第189話 許可の言葉より先に、引き受ける責任の重さが返ってきた
機能維持基準の回答書を提出した翌々日。
梅桜高校の朝は、前日までの蒸し暑さが少しだけ和らいでいた。
雲は多いが雨の気配はなく、校舎の窓から入る風には、夏の手前らしい湿り気と、わずかな涼しさが混ざっている。中庭の植え込みでは、昨夜の雨を残した葉が風に揺れるたび、小さな雫を地面へ落としていた。
なつきは昇降口へ入り、上履きへ履き替えながら、いつものように職員室側の廊下へ視線を向けた。
自分でも気づいた直後。
「見た」
隣から春樹が言う。
「何を?」
「職員室」
「見てない」
「見た」
「春樹も見たでしょう」
「見た」
「じゃあ同じ」
「最近これ多い」
「何が?」
「返事待ち」
「だって気になる」
「僕も」
そこで二人とも少し笑った。
正式設置申請を提出してから。
黄色い三角についての照会。
管理・復旧基準についての照会。
二度。
学校側から問いが返ってきた。
どちらも。
「駄目」
ではなかった。
むしろ。
実際に学校が引き受ける前提で、細かいところを確かめているようにも見えた。
だから。
期待している。
少しだけ。
春樹から「少しなら」と言われた範囲を、なつきなりに守っているつもりだった。
ただ。
少し、の量が。
日に日に増えている気はする。
「今日来たらどうする?」
なつきが尋ねた。
「何が?」
「結果」
「みんなで聞く」
「知ってる」
「じゃあ何を聞いてるの」
「春樹がどうなるかなって」
「どうなる?」
「泣く?」
「泣かない」
「昨日島中に言ったのと同じ」
「なつきも泣くでしょう」
「許可なら?」
「うん」
「……分からない」
「泣くかも」
「春樹も?」
「分からない」
「同じ」
二階へ上がる。
朝の廊下。
教室へ向かう生徒たちの間を歩きながら、なつきは以前ほど周囲の視線を気にしなくなっている自分へ気づいた。
春樹と付き合っていることは、もう十一組ラボの外にも広がっている。
昨日は。
「一緒に帰るの?」
と聞かれた。
その前は。
「付き合ってるの?」
と聞かれた。
今朝も、向こうから歩いてきた商業科の女子生徒が二人を見て、少しだけ意味ありげに笑った。
それでも。
春樹との距離を離そうとは思わなかった。
学校の中では手をつながない。
でも。
それは噂を避けるためというより。
二人ともまだ恥ずかしいから。
自分たちの理由で決めている。
そのことが。
なつきには少し嬉しかった。
十一組ラボの教室前へ来る。
島中が。
扉の向こうから顔を出した。
「来てる?」
なつきが先に聞く。
島中が目を細めた。
「お前も俺と同じになってきたな」
「何が」
「第一声が返事」
「来てない?」
「先生まだ」
「じゃあ分からない」
「俺も朝一で来た」
「何時?」
「七時四十八分」
「早い」
春樹が言う。
「島中、今日一番?」
「紅秋いた」
「負けてる」
「勝負じゃない」
「でも悔しそう」
「少し」
田辺が後ろから現れ。
「朝から何競ってるんだ」
と呆れた。
「申請結果待ち選手権」
島中。
「開催してない」
「俺優勝候補」
「紅秋に負けてる」
「そこは審査員枠」
「勝手に除外するな」
朝の廊下へ笑いが広がった。
そんなふうに。
朝は普通に始まった。
結果は来なかった。
一時間目。
何もない。
二時間目。
何もない。
三時間目。
担任が教室へ来るたび。
なつきは少しだけ期待する。
別件。
四時間目。
授業が終わる。
やはり何もない。
「横田さん」
昼休みになり。
鞄から弁当を出していたところで、前の席の女子生徒が振り返った。
「何?」
「今日大國くんと食べないの?」
なつきの手が止まる。
「何で?」
「付き合ってるから」
「付き合ったら毎日一緒に昼食になるの?」
「ならない?」
「知らない」
「食べたい?」
「……たまには」
正直に言った瞬間。
相手が笑う。
「顔赤い」
「聞いたからでしょう」
「でも十一組ラボあるんだっけ」
「うん」
「大変だね」
「嫌ではないよ」
「大國くんとご飯より?」
「比較しないで」
近くで聞いていた別の女子生徒まで笑い始める。
「じゃあ今度誘えば?」
「何を?」
「昼食」
「春樹を?」
「彼氏でしょ」
「そうだけど」
「まだそういうの慣れてないんだ」
「何でみんな恋愛詳しいの」
「横田さんが分かりやすいだけ」
「またそれ」
笑いながら。
なつきは弁当を持って十一組ラボへ向かった。
以前なら。
こんなふうに恋愛の話をされるだけで、一日引きずったかもしれない。
今は。
恥ずかしい。
でも。
少し楽しい。
そして。
教室へ着けば。
気持ちは自然と活動へ切り替わる。
それも。
以前より分かるようになった。
十一組ラボの教室。
昼休み。
今日は。
正式設置後の引き継ぎ資料を整理する予定だった。
正式許可はまだ。
それでも。
機能維持基準を学校側へ返したことで。
もし許可されたら。
何を渡すのか。
少しずつ準備している。
「変更履歴」
美優が机へ並べる。
「全部渡す?」
島中が尋ねる。
「全部だと量が多すぎる」
「昨日施設管理の先生は残してほしいって」
「主な変更理由」
「不採用案」
「利用者意見」
「安全確認」
「全部主じゃない?」
島中が言う。
田辺が笑う。
「だから困ってる」
現在。
十一組ラボには。
原本。
打ち直し版。
要約。
写真。
試作品。
設置時写真。
利用者意見。
観察。
申請書。
照会回答。
相当な量の記録がある。
「学校側へ全部渡したら」
蓮が言う。
「次の人が読むだけで終わる」
「じゃあ減らす?」
「原本は十一組ラボ保存」
「学校管理用は?」
「なぜ今の形なのかが追える範囲」
「何ページくらい?」
「ページ数から決めない」
「また言われた」
島中が笑う。
なつきは。
弁当箱を開きながら、春樹の隣に座った。
「今日」
小声。
「何?」
「クラスで言われた」
「何を?」
「一緒にお昼食べないのって」
春樹の箸が止まる。
「僕と?」
「うん」
「食べたい?」
まっすぐ聞かれ。
なつきの顔が少し熱くなる。
「たまには」
「僕も」
「本当?」
「うん」
「じゃあ」
少し考える。
「十一組ラボない昼?」
「そんな日ある?」
「……ないかも」
「最近毎日来てる」
「活動減ったら?」
「その時」
「約束?」
「うん」
「忘れない?」
「なつきが覚えてるでしょう」
「忘れないこと増えてるから」
「また僕の言葉」
「気に入ってる」
春樹が少し笑う。
その横で。
茜が。
「何の話?」
と聞いた。
「何でもない」
なつきが即答する。
「絶対何かある」
「昼ご飯」
春樹が普通に答えた。
「春樹!」
「何で隠すの?」
「恥ずかしいから」
「二人で食べたいって?」
茜が聞く。
なつきは顔を覆いたくなる。
島中が少し離れた席から。
「お、デート?」
「昼食!」
「それデート扱い?」
「知らない!」
田辺が島中の頭を軽く資料で叩いた。
「仕事しろ」
「昼休みだぞ」
「活動中でもある」
「紅秋」
島中が助けを求める。
「恋愛の話は休憩時間に」
「今休憩時間」
「十一組ラボの休憩は五分後」
「細かい」
教室に笑いが起きる。
恋愛が。
少しずつ。
十一組ラボの空気にも溶け込んでいる。
特別扱いされすぎない。
でも。
完全に無視もされない。
それくらいが。
なつきにはちょうどよかった。
「さて」
紅秋が手を叩く。
「引き継ぎ資料」
「はい」
島中もすぐ戻る。
午後に。
何か起きるとは。
その時。
誰も知らなかった。
六時間目。
授業終了。
放課後。
なつきが十一組ラボの教室へ入った時。
空気が。
いつもと少し違った。
紅秋が。
教卓の前に立っている。
美優。
蓮。
すでに来ている。
そして。
十一組ラボ担当教師。
さらに。
施設管理の教師。
二人。
「え」
なつきの足が止まる。
春樹も。
後ろから入ってきて止まった。
「先生」
「全員揃うまで待つ」
担当教師が言った。
なつきの胸が。
一気に速くなる。
これは。
照会ではない。
少なくとも。
昨日までとは違う。
島中が廊下を走りかけ。
扉のところで田辺に腕を掴まれている。
「走るな」
「だって先生二人!」
「だから走るな」
「結果!?」
島中が教室へ入るなり尋ねる。
施設管理教師が。
少し笑った。
「まだ言いません」
「今ので結果って分かる」
「分からないでしょう」
「わざわざ来てる」
「追加説明かもしれない」
「怖いこと言わないでください」
全員が席へ。
教師二人が前へ。
もう一人。
数分遅れて。
教務側の教師も来た。
教室の空気が。
さらに固くなる。
「多い」
島中が小声で言う。
「聞こえてるぞ」
教務教師。
「すみません」
「座ってろ」
「座ってます」
少しだけ笑い。
でも。
緊張は消えない。
なつきは。
机の下で手を握った。
春樹は。
二つ隣。
活動の席。
校内だから。
手はつなげない。
少し。
それが惜しいと思った。
けれど。
顔を上げた春樹と。
目が合う。
小さく。
うなずく。
それだけで。
少し落ち着いた。
「まず」
施設管理教師が話し始めた。
「提出された正式設置申請書と、その後の二件の回答について、関係部署で確認しました」
誰も動かない。
「最初に」
少し間。
「結果から話します」
島中が。
息を呑む音が。
本当に聞こえた。
「第二実習室への案内表示について」
紙を見る。
「正式設置を認めます」
静寂。
一秒。
二秒。
なつきは。
言葉が。
頭へ届くまでに。
少し時間がかかった。
正式設置。
認める。
「……え」
島中の声。
小さい。
「本当ですか」
「はい」
「本当に?」
「二回言わせますか」
「お願いします」
「正式設置を認めます」
次の瞬間。
島中が立ち上がった。
「よっしゃあ!」
「島中!」
田辺が止める。
でも。
遅い。
教室の外を歩いていた生徒が。
何事かと覗く。
島中は。
慌てて口を押さえる。
「すみません」
施設管理教師は。
笑っていた。
「まあ」
と言う。
「そこまで喜んでもらえるなら、審査した方も悪い気はしません」
教室の空気が。
一気に緩む。
茜が。
両手を胸の前で握っている。
美優は。
少し目を伏せ。
笑っている。
蓮は。
表情こそ大きく変わらない。
でも。
何度も。
紙を見る。
紅秋は。
静かに息を吐いている。
田辺も。
島中を止めながら。
笑っている。
なつきは。
春樹を見る。
春樹も。
こちらを見た。
嬉しい。
分かる。
目だけで。
胸が。
熱い。
泣くかもしれない。
朝。
そんな話をした。
今。
本当に。
目の奥が熱い。
「横田」
担当教師が。
少し笑う。
「泣くなら今でもいいぞ」
「泣いてません」
「島中と同じ」
「違います」
声が。
少し震えた。
教室に笑いが起きる。
なつきも。
笑った。
泣きそうなのに。
笑える。
「ただし」
施設管理教師の言葉。
全員の表情が。
また少し引き締まる。
「条件があります」
島中が。
座り直す。
「はい」
今度は。
すぐに喜びだけへ走らない。
「一つ目」
教師が紙を読む。
「正式設置初日から二週間を、移行確認期間とします」
「試験?」
島中が尋ねる。
「正式設置です」
「でも確認期間?」
「正式設置した状態が、学校管理へ移っても維持できるかを見る期間」
蓮が。
すぐに理解する。
「管理移行の確認」
「そうです」
「案内自体の再試験ではない?」
「基本は違います」
「利用者反応も?」
「継続して受け取ってください」
「黄色い三角」
なつきが言う。
「特に」
施設管理教師が答える。
「申請書に継続確認と書いたでしょう」
「はい」
「その約束は残ります」
「はい」
「二つ目」
正式設置後の最初の二週間。
朝簡易確認は。
十一組ラボ一名。
施設管理側一名。
双方で。
状態を確認。
二週間後。
問題がなければ。
通常管理へ。
「一緒に?」
島中が尋ねる。
「移行期間だけ」
「俺らから学校へ」
「管理の引き継ぎを実地で行う」
「なるほど」
「三つ目」
変更履歴。
利用者意見の要約。
機能維持基準。
不採用案の主な理由。
正式設置時に。
学校管理記録として保管。
「昨日言ってた」
島中が呟く。
「正式に?」
「正式に」
施設管理教師。
「案内だけではなく」
「記録も?」
「はい」
島中は。
少し。
言葉を失った。
「四つ目」
学校承認印。
現在の試験掲示用ではなく。
正式設置用の管理番号付き表示へ変更。
「新しい?」
美優が反応する。
「形式は同じ系統です」
「大きさ?」
「ほぼ同じ」
「位置は?」
「右下で問題ありません」
「視認性?」
「現行と大きく変えない」
「初見確認必要?」
島中が尋ねる。
施設管理教師は。
少し考える。
「表示面積・位置・色が実質同じ。文言は『校内試験掲示』から『校内正式掲示』へ変わります」
全員が少し考える。
「正式性は強くなる」
春樹。
「利用者の進行情報には影響しない」
蓮。
「なら追加歩行確認までは不要?」
なつき。
「設置初日に見え方確認」
美優。
施設管理教師がうなずく。
「こちらもそれで考えています」
「条件」
島中が言う。
「四つ?」
「主なものは」
教師は紙を置いた。
「もう一つあります」
「まだ」
少し笑い。
「正式設置後」
教室が静かになる。
「案内の変更権限は、十一組ラボ単独では持ちません」
空気が。
少し。
変わった。
なつきの胸にも。
喜びとは別の感覚が入る。
「変えられない?」
島中が尋ねる。
「勝手には」
「意見来たら?」
「記録する」
「問題あったら?」
「十一組ラボ担当教師と施設管理へ提案」
「その後?」
「必要なら変更確認」
「許可」
「正式掲示なので」
島中は。
少し黙った。
「自分たちのじゃない」
小さく。
誰に言うでもなく。
施設管理教師が。
静かに答える。
「学校の案内になります」
嬉しい。
はず。
ずっと。
目指してきた。
正式設置。
学校管理。
でも。
実際に言われると。
少しだけ。
胸が寂しい。
なつきも。
同じだった。
今まで。
変えた。
話した。
すぐではない。
でも。
自分たちで判断し。
試作し。
確認した。
これからは。
学校へ提案する。
許可を得る。
自分たちだけで。
動かせない。
「嫌?」
田辺が島中へ小さく聞く。
「嫌じゃない」
島中は。
少し時間を置いて答えた。
「でも寂しい」
「うん」
「俺らが作ったのに」
「うん」
「でも」
島中は。
自分から続けた。
「俺らいなくても使えるやつにしたかった」
「うん」
「なら」
少し。
笑う。
「これでいい」
施設管理教師は。
そのやり取りを。
何も言わず見ていた。
「一つだけ」
なつきが尋ねる。
「はい」
「正式設置後」
「はい」
「利用者から困ったって声が来たら」
「はい」
「私たちは」
少し言葉を探す。
「もう、作る側じゃないんですか?」
教室が。
静かになった。
教師は。
すぐには答えなかった。
少し考える。
「どういう意味での『作る側』ですか」
逆に。
聞かれる。
なつきは。
考える。
「勝手に変える人じゃなくて」
「はい」
「声を受け取って」
「はい」
「理由を考えて」
「はい」
「必要なら学校へ変えたいって言う」
「それなら」
教師が答えた。
「今まで通りです」
胸が。
少し軽くなる。
「ただし」
「はい」
「最終判断は学校と一緒にする」
「はい」
「それが正式設置です」
なつきは。
うなずく。
「分かりました」
完全に手放す。
ではない。
抱え込まない。
でも。
関わらなくなるわけでもない。
「共同?」
茜が言う。
「正式設置後は」
紅秋が答える。
「そうなるね」
「十一組ラボから学校へ渡す」
「でも声を拾うところには残る」
「うん」
「何か」
島中が言う。
「ちょうどいいかも」
「何が?」
「俺らだけじゃない」
「うん」
「でもいなくならない」
「うん」
先生たちは。
さらに。
正式設置日の候補を出した。
三日後。
朝。
施設管理立ち会い。
十一組ラボ全員参加可。
ただし授業前。
設置作業は。
学校側と一緒に行う。
「三日後」
島中が言う。
「はい」
「本当に?」
「まだ聞きます?」
「今だけ」
「正式設置は三日後です」
島中が。
両手を握る。
「ありがとうございます」
今度は。
大声を出さなかった。
その代わり。
頭を下げた。
他の全員も。
自然に。
「ありがとうございます」
と続いた。
施設管理教師が。
少し困ったように笑う。
「こちらこそ」
「何がですか」
島中。
「ここまで資料がある申請、なかなかないです」
「多すぎました?」
「多かったです」
教室に笑い。
「でも」
教師は続ける。
「問題が書いてある資料だったので、読みやすかった」
「問題がある方が?」
なつきが尋ねる。
「問題が隠されてない方が」
「なるほど」
「そのうえで、どう考えたかが書いてある」
「はい」
「だから」
教師は。
申請書の控えへ目を向ける。
「学校側も、何を引き受けるのか分かりました」
なつきは。
第186話で。
みんなと話したことを思い出す。
認めてもらうためではなく。
知ってもらうために書く。
本当に。
そうなった。
良いこと。
困ったこと。
戻れたこと。
まだ残る不安。
全部。
学校が知った。
だから。
引き受ける。
「申請」
なつきが小さく言う。
「はい?」
教師が見る。
「通すためじゃなかったんですね」
「もちろん通すためでもあります」
全員が少し笑う。
「でも」
教師も続けた。
「何を学校へ渡すのか説明するものです」
「はい」
「それが分かったなら」
少し笑う。
「次に誰かが申請する時、教えてあげてください」
島中が。
「俺、説明できます」
と真っ先に言う。
「まず待つことから教えろ」
田辺。
「そこ大事」
教室に。
また笑いが広がった。
教師たちが帰った後。
扉が閉まる。
数秒。
静か。
そして。
島中が。
ゆっくり立ち上がった。
「……正式設置」
「うん」
紅秋。
「通った」
「うん」
「三日後」
「うん」
「言っていい?」
田辺が尋ねる。
「何を?」
「今度は」
少し笑う。
「叫んでも」
島中が。
本当に。
一瞬。
泣きそうな顔をした。
「じゃあ」
息を吸う。
「やったああああ!」
教室に。
大きな声が響いた。
今度は。
誰も止めなかった。
なつきも。
笑いながら。
手を叩いた。
茜。
美優。
蓮。
紅秋。
田辺。
春樹。
全員。
拍手。
廊下から。
「何?」
「十一組ラボまた何かやった?」
「案内?」
生徒たちの声。
島中が。
扉へ向かい。
「正式設置決まりました!」
今度は田辺も止めなかった。
「おお!」
「おめでとう!」
知らない生徒まで。
何人か。
拍手してくれる。
なつきは。
その光景を見ながら。
目の奥が。
とうとう。
熱くなる。
「なつき」
春樹の声。
「何?」
「泣いてる」
「泣いてない」
「島中と同じ」
「違う」
「目」
「嬉しいだけ」
「うん」
春樹も。
目元が。
少し赤い。
「春樹も」
「雨」
「晴れてる」
「じゃあ」
少し考え。
「嬉しいだけ」
二人で笑った。
その日の。
おかえり会。
机の中央には。
正式設置候補の案内一式。
もう。
「候補」
という言葉を。
外してもいい。
でも。
紅秋は。
まだ外さなかった。
「設置日までは」
「慎重」
島中が笑う。
「正式設置用承認表示に差し替える」
「三日後」
「管理表」
「移行確認期間用」
「朝当番」
「学校側と二人」
「黄色い三角の意見回収」
「どうする?」
ここで。
また。
活動が始まる。
許可。
終わり。
ではなかった。
「正式設置後の意見用紙」
美優が言う。
「試験用と同じだと多い」
「何聞く?」
茜。
「毎回アンケート?」
「負担」
「常設?」
「必要な人だけ」
「意見箱?」
島中が。
少し笑う。
「戻る?」
最初。
十一組ラボが。
意見を受け取るところから始まった。
今度は。
正式設置したものへの声を。
また受け取る。
「専用用紙じゃなくて」
なつきが言う。
「十一組ラボの意見箱に」
「案内についても書ける?」
「うん」
「でも何の案内か分からない」
「番号?」
「正式管理番号」
蓮が言う。
「使える」
「学校の番号?」
「正式掲示へ付く」
「それを用紙へ書いてもらう?」
「利用者には難しい」
「第二実習室案内って書けば」
「十分?」
「常設の意見箱にカテゴリー」
「また増える」
「選ばせすぎない」
島中が。
自分で言った。
全員が。
少し笑う。
「覚えてる」
「忘れない」
「じゃあ」
美優が言う。
「自由記述欄に『案内についての意見もここへ』程度」
「カテゴリー増やさない」
「必要な人が書ける」
「それで」
「二週間の移行期間は」
観察。
状態確認。
意見箱。
三つ。
「追加の専用アンケートは?」
「しない」
なつきが言う。
「もう十分協力者へ聞いた」
「日常で」
春樹が続ける。
「自然に使われる中で」
「声が来たら受け取る」
「うん」
正式設置。
その言葉が。
少しずつ。
現実へ変わっていく。
設置日。
管理。
意見。
引き継ぎ。
三日後。
学校の案内になる。
放課後。
全員で。
少し遅くまで残った。
今日は。
作業より。
話す時間が多かった。
「最初さ」
島中が言う。
「俺、文字大きくしたら終わると思ってた」
「知ってる」
田辺。
「何回言うんだ」
「今日は言いたい」
「どうぞ」
「こんなに長くなると思わなかった」
「私も」
なつき。
「案内一枚」
「窓一つ」
「三角一つ」
「承認印」
「紙いっぱい」
「人いっぱい」
茜が笑う。
「でも」
島中が。
少しだけ。
真面目な顔になる。
「俺、一番良かったの」
「何?」
「通ったこと」
「それはそう」
「違う」
「何?」
「俺」
少し考える。
「途中で、待てるようになった」
教室が。
静かになる。
島中本人が。
言った。
「まだ待つの嫌だけど」
「うん」
「でも」
笑う。
「待った方が早い時あるって分かった」
なつきは。
胸が。
少し熱くなる。
「島中」
「何」
「今日は本当に成長」
「今日は言っていい」
田辺も。
「俺もそう思う」
と言った。
島中は。
少し照れて。
「やめろ」
と笑った。
教室を出る。
外。
夕暮れ。
空は。
薄い桃色と橙色。
風は。
朝より涼しい。
校門を出る頃。
十一組ラボのメンバーは。
一人。
また一人。
別れていく。
茜。
美優。
蓮。
紅秋。
島中と田辺。
最後。
なつきと春樹。
二人になる。
少し歩く。
人が減る。
今日は。
なつきから。
手を差し出した。
「つなぐ?」
「うん」
春樹が。
握る。
今日は。
いつもより。
少し強い。
「通った」
なつきが言う。
「うん」
「正式設置」
「うん」
「三日後」
「うん」
「嬉しい?」
「すごく」
「私も」
少し。
歩く。
「でも」
なつき。
「うん」
「寂しい」
「うん」
「春樹も?」
「少し」
「学校のものになる」
「うん」
「勝手に変えられない」
「うん」
「でも」
「声は受け取れる」
「うん」
「私たちも考えられる」
「うん」
「学校と一緒に」
「うん」
「それなら」
なつきは。
つないだ手を見る。
「いいね」
「僕もそう思う」
「何か」
少し笑う。
「付き合った時と似てない?」
「何が?」
「一人で決められなくなる」
春樹が。
一瞬。
考える。
「恋人は学校管理じゃない」
「そこじゃない」
「分かってる」
「私一人の気持ちだけで進めない」
「うん」
「春樹もいる」
「うん」
「話す」
「うん」
「勝手に変えない」
「そこは少し似てる」
「認めた」
「でも申請書はいらない」
「正式交際承認印」
「やめて」
なつきは。
声を上げて笑った。
「前も言った」
「覚えてる」
「やめてって言った」
「それも覚えてる」
「なのに言う」
「好きだから」
春樹が。
止まる。
なつきも。
少し遅れて。
足を止めた。
「今」
「何?」
「普通に言った」
「何を?」
「好きだから」
春樹の顔が。
少し赤くなる。
「……言った」
「最近早い」
「嫌?」
「好き」
今度は。
なつきが即答した。
春樹が。
一瞬。
目を逸らす。
「春樹」
「何」
「顔」
「見ないで」
「私には言うのに」
「言った後は恥ずかしい」
「私も」
二人で。
また歩く。
夕暮れ。
正式設置。
許可。
その言葉は。
思っていたより。
軽くなかった。
やった。
終わった。
ではない。
学校が。
引き受ける。
同時に。
十一組ラボも。
新しい責任を引き受ける。
勝手に変えない。
声を残す。
問題があれば提案する。
管理を引き継ぐ。
記録を渡す。
正式設置。
それは。
認められた印ではなく。
これから。
学校と一緒に使い続ける約束だった。
なつきは。
少し前なら。
許可という言葉だけを待っていたと思う。
今は。
許可と一緒に返ってきた。
「引き受けるもの」
の方も。
ちゃんと見える。
それが。
少し怖くて。
でも。
嬉しかった。
「三日後」
なつきが言う。
「うん」
「学校の案内になる」
「うん」
「一緒に置こうね」
「みんなで」
「うん」
「なつきと二人じゃない」
「分かってる」
「少し残念?」
「少し」
「僕も」
「でも」
「みんなで置きたい」
「うん」
同じ。
意見。
今度は。
確認しなくても。
理由まで。
少し分かる。
十一組ラボで作った。
だから。
みんなで。
学校へ渡したい。
夕暮れの道を。
二人は。
手をつないで歩いていく。
正式設置まで。
あと三日。
それは。
終わりまでの三日ではない。
学校へ渡す日までの。
最後の三日だった。




