3年目の夏9
3泊して次の日、茜ちゃんが少しだるそうだった。熱はない。コンクリートに3日はさすがに疲れた。
それをついに見かねたのだろう、プールに行こうとした私たちを、親が待ち伏せしていた。
「蒼、碧……お母さまが悪かったから帰ってきて」
「茜、紅、帰ってきてちょうだい」
賭けには勝ったのだ。
お母さまとお父さまに見つけてもらった計画書にはここまでしか書いていない。私たちは静かに荷物をその場に置いた。
「作戦Bだ!」
蒼が叫ぶとともに、私たちは親とは反対側に逃げ出した。こんなことくらいで満足すると思うな!
「蒼、碧!」
「茜、紅!」
叫ぶ親をおいて、私たちはバラバラに走りだした。追いかけてくる親を翔君と遥ちゃんが話しかけて足止めしてくれている。置いてきた荷物とは別に、みんな小さなウエストポーチを持っていて、現金と身の回りの物はそこに入れているから大丈夫。昼には公園集合で、区内ならどこでも自由。ただし電車は使わない。最後の追いかけっこだ。そこまでお父さまとお母さまがしてくれるかどうか。
まだ開いていない商店街を駆け抜け、駅を抜けて線路の反対側に行く。ここは図書館の近くで小さな見えにくい公園がある。そこで少し茜ちゃんを休ませる。自動販売機で飲み物を買う。
「茜ちゃん、大丈夫?」
「ごめんね、足を引っ張って」
「ううん、一週間は無理だと思ってた。コンクリートで、よく3日も寝たよね、私たち」
「うん。でもやっぱり気がついてくれてたんだね」
茜ちゃんがうれしそうに言った。
「たぶん初日から気がついてた。私たち、見張られてたよ」
「ほんと?気づかなかった」
「私も2日目だな、気づいたの」
「でも、すみれおばさま、来てくれてよかったね」
「うちのお母さまもだよ。お父さまもいた」
「ねえ紅ちゃん、もういいんじゃない?捕まっても」
「いいんだけどね」
私は夏の空を見上げた。
「小さい私が、簡単に許すなって言うんだ」
「紅ちゃんが?紅ちゃんはいつだって許してきたのに」
「そんなことなかったんだよ」
「小さい自分はね、ちゃんと納得しないといつまでも出てくるんだよ」
「納得してくれるかな」
胸の中で硬く縮こまる小さい私。
茜ちゃんが十分休んだ後、追いかける親たちの手をかいくぐってついに私たちは昼まで逃げ切って、公園に集合した。
途中でハルト君やせっちゃんも合流し、親の引き留めに参加してくれた。集まる私たちのもとに、親たちが向かってくる。おそらく、ずっと見守り追いかけていたのだろう。疲れはてた顔をしている。
腕を組んで立つ私たちの前に親も立つ。しばらくどちらも何も言わなかった。そんな祈るような時間の後、すみれおばさまが前にふらふらと出てきた。蒼と碧は緊張して立っている。
と、すみれおばさまは2人をぎゅっと抱きしめた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
小さい声で繰り返している。蒼?碧?
2人は何も言わず、おばさまをぎゅっと抱きしめ返した。賭けに勝ったのだ。
「茜、紅」
お母さまの声に、茜ちゃんがふらふらと呼ばれていった。お母さまは茜ちゃんを抱き締めた。よかった。他人事のように思った。
「紅?」
お母さまが茜ちゃんを抱いたままもう一方の手を伸ばす。ぱしっ。
私はその手を叩き落とした。お父さまが心配そうに近づいてくる。どんっ。
私はお父さまを突き飛ばした。
「「紅……」」
「遅いんだよ!」
私はどなった。お父さまもお母さまも、手を伸ばしたまま固まっている。茜ちゃんは驚いてこっちを見ている。
「紅が3日待てと……」
お父さまがつぶやく。違うんだ。6年生の私なら3日待てばよかった。でも小さい私は?誰にも構われず、一人で泣いていた小さい私は?
「2年前に、2年前に迎えに来るべきだったでしょ!私がすべてをあきらめる前に!」
小さい私が叫ぶ。
「大きい屋敷で一人きり。お父さまは帰ってこない。お母さまは自分のからに閉じこもってる。茜ちゃんはおばさまの物。自分から出てこようともしない。誰も私のことはどうでもよかった。構われなかった。誰にでも優しくして、愛されるようにふるまっても、誰も愛してはくれなかった。自由だと思わなければ生きていけなかった」
「「紅……」」
「だから家出の計画を立てたの。誰も私を必要としないのなら、一人で生きて行けないかと思って」
「紅、これ……」
お父さまが古い家出マニュアルを差し出す。
「見つけたんだね。けど、家出して、本当に探してくれるんだろうか。そもそもいないことにさえ気づかれないに違いない。そう思ったら怖くて実行できなかった」
小さい私がまだ叫ぶ。
「あきらめきったお母さまなんて大嫌い。茜ちゃんしか構わないお父さまなんて大嫌い。大事にされてる茜ちゃんも大嫌い。家をかき回すすみれおばさまも大嫌い!みんないなくなったらいい!」
叫ぶ私の所に蒼と碧が走ってきて抱きしめる。
「わかってた。俺たちはわかってた。紅が頑張ってること、知ってたから!」
「だから言ったろ!紅が一番つらいんだって!なんでわからないんだよ。つらくないわけがないだろ!明るく振る舞ってるからってだまされやがって!」
代わりに大人にどなってくれた。そしてぎゅうぎゅう抱きしめる。私はわあわあ泣きわめく。キライだ。みんなキライだ。茜ちゃんも走ってきて抱きしめる。ごめんねと泣く。大人をにらみつけていた蒼と碧が引き、疲れはてた私と茜ちゃんが残った。そうして茜ちゃんが言った。
「ごめんね紅ちゃん」
「うん」
今度は素直にそう言えた。そうしてお父さまとお母さまがやってきて、こわごわと私を抱きしめた。
「ごめんな紅」
「ごめんね」
「うん」
すみれおばさまもおそるおそるやってきて、泣きながら謝ってくれた。この三日間、心配して子どもを見守っていたのがよほどこたえたらしい。
こうして私たちはたくさんの大人や友だちに迷惑をかけながら、賭けに勝ったのだった。私たちの小学生最後の夏が終わった。
「「では、行ってきます!」」
「いってらっしゃい」
「それぞれがんばるんだよ」
お母さまとお父さまに見送られて、私と茜ちゃんは駅まで一緒に歩き出す。今日から中学生だ。
駅からは逆方向だ。結局、私は茜ちゃんの学校は受験しなかった。一緒の思い出もいい。けれど、別々の思い出を持ち寄るのも楽しいものだ。
私は家出の行動力を買われ、すみれおばさまの後継者として期待されているらしい。勝手なものだと思うが、私は流されたりしない。ゆっくり進路は決めるつもりだ。茜ちゃんはお父さまの会社を継ぐんだと決めている。
蒼と碧は中学から一緒になる翔くんと、将来は自分たちで起業したいと言う。
3年間の夏は私たちをほんの少し大人にした。逆に、大人がそう簡単に変わるわけがない。すぐ仕事に走るお父さまやすみれおばさまを引きとめたり、ほんとの反抗期が来たりして、家族としてちゃんとやっていけているかはまだわからない。それでも、がんばったあの夏の自分たちはほめてやりたいと思うのだ。
これからもいろんな困難が待ち受けるだろう。でも大事なものをなくさないために戦う覚悟はいつだってある。この胸の中に、あの夏の小さな私がいる限り。
完結しました!
一か月近く、紅と茜につき合ってくれてありがとうございました。
評価、感想などいただけるとうれしいです。
皆さまにとって良い一年になりますように!




