声にならない想いを乗せて
「――今日も、お仕事お疲れさまです。もし宜しければこちらを」
「……本当に、いつもありがとうございます。是非頂きます」
暫しの回想の後、数十分ほど経過して。
何を書こうか思考を巡らせていた最中、そっと届いた鼓膜を揺らす澄んだ声。顔を上げると、そこには優しく微笑みそっとグラスを置いてくれる黒髪の女性。以前よりも更に綺麗に――それでいて、あの頃のままのあどけない笑顔になんだか微笑ましくなったり。
「……手紙を、書いていたのですか?」
「……その、申し訳ありません」
「ふふっ、どうして謝るのですか。彼女は、貴方にとって大切な人――とても、とても大切なご友人なのでしょう?」
「……はい、もちろんです」
すると、僕の謝罪に可笑しそうに微笑み答える清麗な女性。彼女の言うように、その人はとても、とても大切な友人だ。それでも……やっぱり、彼女に対しては申し訳ない気持ちはあるし、せめてそうあるべきだとも思っていて。……まあ、これも所詮はただの自己満足に過ぎないのだろうけれど。
「それでは、私はこれで。これ以上、お邪魔しても申し訳ないですし」
「あっ、いえ邪魔だなんて滅相もないです!」
「ふふっ、冗談ですよ。どうにも、先ほどまで見ていたドラマの続きが気になっていまして」
「……そう、ですか……」
その後、ややあって悪戯っぽく微笑み去っていく可憐な女性。その言葉が建前であろうことは流石に分かるけど……それでも、そこについて僕から何か言うのは野暮というものだろう。……だけど、それでも――
「……あの、本当に……本当に、僕で良かったのでしょうか……?」
「……もう、それは何度も、それはもう何度も言ってるじゃないですか。そもそも、私が迫ったんですよ? 最後まで私を気遣い断り続けていた貴方に、傍にいさせてくれるだけで良いからと。貴方がもう、あの人と決して結ばれないことをこれ幸いと、強引に交際を迫ったんですよ? ひょっとしてお忘れですか?」
「……強引、だなんてそんな……」
たどたどしい僕の問いに、彼女は呆れたように微笑み告げる。……強引、か。……まあ、確かにそう言えないこともないけど。
だけど、受け入れたのは僕――他でもなく、明確に僕の意思で彼女の想いを受け入れた。だから、強引だったなんて何の言い訳にもならないし、全く以てするつもりもない。実際、僕はこの選択に何一つ後悔なんてしていない。だから――
「……あの、今の僕がこんなことを言っても説得力なんて皆無でしょうし、そもそもそんな資格もないのかもしれません。それでも……いつか、必ず貴女の想いにお応えします。必ず、貴女を愛します――海紗凪さん」
「……ふふっ、楽しみにしていますね、朝陽さん?」
そう、じっと見つめ告げる。南の海のように深く透き通る、綺麗な翡翠の瞳を。すると、少し悪戯っぽくそうに微笑み去っていく海紗凪さん。そんな彼女の背中を見送りながら、今一度強く決意を新たにする。
「…………うん、どうしよう」
それから、二時間ほど経て。
そう、ポツリと呟く。便箋には、未だほんの数行の文章だけ。書きたいことはいくらでもあるはずなのに、いざ言葉にしようとすると全く以て纏まらない。文章を書くことにはさほど苦手意識もなかったのに、今はまるで筆が進まない。……うん、今更だけどいったん日を改めて――
……いや、駄目だ。それだと、また書けないとか言って先延ばしにするだけだし……それに、やっぱり今書きたい。どうしてか、今書きたい。なので、回っていない頭でとにかく書いていく。書いて、直して、書いて、直して……そして、どうにか形に纏まって――
「…………ふぅ」
ひとまず、呼吸を整える。そして、ぐっと背中を伸ばした後いったんペンを置き文章を見直す。……うん、これで良い……よね。……うん、大丈夫。
さて、あとは最後の言葉だけど……まあ、これだけはもう最初から決まっていて。だって、今の僕があるのは紛れもなく彼女のお陰なのだから。
「…………よし」
その後、ややあって再びペンを手に。すると、ふっと窓から吹き込む微風が、そっと便箋を揺らす。飛んでいかないよう程度にそっと抑えつつ、暫し風が止むのを待つ。
そして、最後の言葉をゆっくりと記す。たった一行の短い言葉――それでも、きっと声にならないありったけの想いを乗せて。
【――――ありがとう、斎宮さん】




