
それとも本当に気づいてはいなかったのでしょうか。
小説ならば、その時話していた側のことを「こういうつもりだった」と書けますが、実際には知ることはできませんね。
それからおでんの「くじら」は1度も食べていません。
なんとなく、このまま食べない人生を行くだろうなと、それだけを思っています。




