追憶
「…………ふふっ、ふふっ……ふふふっ」
12月下旬の、ある夜のこと。
ベッドにて、うつ伏せで枕に顔を埋めつつ気持ち悪い声を出すあたし。客観的に見たら随分と痛々しいだろうし、きっとあたし自身が見てもそう思う。
「……ふふっ、ふふふっ」
だけど、声は止まらない。更には、足まで忙しなくパタパタさせちゃって――うん、ほんと我ながら痛々しいことこの上ない。
……でも、しょうがないよね? だって、とうとうこの日が来たんだから……とうとう、彼が……あの朝陽が告白してくれたんだから!
「…………さて」
その後、ややあって身体を起こす。未だ火照ったまま徐に立ち上がり、数歩進んだ辺りで鞄から取り出したのは使い古した一冊のノート。そして、再びベッドへ転がりページを開く。そこには、たどたどしくも丁寧な筆致で綴られた彼の言葉が。
――今でも、鮮明に覚えてる。そして、きっと生涯忘れない。だって……何の誇張もなく、あの日からあたしの人生が変わったから。彼と……朝陽と初めて言葉を交わした、あの日から。
【……あの、神代さん。その、突然すみませんが……その、もし良かったら、僕とお話ししませんか?】
小学五年生の、ある夏の日のこと。
放課後の教室にて、おずおずといった様子で尋ねるクラスメイトの男の子。同い年の相手に対する表現としては少し珍しいかもしれないけど、あどけなく可愛い男の子。……まあ、そこは現在もそうなんだけど。
ただ、それはともあれ……えっと、なんで? 記憶違いだったら、本当に申し訳ないけれど……でも、今まで彼と会話らしい会話をした覚えがまるでなくて。……いや、会話どころか恐らくはお互い挨拶すら交わした覚えがない。そして、何より……でも――
【……えっと、その……うん、いいよ】
【……っ!! ありがとうございます、神代さん!】
そう答えると、パッと花の咲くような笑顔で感謝を告げる男の子。……どうして、私なんかにとは思う。それでも……これまたどうしてか、同じく彼と話したいなと思う私がいて。
【……へえ、そんなに面白いのですね】
【うん。だから、新里くんにも読んでほしいなって。明日、貸してあげるから】
【……へっ、良いんですか? 神代さんの、お気に入りの小説なのに……】
【……うん。だから、新里くんに読んでほしいなって】
【……へっ? ……あ、ありがとうございます……】
それから、一ヶ月ほど経て。
放課後、五年三組の教室にてそんなやり取りを交わす私達。もう皆とうに出て、他に誰もいない――新里くんと私、二人だけの空間で。きっと、誰から見ても取るに足らない平凡な時間――それでも、私にとっては何よりも大切な時間だった。
そして、そんなある日のこと。わざわざ、聞かなくていい――そう、分かっていたのに……なのに、どうしても気になる気持ちが抑えられなくなったある日、とうとう私は問い掛けた。
【……ねえ、新里くん。新里くんが、私に優しくしてくれるのは……私が、吃音だから?】
――幼い頃から、私は吃音を抱えていた。吃音には発達性と獲得性という二種類があり、私は発達性の方のようで。
ともあれ、そういうわけで私は他の子達と上手く話せず……いや、それだけならまだ良かったんだけど、事あるごとに揶揄われたりして。それで、いつしか口を開くことも少なくなった。そのせいか以前にも増して声が出なくなり、今もこうして彼と同じく筆記で言葉を交わしている。……だから、ひょっとするとそんな私を見かねて――
【――いえ、それは違います】
「……へっ?」
【……いえ、そもそも優しくしているなどと立派なことをしているつもりはなかったのですが……ともあれ、吃音であることは何ら関係ありません。ただ、神代さんとこうしてお話ししていることが……こうして同じ時間を過ごしていることが、僕にとって何より大切な時間だからです】
すると、私を真っ直ぐに見つめ告げる新里くん。その真摯な瞳から、熱の籠もった筆致から、その言葉が気遣いでなく本心であることがひしひしと伝わって。……ほんと、なんで……なんで、私なんかに。……だけど、それでも――
「……うん、ありが……ありがとう、新里くん……」
どうにか、声を絞り伝える。人に聞かれたら嘲笑われそうな、何ともたどたどしい声を。
だけど、彼は嘲笑わない。嘲笑なんかじゃない――思わず見蕩れるような、ぱっと花の咲く素敵な笑顔で感謝を告げてくれた。




