第31話:【降臨】「慰謝料と燃料代を請求する」ブチギレた女神、ついに下界へ
土煙が晴れつつあるメルカディア郊外の荒野。
巨大なクレーターの底には、かつて世界を滅ぼしかけた『厄災の邪竜』が、全身の骨を砕かれてピクピクと痙攣していた。
「あ、あわわ……本当に、ドラゴンを空から叩き落としちゃった……」
私は助手席からフラフラと降り立ち、信じられない光景を前にへたり込んだ。
剣も魔法も使わず、ただ「上からトラックで踏み潰した」だけである。神話の英雄が聞いたら、ショックで寝込むレベルの物理的な討伐だった。
「……ミオ。ナビなら、さっさと事後処理の手伝いをしろ。見積書を作成する」
一方の駆さんは、完全に死んだ魚の目でバインダーを開き、ボールペンをカチカチと鳴らしながら邪竜の鼻先へと歩いていった。
「み、見積書? ドラゴンにですか?」
「当たり前だ。このトカゲのせいで、俺は貴重な『神聖粘性液』を大量に消費したんだぞ」
駆さんは邪竜の巨大な目玉を真っ直ぐに見据え、淡々と計算を始めた。
「フライト・ユニットの燃費はリッター100メートル。上空でのチェイスと降下を含め、およそ5キロの飛行。……オイル代だけで、金貨換算で数百枚は下らないな。それに加えて、ボディに付着した火山灰の特殊洗浄代(手洗い洗車・ワックスがけ含む)だ」
『グ、グォォォ……き、貴様ぁ……ただの人間ごときが、この我に向かって、何を……』
邪竜が口から白煙を吐きながら、怨嗟の声を漏らす。
「……言葉が通じるなら話は早い。合計で金貨800枚だ。現金か、それともその鱗や牙を素材として引き取らせてもらおうか? 運送業にとって、回収不能な経費(赤字)は絶対に許されない」
駆さんがレンチを片手に、邪竜の牙をコンコンと叩いた。
その「ただの社畜」から放たれる、底知れぬ狂気と取り立ての執念に、厄災の邪竜はついに恐怖の涙を流した。
『ヒッ……ば、化け物め……! 神よ、アリアリア様! 話が違いますぞ! こんなデタラメな鉄の箱、我の手に負えるわけが……ガクッ』
邪竜は最後にそう言い残すと、完全に白目を剥いて気絶し、その巨体が光の粒子となって崩れ去っていった。
そして、跡地には、邪竜の魔力が結晶化した、大人の頭ほどもある巨大な赤黒い宝石がゴロンと転がった。
「……ふむ。魔物の核か。これなら市場で金貨1000枚以上の値はつくだろう。燃料代と洗車代としては十分だ」
駆さんはドラゴンコアをひょいと拾い上げ、バインダーに『領収済み』のチェックを入れた。
「か、駆さん……あなたって人は、厄災の邪竜からもきっちり経費をむしり取るんですね……」
「……プロの運送屋だからな。利益率の確保は基本中の基本だ」
駆さんがトラックの荷台に宝石を放り込もうとした、その時だった。
パキィィィィィィンッ……!!
突然、空そのものに巨大なヒビが入るような、甲高い音が世界に響き渡った。
「えっ……?」
私が空を見上げると。
先ほどまで邪竜が呼んでいた暗雲が、まるでモーゼの十戒のように真っ二つに割れ、そこから目が眩むような『黄金の光』が荒野に向かって一直線に降り注いできたのだ。
「な、なんですかあの光!?」
『アァァァァァァァ〜〜〜♪』
どこからともなく、天使たちの歌う荘厳なコーラスが響き渡る。
黄金の光の柱は、私たちとトラックの目の前の大地に降り注ぎ、周囲の空気が圧倒的な『神気』によって震え始めた。
そして、その光の中から、一人の女性が姿を現した。
純白のドレスに身を包み、背中には神々しい光の輪を背負った、絶世の美女。
しかし、その美しい顔面には、青筋が何本も浮かび上がり、怒りで般若のような形相になっていた。
「……よくも、よくも私の可愛い邪竜ちゃんを、あんな無様な姿にしてくれたわねぇぇぇっ!!」
女性の怒鳴り声が、荒野全体にビリビリと響き渡る。
「ひぃぃぃぃっ! な、なんですかあの人! すごいプレッシャーですぅぅぅ!」
私はあまりの恐ろしさに、トラックのタイヤの後ろに隠れてガタガタと震え出した。
間違いない。
あの光、あのコーラス、そしてあの常軌を逸した神聖なオーラ。
あれは、人間が束になっても敵わない、この異世界を統べる神そのものだ。
「……ついに、神様が直接怒りに来たんだ……! おしまいです、駆さん! 今度こそ、跡形もなく消し飛ばされちゃいますぅぅぅ!」
私が絶望の涙を流していると。
「……おい」
駆さんが、死んだ魚の目で、降臨したばかりの女神へとゆっくりと歩み寄っていった。
「か、駆さん!? 駄目です、近づいちゃ!」
女神は、歩み寄ってくる駆さんを見て、ニヤァと残忍な笑みを浮かべた。
「ふふふっ、ついに自分がどれだけ大罪を犯したか気づいたようね、轟駆! 勇者を轢き、帝国を壊滅させ、私の邪竜まで! もう許さないわよ! ここで私が直接、あなたを次元の彼方へ消し去って――」
「……遅い」
駆さんの低く、感情のない声が、女神の言葉を遮った。
「……はい?」
「……配車担当。お前、俺が下界に派遣されてから、今日で何日目だと思っている」
駆さんは、バインダーの中から、分厚い紙の束を取り出し、女神の目の前にバサァッ! と突きつけた。
「な……なによこれ!?」
「……『未払い残業代および、休日出勤割増賃金の請求書』だ」
駆さんはボールペンの尻をカチッと鳴らした。
「この異世界への出張、本来の業務契約にない深夜の長距離運転、度重なる命の危機(労災案件)、および車検非対応の違法パーツ(フライト・ユニットなど)を勝手に取り付けられたことに対する精神的苦痛への慰謝料。……すべてこの紙にまとめてある」
「は、はぁぁぁっ!?」
女神アリアリアは、突きつけられた請求書と、駆さんのあまりにも平坦な態度に、完全にパニックに陥った。
「な、なに言ってるのよ! 私は神よ!? あなたの命を握っている創造主よ!? なんで私が、下等な人間の作った紙切れ(請求書)を受け取らなきゃいけないのよぉぉぉっ!」
「……神だろうが社長だろうが関係ない。労働基準法を無視するブラック企業には、それ相応の落とし前をつけてもらう。……それが、俺のやり方だ」
駆さんは死んだ魚の目に、かつてないほどの怒りと『社畜の執念』を燃え上がらせていた。
「支払いは一括で頼むぞ、アリアリア。……もしバックれると言うなら」
駆さんは背後の純白の2トントラックを親指で指差した。
「天界の労働基準監督署(お前の顔面)に、もう一度、この2トントラックを全力で突っ込ませる(直訴する)ことになるが、構わないな?」
「ひぃっ!?」
女神アリアリアは、前回天界で轢き逃げされた時のトラウマが蘇ったのか、思わず一歩後ずさった。
異世界を統べる最高神と、ブラック企業で鍛え上げられた最強の社畜ドライバー。
世界の存亡……いや、未払い残業代の支払いを賭けた、真の『最終決戦(労働争議)』が、今まさに幕を開けようとしていた。




