傷だらけの少女
さあさあ、始まりました!
要ちゃんのワクワク高校デビュー生活☆
もうお友達はできたのかな?
勉強の方は大丈夫?
念願の放課後の買い食いは果たせれたのかな?
天からの声使って聞いちゃいましょう!
要ちゃーん!進捗はどう〜???
「…友達、一人もできない。」
か、要ちゃん、私…こんな寂しい独り言初めて聞いたよ。
「もう学校始まって2週間にもなるのに…一人もできない〜……」
…あ!わ、私っ、用事思い出しちゃったから今日はお暇するねっ!!ほいたら!!
天の声も後ずさるほど要の今の状況は良くなかった。
要の言った通り、学校生活も始まって2週間となるのに、自分の席の隣にいる生徒とも満足に会話できていない状態だったのだ。
ちなみに両隣が男子生徒って言うのも良くないと見た。
要は朝も一人で登校し、自分の席に着くと午前の授業を受けて、昼休憩には一人で静の作ってくれてお弁当を黙々と食べる。
食べ終わっても喋る友人もいない要はカバンの中から文庫本を出すと、それを読んで現実逃避するのだが、小説の内容などひとっつも頭になんか入ってこない。
だって自分の周りでは同級生達の楽しそうな会話や、ふざけてはしゃぎ合う声が飛び交っているのだから。
― 私も、みんなと混ざりたい。
― でも急に声かけたら…きもがられるかな?
同級生に気を使い動くに動けない要…
何も最初からこうという訳ではなかったのだ。
要の学生デビューの初日、いきなり要は右フックをお見舞いされたのだ。
物理ではなく言葉で。
― 体育もできないか弱い設定ってなに?…一っ言も聞いてないよ!!
ようやく高知での暮らしが落ち着いてきたと思った矢先に、まだ自分の生活に弊害があるだなんて思ってもみなかった。
しかも、ただの学生生活にだ。
何にも自由に決められない。
決めさせてくれない自分の存在に嫌気が刺し、要は机の上に肘をつき項垂れるように座っていた。
気づいたら朝のホームルームが終わっていたのだろう。
要の周りに数人の女子が集まっていた。
要の視界に同じセーラー服が見えて顔を上げれば、人の良さそうなショートヘアの女の子が正面にいた。
「ねえねえ、上盛さんって東京からきたんだっけ?」
「え?あ、うん!そ、そうだよ!」
「えー、良いな!まじ東京憧れるわ」
「羨ましい〜」
要は同級生と話すのが久しぶりすぎて、心臓がドギマギしていた。
女生徒達は要の周りで声を出して笑っているのに、要は上手く笑えない。
それよりも自分だけが席に座っていて良いものなのか、それとも立つべきか変なことを気にしていた。
彼女達が自分に気を遣って話しかけてくれたのなら、もっと自分からも話しかけなければいけないんじゃないのか。
頭が追い付かないながらも、要は必死で言葉を繋げた。
「あのっ、で、でも、私あんまり東京では学校とか行けてなくて…」
だから東京の街も詳しくはないのですよ…と言う前に、目の前の子が不思議そうに要に尋ねた。
「え?なんで」
「ちょっと!先生言ってたじゃん!」
その子の発言に釘を刺すように周りの子が肘で小突くのが見えた。
要はそんなこと気にしないで欲しかったのだが、時すでに遅し。
「あ、そっか、…ごめんね、上盛さん」
「や、いやいや!全然!全然!」
「…えーと、」
「…うん、じゃあ、」
「うん、また…はははは…」
優しさが、気の使い方が人との距離を生んでしまった事例を要は体験してしまった。
「気にしないで、体はもう大丈夫だから!」ってすぐに言えば良かったと要は一人反省会だった。
放課後になった時も、声をかけてくれることはあった。
…のだが、
「上盛さ~ん!部活って、」
「だから、ほら!」
「あ、ごめん、今の忘れて!まじごめんね!」
「え、あ、…うん。」
教室から慌てて出ていく同級生たち。
「上盛さん体弱いんだから部活なんてできるわけないでしょ!」とか「ごめんごめん」と笑い合って廊下を小走りで渡っている。
要はそれをひとりぼっちの教室から見ていた。
― 私って…部活にも入れないんだ。
― 知らなかった。
少しの間、要は動けずにただ机の表面を見ていた。
「…。」
巽が廊下の教室からは見えない場所で要のことを見ていたことも知らずに。
そんな状況から早2週間、家と学校の往復だけで過ぎ去った要の生活に要自身が渇を入れた。
と、いうかやっと気づけた。
「いや、いや、自分から話しかけないと!」
― 待ってるだけじゃ駄目だわ!
せっかくの学生生活なのだ、学校のことは授業にもようやく追いついて落ち着いてきた…筈!
あとは、友達作りよ!!
ここはガンガン話しかけて行って、あら、要ちゃんて友好的な人ね♪と思って貰わなければ!!
そうと決まれば要の行動は早かった。
朝、教室を見渡してみると、前の席の方で何人か楽しそうに話しているグループが見えた。
最初は以前声をかけてくれた子にしようかと思ったのだが、まだ登校していないみたいだ。
仕方ないが、まずはこのグループに接近してみよう。
髪の毛の明るい人が多く今までの要の周りには居なかったタイプの人達だったが、要は勇気を出して声をかけてみた。
「おはよう!ねえ、私電車通学始めたんだけどね。高知の人って皆んな電車のこと汽車って言うよね!」
「え、」
「あ、まあ。」
要に急に話しかけられた女子たちは「何の話?」と顔に書いてあったが、彼女たちは要と話すのが初めてだったので、素直に返事を返していた。
「電車は、路面電車のことやし、ねぇ?」
「うん、そうやね。」
そう、高知県には街中に路面電車が走っていて、便利の良さから子供からお年寄りまで利用されている。
高知県で「電車に乗る」は「路面電車に乗る」になるのだ。
「私、ここに来てから汽車って聞いて驚いちゃって。」
要のこの言葉に、女子たちはやや驚いた顔をした。
自分達の中で当たり前に使っていた言葉が県外では違うのだと言われたからだ。
「え?じゃあ、県外の人からしたら汽車ってJRじゃないが?」
「県外で汽車って言っても伝わらないってこと?」
自分の出した会話に喰いついてくれた事が要は嬉しくて、ついつい声量が増していく。
ああ、こんな風に同級生達と話したかったんだ!と笑って言葉を続けた。
「多分、県外の人が初めて汽車って聞いたら、機関車のこと思うかも!ハハハハ!」
「………。」
「………。」
「…あれ?」
要の予想ではここで「まじでー!?」とか「それ本当に上盛さん!?」と盛り上がる筈だった。
そこでつかさず「要で良いよ!」となって「じゃあ、要って呼ぶね!私はね」と続く予定だったのに、目の前の彼女たちはカルチャーショックが強すぎたのか、少し…いや、かなりテンションが低くなっていた。
「マジか、私らヤバい?」
「え、笑われてんのかな?」
「え、いや、そうじゃなくて!」
そんなつもりは勿論ない要だったが、話しながら笑ってしまった自分では信憑性の欠片もない。
彼女達の自尊心を傷つけてしまったと気づいた時には遅かった。
「気をつけるわ、上盛さん。」
「ありがとうね、上盛さん。」
― 終了。って、ちがーう!!そうじゃなくて!!
「こ、この前日曜市行ったんだ!」
「え、ああ、そうなんだ。私らあんまり行かんよね?」
「そうだね。」
「そうなんだ…あ、でね、すぐそばにスタバあって!」
「え?ああ、あるよ。他にも…」
「私が子供の頃には無かったから驚いちゃって!」
「…ああ、東京にはいっぱいあるもんね。」
「え?いや、今度、みんなで行かないかな?なんて」
「あー、うん、じゃあ、また今度ね、」
「また今度誘って。」
「…え?…あ、うん、分かった…またね。」
子供の頃の思い出とか県内外の違いとかで話が盛り上がるはずが、完全に裏目に出てしまったのが要には分かってしまった。
彼女達の会話が教室にいる他のグループの子達にも聞こえたのだろう、ひそひそと要の方を見ながら小声で話している姿が見えた。
「あれ、完全にうちらのこと馬鹿にしゆうでね?」
「都会出身アピールうざくね?」
「まじ、うざいわ。」
そんな声が要の耳に飛び込んできて、要は身体が変に固くなって動けなくなってしまった。
違う、そんな意味で言ったんじゃないんだよと言いたいのに、誰も要と目も合わせてくれない。
「体弱くて体育も休みとか言ってるけど、全然元気やんか。」
「ほんま、それ!ふつーにご飯食べて、駅まで歩きゆうし、どこが病弱ながやろう?」
それは、私が人神様だから…この体質のせいだから。
だから身体が弱かったのは本当の事だし、守地の高知に来たから今は普通の生活が出来ているだけだ。
でも、そんな事…誰にも言える訳がない。
言ったって信じて貰える筈がない。
私でさえ、未だに信じられていないのに。
「なんか、あの話し方もね?」
「いや、ただの標準語だよ?」
「ウザー、それが本当にウザいでございます。」
「ゆきちゃん、厳しい~!きゃはははは!」
「すいません、田舎もんで。あはははは!」
「……。」
女子のあからさまな悪口を、男子生徒たちは「女子怖っ。」と茶化すだけだ。
要は背中に嫌な汗をかいているのが分かった。
真夏の教室に稼働しているエアコンの涼しい風が、今は気持ち悪いぐらい冷たく感じてしまう。
最初話しかけてくれた女子達もクラスの雰囲気を見てか、もう誰も要に近づこうとしてくれなくなってしまった。
息が詰まりそうになるのを必死で堪えて、要はその日の授業をなんとか最後まで受けた。
放課後になった途端、急いで学生鞄を持って教室のドアを開けた。
「すご、足速くない?」
「ねえ、やっぱりフツーやんね?」
早く、早く帰りたかった。
こんな場所にいたくない。その思いだけで足を速めた。
息を殺すように汽車に乗って、他の生徒たちの方を見ない様に自分の手元ばかり見つめていた。
ようやく神社の近くの駅に着いた時は、少しだけ息を整えられた。
足早に汽車から降りて改札を出ると、要はほろりと一粒の涙を零した。
怖い。怖かった。
とてつもなく人からの悪意が怖かった。
蔑むように自分を見る目。
自分をなじる言葉。
笑い声が、こんなに怖いだなんて思わなかった。
教室に…いや、世界で一人ぼっちの感覚がどこにいても付きまとう。
でも、どこにも行けない…逃げれない。
今はただあの家に帰るしかない。
帰ったとして誰にも言えないのに。
― 言えるわけがない…こんなこと。
要は掌で涙を拭うと、小さく鼻を啜って神社の鳥居をくぐった。
静の「おかえりなさいませ、要様」という声に「只今帰りました。」と平常心で返したつもりだったが、静は何を察したのか「何かございましたか?要様」と聞いてきた。
要は「なんでもないですよ?」と努めて冷静に返したが、頭の中では怒りでいっぱいだった。
― いつまで私の事を様付で呼ぶの?
― 私は普通の人間なのに!
― なんで、身体が弱いとか学校に言うの!?
― なんで、なんで、わたしばっかり苦しい思いをしなきゃいけないの!?
要は自分の心の中がどろどろと黒いもので溢れかえりそうになるのを感じた。
そしてすぐに、これは醜い感情だ、表に出すわけにはいかないとも思った。
自分の八つ当たりな思いを静にぶつけてしまえば、きっと彼女は傷つくだろう。
静だって、要の事を思って学校に話を回したに違いない。
人神様というだけでこの神社に置いてもらっている自分がそんなこと言ったら迷惑だろう。
自分だけじゃなく、周りの皆も不快な思いをさせてしまう。
笑って、笑って上手くごまかさないと。
要は自分の口元に意識を回して、口角を揚げる。
「学校に慣れてきたせいか、疲れが出たのかも。アハハ、今日は早めに寝ちゃいますね!」
上手く笑えたお陰か静は「では、あとで夕食をお持ちしますね。」と返事をくれた。
要は安堵の息を吐いて、自身の部屋へと入っていった。
静が台所で吸物用の三つ葉を用意している所だった。後ろから「腹減った。」と巽の声が聞こえたのだ。
彼女はその声に慣れた様子で「ただいまが先やろ?先にご飯にするから着替えてきいや。」と返事すると「あら、今日は部活は?帰ってくるの早いねえ?」と続けて言った。
巽は料理台にある揚物をつまみ食いしながら「もうすぐ実力テストだから帰らされた。」と不服そうに答えると、すぐ横にある膳を見て眉間に皺を寄せた。
「…あいつ、もう帰っちゅうが?」
「要様でしょ?あいつだなんて言わんが!…なんだか疲れたって言いゆうわ。身体を壊さんと良いがやけど。」
「知るか。ほっちょけ!」
「こら!巽!」
「早く!飯にして!」
「…もう!」
静がやれやれと溜め息をついて料理の方へと向き直す。
そんな彼女の後ろ姿を見て巽は自身の部屋へと歩みを進めた。
薄暗い廊下を歩きながら小さく舌打ちが出た。
それは、悲しくも要に対するものだった。
あれからまた数日が経ち、気づけば9月も終わりになろうとしていた。
要の学生生活も1月が経とうとしている。
なのに、状況は悪くなる一方だった。
今日は、午後に体育の授業がある日。
要は言わずもがないつも見学なのだが、他の生徒と同じように体操服に着替えている。
他の生徒とは違いこっそりとトイレで一人着替えてから体育館に移動すれば、チャイムと同時に教師から集合の合図が出た。
並びは出席番号の順ではあるが、なんだか要の周りには変な距離感があるような気がしてならなかった。
まあ、今日もいつもの様に先生の話の後は壁際に行って見学するだけだろう…と要が座って自分の膝小僧を見ている時だった。
ふいに、体育教師から自分に声がかかったのだ。
「上盛さん、今日はダンスの授業だけど。どうかな?参加してみない?」
「え、」
「やっぱり難しいかな?」
要はその言葉が純粋に嬉しかった。
ダンスは他の生徒とのチームを組んで行わなければならなかったけれど、でも参加できればまた皆と話ができると思ったのだ。
誤解を解きたかったし、皆と仲良くしたくてたまらなかった。
もつれそうになる言葉を必死で出そうとした。
「わたし、ダンスした」
「先生!上盛さんは~体がすっごく弱いがですよ~!」
「!?」
自分の言葉にかぶせられた声をの方を見てみれば、あの日要の悪口を言った女生徒が笑っていた。
要が教師に何か言う前にまた反対側から声が被せられる。
「体育は見学って決まっちゅうがやき、無理させん方が良いがやないですか?」
「そうそう!」
「倒れたら大変~!!」
要はもう何も言えなくなってしまった。
だって自分が笑われていることに耐えられなかったから。
小さな笑いの中で嫌でも悪口を拾ってしまう。
「田舎のダンスとかしたくないろうしね」
「クスクス…。」
要は自主的に立ち上がると、教師の方をチラリと見て俯くことしか出来なかった。
「わ、私いいです…。見学、してます。」
「そう?じゃあ、無理せずにね。」
体育館の床に敷かれた白いラインの外に出ていく要を笑って見つめる同級生たち。
その目が嫌で、要は壁際に着くとその場に座ってまた自分の膝小僧を見た。
自分が居ない…楽しそうな世界を見ることができなかった。
「はーい、じゃあ、みんなチーム作って。まずは曲とか話し合って決めてねー!」
「はーい!」
「……。」
ただ、ただこの時間が早く過ぎますように。
ここ数日それだけを思いながら要は暮らしていた。
要は膝に置いた自分の手を見た。
人差し指と、中指にささくれが出来ていた。
それを親指で触ってみるけど、痛くなるだけだと分かっているからやめた。
学校でずっと緊張しているせいか、夜も上手く眠れない。
そのせいか食欲が落ちて静のお弁当も全部食べれない。
心の中で謝りながらお弁当の中身を学校の焼却炉に捨てたことも何度かある。
でも、家だと誤魔化せないからその場では必死で食べて、あとでトイレで吐き出していた。
身体も心も…もう限界だった。
でも、
でも、どこにも逃げれない。
この言葉だけが、ずっと心中を回り続けている。
考えない様にすればするほど、要の目から涙が出そうになる。
でも泣いたってな何も変わらないから、それをぐっと我慢した。
大丈夫。
大丈夫。
我慢すれば良いのだ。
こんな時間は目を瞑っていれば、勝手に過ぎ去るものだから。
そうやって己に言い聞かせた。
教師の声とチャイムの音が聞こえて、要は誰に言われるでもなくまた更衣室にはいかずトイレで着替えて教室に戻った。
あと一つ授業を受ければ、帰宅できる。
要は小さく息を吐いて、教科書に手をやった。
放課後になって生徒達は部活活動へ向かう者、自宅へと帰路に向かう者とで一斉に動き出す。
要もすぐに動き出そうとしたのだが、なぜか今日に限って担任に呼ばれてしまった。
職員室で話したことは何でもない事だった。
9月の終りにある実力テストの事と、学校生活が1月経ったので調子はどうかと聞かれただけだった。
「どっちも最悪です。」って言えば先生はどんな顔をするかな?
いや、静さんに相談されたら面倒な事になるのが目に見える。
やめよ。
そう考えて「大丈夫です。皆優しいので。」と取り繕ったように言うと最後に口角を上げた。
それだけで教師は退いてくれるのだ。
同級生よりよっぽど楽である。
要は他の生徒から出遅れて、誰もいなくなった下駄箱にスリッパを入れる。
自分の履きなれた靴に足を入れると、坂道をとぼとぼと下りていった。
長い坂を下りきって駅の方へと続く道に身体の向きを変えた所で、「おい、おまえ!」と声がかかった。
まさか自分だとは思わなかったけれど、周りには誰もいなかったから要は声の方へと振り返った。
なんとそこには、自転車をおして歩いてくる巽の姿があった。
「あ、巽くん。」
坂道の下には野球部のグランドへと続く階段と、自転車通学の学生用の駐輪所があり、巽はそこから出てきたようだ。
要は巽に無視されることはあれど、呼び止められることは無かったので巽の表情など気にせずに喜んで巽の方へと歩みを戻そうとした。
が、その前に巽は要の目を見てこう言った。
「俺はお前のことが嫌いだ。」
要は思った。
― ちょ、直球。
ナイスストレート!なんて返すわけにはいかなかった。
巽の表情見れば分かる。
彼はもう怒り限界の様子だったからだ。
要が何か言い返す前に巽は自転車をそのまま押しながらこちらへの方へと近づいてきた。
その姿を見ながら、なぜだろう…要は胃の中に何も入っていないのに気持ち悪くなってきた。
巽の声が夏の日照りと一緒に要の身体に刺さっていく。
「俺はな、ガキの頃からうちの神社のことを聞かされてきた。代々人神様を預かってきた由緒正しい神社だってな。先代の人神様が亡くなって、それでもこの地は安定していた。それは新しい人神が生まれている証拠だから。だからあとはその新しい人神がうちに来れば一安心だって周りは皆そう言っていた。」
「なのに、待てどくれせどお前は現れなかった!そのうちどんどん災害は増えていく。何度も何度も台風はやってくるし、干ばつ被害も香川からの連絡がこっちにまでやってくる。分かるか?お前がいなかった間の苦情は全部うちに流れてきたんだよ!それもこれもお前がいなかったせいで!全部、うちの両親が頭を下げてたんだぞ!?」
「そんな、」
「お前が東京なんかで知らないまま暮らしてた間、うちの家族がどれだけ苦しめられたか…、俺がどんな目に遭ってたかなんて知らないだろがよ!」
「そんなこと、」
― そんなこと言われたって…私、自分が人神だなんて知らされてもいないのに…。
要の想い、言葉を聞かずに巽は自分の胸の痞えを降りおろす斧の様に要へと突き落とした。
「だから、俺はお前が何も知らず被害者みたいな顔してるのが気に入らん。目障りや。顔も見とぉない!俺らの側に来んな!」
「っ!!」
要は自分の目が熱くなるが分かった。
巽に泣き顔など見せる訳に行かず、咄嗟に顔を下に向けた。
駄目だ。泣いては駄目だ。
笑わないと…、いや、笑うのも正解じゃない。
どうすればいいの?
謝れば良いのか?この場を収めるために巽に謝れば良いのか?
― 私が悪いの?本当に?
必死で焦る感情の中で、どこか自分を擁護する様な言葉が聞こえたが、要は直ぐに首を振った。
ここでは自分の感情など必要ないのだ。
謝らないと。迷惑を掛けたのは事実なのだから。
頭を下げて、ちゃんと巽の目を見て話をしなければならない。
要が泣きそうになるのをなんとか堪えて、ようやく巽の方へと顔を上げた時だった。
彼の後ろ…階段の上…野球部のグランドが見える所に…“いた”のだ。
あいつが。
「ヒッ、」
こっちを、要を見ていた。
目が合ってしまった。
背筋が一気に凍るが分かる。
鳥肌が止まらない。
なのに目が離せない。
「う、うそ、」
「おい?なんな急におまえ…」
要の怯える目に巽も異常さが伝わった。
彼は自分の後ろを見つめる要に倣って、顔だけ振り返って見たのだがそこには何もなかった。
ただ、いつもの風景があるだけ。
なのに、要はガタガタと震えて目から涙が溢れている。
「嘘よ、いや、いや、」
要の目だけ映っているのだ。
あの日、家族で初めて行ったハイキング。
家族みんなが笑い合う中で、突然目の前に現れたソレー、
白い、
真っ白な、
父よりも大きく、大樹の様にそそり立つ角を生やした・…白銀の牡鹿が。
「いや゛あ゛ぁぁ!!!!!!!!」
気づけば、要は走り出していた。
巽は要を呼び止めたが、彼の声など聞こない彼女は死に物狂いで駅へ続く道を駆け出していく。
要の常軌を逸した叫び声に、巽はもう一度後ろを振り返ったが、やはりそこには何もいなかった。
ただ、あのまま要をほっとく訳にもいかないと思い直した。
要の身に何かあれば、自分だけではなく家族…いや四国に住む全員に被害が起こるのだから。
巽は遅れ取り戻すために、急いで自転車に跨ったのだった。
「ハァっ…ハァっ…助、げて…助けてっっ!!」
要は必死で足を動かすだけで必死だった。
息が上がって、自分の心臓の後が耳元でドクドクと聞こえたが気にしてられない。
逃げたなければ…アレから…少しでも…はやく!
「誰か、誰か…!」
誰かに縋りたいのに、自分の周りには誰もいない現実を要は泣きながら受け止めていた。
― 誰も、いないんだ。
― 私には、家族も、友達も、おばあちゃんも
― 誰も守ってくれる人なんかいない!!!!
息が上がる中、要は駅の手前の跨線橋が見えて必死でそちらに向かった。
要の視界は溢れ出る涙のせいか滲んで見える。
あっ、と気づいた時にはコンクリートの上に倒れていた。
ようやく追いついてきた巽が後ろから要を呼んだが、要にはもう聞こえていなかった。
跨線橋の階段を駆け上がっていく要を見て、巽は舌打ちを打つ。
このまま自転車で駅の方まで回れば、逆に遠回りになってしまう。
跨線橋の上で転んだ要を見て、巽は自転車を柵の隣に横づけた。
その間にも要は立ち上がって駆け出していく。
跨線橋下りれば、駅は目の前だ。
巽が要が転んだ所まで来た時、最悪の事態が起こった。
列車が駅に着いたのだ。
列車を見て巽は血の気が引いた。
跨線橋の上から駅のホームへと入って来た要の姿が見えた時、巽は叫んでいた。
「その汽車には乗るなぁぁっ!!!!!」
要は目の前の列車のドアが開くのを茫然と見ていた。
― ここには、誰も、いない。
― もう、いやだ、
「…もぅ、い゛や゛…。」
要はよろよろと覚束ない足取りで列車の中に吸い込まれるように入っていく。
入って直ぐに扉は閉じられた。
要は頭の片隅で「疲れた、椅子に座りたい。」と思った。
必死で走ったせいか足は小刻みに震えている。
普段のJRの列車とは違い、車両の入り口が自動ドアで開いたのを不思議に感じたが、これであの化け物から離れられると安堵の気持ちでいた。
適当な椅子に座り込むと、直ぐに足に痛みが走った。
目をやれば転んだ時にできたのだろう膝に擦り傷が出来て、そこから血が滲んでいる。
砂や砂利を引っ付けた傷跡はズキズキと痛みを訴えていた。
頬にも同じ痛みを感じるので、きっとそこにも傷が出来ているのだろう。
要は頬に手をやり「痛たぁ…」と声を漏らすと、ようやく背もたれに己の身を埋めることが出来た。
ふと窓の方見て驚いた。
列車の側面が窓一面となっていて、自分からは開けられない様になっている。
しかも外は各停の列車とは違うスピードで走っているのが見て分かる。
「これって、急行なの?」
自分が乗った列車の事も分からず、要が焦っていた時だった。
後ろから控えめな声で「あの、お客様?」と声をかけられた。
ビクりと肩を震わせて振り返って見れば、そこには一人の車掌が立っていた。
平日の昼過ぎの急行列車の中には、あまり人がいないみたいで要のいる車両の中には要以外人影もない。
「あの、すみません、この列車は…」
「特急南風ですね。」
「特急!?」
「はい、終点岡山行きの特急南風です。」
「岡山行き…、」
― このままだと守地を出てしまう。
要の目に困惑の色が射す。
それを感じてか車掌から「あの、途中の駅で降りられますか?切符をこちらで購入して頂きたいのですが。」と声をかけられた。
頭の中で「早く降りないと、大変なことになる。」と警告音が上がっているのに要の口から出たのはそれとは真逆の言葉だった。
「あの、終点までお願いします。」
要はもう、あの場所に帰りたくないという思いだけで突き進んでいた。
兎に角、岡山に付いたら急いで新幹線に乗り込もうと決めた。
そして東京に…自分の家に帰んるんだと心に決めた。
たとえ、自分の身に何があろうと構わない。
皆が必要なのは人神であって、上盛要ではないのだから。
私の代わりなんて…きっとすぐにでも用意できるだろう。
― 私なんていなくたって…
傷だらけの疲れた切っていた要は、悲しく浅はかな考えを持ちながら一人涙を零していた。
窓から見える景色は、列車が次第に山の中を走っていくのを映している。
ふと列車がトンネルに入り、景色が見えなくなったのを見て要は急に瞼が重くなってきた。
自分が思っている以上に身体はクタクタに疲れていたようだ。
気づいた時には、要は静かな寝息を立てて眠っていた。
異変が起きたのは2時間ほど経った頃だろうか、どちらにしても要には分からずじまいだが、兎に角呼吸の異変で目が覚めた。
「っ、ぁ、?ああ、?」
― 苦しい!なんで!?どうして?
咄嗟に窓の方を見てみれば、外には海が見えていた。
― 四国を出たんだ…!?
そう思った時には、呼吸は自分の耳にも聞こえるぐらい荒いものとなっていた。
座っているシート上で苦しそうにのたうち回る要だが、誰も彼女に気づいていない。
「ぐッ…、ぅ、あなん、で?」
苦しい…、息が…、
ああ、でも、もう、もう良いかもしれない、
足元に崩れ落ちた要は浅い息を繰り返すことで必死だった。
もう、視界までも暗くなっていく。
このままでは最悪の終りを迎えるかもしれない。
― でも、私の死を本当に悲しんでくれる人なんて…いないんだろうな。
要の目からぽろぽろと涙が零れていく。
頬の傷口にあたって痛い筈なのに、それでももう要の意思とは関係なく意識が遠のいていくのだ。
そんな時だった、列車が止まったのは。
プシューっという空気圧の音を鳴らして列車の扉が開く音が、どこか遠くで聞こえる。
自動ドアの開閉音と共に、コツコツと静かな足音が要の方へと近づいてくる。
要がそこで最後に見たものは、ブラックホワイトのカラーが印象的な革靴だった。
そこからは完全に意識はなくなってしまった。
だから、彼の心配そうな…
いや、少しだけ呆れたような声も聞くことが出来なかったのだ。
サラサラと流れるような絹糸の様な髪をかき分けて、そこから現れたのは玉の様な瞳。
その瞳には傷だらけの女の子が写っている。
彼女の手を急いでとったので、もう呼吸は安定しているようだ。
だが、それにしても
「…無茶を、なされる。」
そっと要の額に彼の手の温もりが触れたのを、誰も見ている者はいなかった。
次の更新予定は1月30日です。