inferiority complex-2
前話のつづき。
スウロによる学習室時代の回想。
スウロの人生の転機は十歳ごろだった。
彼は物心ついたころから「所内学習室」と呼ばれる、研究所の中にある学校に通っていた。
学習室のこどもたちは、ラボ・チャイルドとも呼ばれる。このこどもたちの多くは、遺伝のせいか教育のせいか、非常に自己主張とこだわりの強い面倒な性格であった。
スウロは珍しく、引っ込み思案で、すぐに人に譲ってしまう押しの弱いこどもだった。そんなスウロの性質を見抜き、面倒を見てくれたのが五つ年上のヨハン・アルクメネだ。
ヨハンは非常に面倒見がよく、スウロ以外の周りになじめていない面々にもフォローして回るような少年だった。
学習室では年齢や学年を関係なく一緒の場に置いている。なぜなら修学速度に個人差があるからだ。七歳の少年が、十五歳の少女と議論している姿なんて珍しくない。十三歳にもなってさっぱり第二言語を習得できない、母語すらあやしい少年が、数学の天才だったりする。学習室は、そういった偏りを受け入れるように出来ていた。
部屋の監督教師らはそんなこどもたちを管理しやすいように班分けをしている。こどもたちのなんとなくの集まりを勝手に「班」と呼んでいる、とあらわしたほうが正確だが。
スウロが属した班は、いうまでもなくヨハンのいる班だった。
他の面々のほとんどが、ヨハンに面倒を見てもらわなければまともにやっていけない問題児だった。
問題児の筆頭がイーニアス・イーサムだった。
イーニアスは天才だった。
スウロが物心つくころにはすでにコンピューターとお友達をやっていた。平たく言うと、ハッカーだった。
与えられる環境に物足りなくなり、興味だけを理由に犯罪に手を染めようとしていたイーニアスを止めたのは、もちろんヨハンだった。
ヨハンはアンドロイド制作を提案した。その中身となる人工知能をイーニアスに作らせたのだ。
研究所からもらった素体をもとに、機械工学的な部分をサンジュ・キシュタが、造形を、後に世界を騒がせる芸術家となるレーナ・ピアが担当した。
当時は何の疑問もなく彼らの技術を見て、感心し、興味を持ったことについては教えてもらい、そして手伝っていた。
完成したアンドロイドは二体。
初号機を、ユニバース。
二号機を、マルティバース。
どちらもヨハンが名づけた。
それらは美しかった。何もものを知らないこどもが、これ以上美しいものには二度と出会えないのだと理解できるほどに、美しかった。それほどの芸術品でありながら、人のように笑い、泣き、怒り、悲しむ。確かにそれらは、スウロの友であった。
そんな時、テロが起きた。テロのニュースなんて珍しくもなく、同時に学習室は絶対安全であるとされていたので、当初スウロは聞き流していた。
それなのに学習室に行ってみると、ヨハンが大人と言いあっていた。素直で要領が良くて大人受け抜群のヨハンが、大人に食って掛かる姿を初めて見た。
要約すれば、研究所の大人たちはマルティバースを差し出せと言って来たのだ。
マルティバースにテロで破壊された施設の代替をさせる、と。
「本気で言ってるんですか。マルティバースの所有権は俺たちにある。それを」
「対価は出そう」
「対価?ふざけてんじゃねーぞ、そもそも引き渡すつもりはないと言ってるんだ」
「このままでは平面世界が終るんだぞ!マルティバースは壊れるわけじゃない!」
「で、平面世界が予定の終息を迎えるまでそのまんま?それは壊れるも同義だ」
さらに大人たちは重ねて言っていたが、頑としてヨハンは聞き入れなかった。
そんな膠着状態を破ったのは、スウロと共にヨハンの背後に隠れていたメイリーフだった。
「ニアス、シールド・システムのメインコンピューターにアクセスして。本当に損傷率があいつらの言う通りか調べて」
「うん、いいよ」
「メイリーフ!イーニアス!」
頷くイーニアスの声は弱々しいが、行動は素早かった。すぐさま端末にかじりつく。世界一盤石なセキュリティに対して一瞬も迷わない。
イーニアスは当時から知られた天才少年だった。大人たちの幾人かが慌て、悲鳴を上げる。イーニアスもすごいが、イーニアスの実力をそこまで認めている大人たちもある意味ですごいとスウロは後に思った。
そんな様子を横目にメイリーフがにやりと笑った。
「ねえ、聞きたいんだけどさぁ」
メイリーフは当時スウロと同じ十歳だった。
二十歳になろうとする今のスウロが考えても、メイリーフはこどもらしくなく度胸が据わっていた。頭もよかった。
「こういうお話をさぁ、メディアに聞かれたらどうなるかなぁ?」
――スウロが知る限り、メイリーフは一瞬だってこどもらしくなかった。
「メイリーフ、お前!」
「エゼル、外部へ接続」
「おー」
まったく空気を理解していないのか、エゼルの返事は随分と呑気に響いた。その横でゼータがうろたえていた。
「ちょ、おい!技術室!管理室!どうにかしろ!」
「マルティ、ユニ、抗って。どうせシステムの損傷が激しいならこっちからの侵入に抵抗する余裕はない」
たった十歳のこどもが、大人たちと渡り合おうとしている。
「二体の情報、外に出したら危ないでしょ。うちだってやりたかないけど、うちらが必要なのは人工知能じゃなくて、マルティとユニだけなんだ。その後どうなるかなんてまた考えればいい。――おわかりかなぁ?そっちは圧倒的に分が悪いんだよ。わかったら、もうちょっとまともな手段探して勝手にそっちでどうにかしろ」
メイリーフが冷徹に言い放つ。
「メイリー、ちょっと落ち着ついて」
小さな声でセイファが言い、メイリーフの袖を引く。
そのやりとりを聞いていたマヌーがやれやれと首を横に振ってため息をついた。
「ヨハン、あなたも落ち着きなさいよ。エゼル、その作業中止。ゼータ、そいつ止めなさい。そこまで捨て身になるには早いわ。ニアス、・・・は続けてて」
「おいマヌー!ちょっと期待したらお前までそんな」
「期待ぃ?」
マヌーはそれだけ言って鼻で笑った。
ヨハンが少し冷静になったのか、未だ追いつめられた猫のようになっているメイリーフを抱き上げる。
「メイリー。もういい。あとは俺たちがどうにかする」
ヨハンはあんなに大人たちに対して激昂していたのに、メイリーフには微笑む。そして不安げに彼を見上げるスウロのことも、優しく撫でた。
その後、ヨハンらと研究所との間でどんなやり取りがあったのか、スウロは知らない。結局、マルティバースは研究所に取り上げられた。
イーニアスがやけに冷たい目でマルティバースを見送っていた。その後、ヨハンがイーニアスを殴った。マヌーはそれを静観し、サンジュが止めた。スウロはそのやりとりに怯え、隅に隠れていた。メイリーフとセイファが泣いていた。
しばらくして、イーニアスが冷たい目で見送った相手が、マルティを連れて行った研究員であったと知ることになる。
その時同時に、スウロは自由に研究所を出られない身になった。
「だって、マルティが欲しいと言うから預けたんだよ。所有権を勝手に書き換えられないように刻印しておくのは当たり前でしょ?」
少年だったイーニアスは笑っていた。腹黒さなどみじんもない。さも当然のことをしたとでも言いたげだ。――十五歳の少年にしては異様なほど「こども」だった。
むしろスウロの方が余程大人だった。長いものに巻かれる知恵だってあったし、十歳にしては常識と非常識を区別できていた。
自分の身がどれほど危険に晒されるかは理解していなかったが、イーニアスがやらかしたことは非常にまずいのだと、空気を読んで理解した。
常識人の筆頭だったマヌーがへらへらと笑うイーニアスの頬を引っ叩き、レティーシャが慌ててそれを止めた。止めたけれどレティーシャはイーニアスに「馬鹿が」と言い捨てた。ミミリが不機嫌に物に当たり散らし、頬を赤く腫らしたイーニアスを睥睨し罵った。
ヨハンやサンジュの反応は女の子たちとは大きく違っていた。
ヨハンは深いため息をついて天井を仰いだ。その反応は、いつもイーニアスがちょっとした無茶をやらかした時のものと一緒だった。
サンジュはその場では何も言わなかったけれど、その後、怒ったマヌーらへのフォローに回っていた。
「なにさ、うちがやろうとしたことよりも最悪じゃん」
メイリーフはぼそりと呟いた。マヌーたちとは違って怒っているのではなくて、自分の提案が採用されなかったことが気に食わない、そんな雰囲気だった。――このときのスウロにはさっぱり理解できなかったが、つまりメイリーフは、マルティの根幹をなすプログラムを全世界に公開するぞと大人たちを脅そうとしていたのだ。
マルティは研究所が取り上げるほどに精巧に出来ているのだ。公開されてしまえば、誰かが悪用するかもしれない。悪用されれば、研究所への攻撃に使われた場合に効果は抜群、ということになる。
――「二体の情報、外に出したら危ないでしょ。うちだってやりたかないけど、うちらが必要なのは人工知能じゃなくて、マルティとユニだけなんだ。その後どうなるかなんてまた考えればいい」
あのメイリーフのセリフの意味を、スウロは随分経ってから理解した。あれをとっさに思いついたのが十歳児だったのだから、スウロは今思い出してもため息をつきたくなる。
エゼルはいつものように「ふうん」と聞き流しただけだった。あの教室にあった気まずい空気をものともせず、ゼータに話しかけていた。ゼータは構ってくるエゼルをあしらうのが忙しかったのか、その場では特に何も反応していなかった。
セイファが不安の合間にふと安堵の表情を見せたのをスウロは覚えている。未来への不安と、マルティがまだ自分たちのものであることへの安堵だ。
あの場で、心の底から未来に怯えていたのは、おそらくスウロだけだった。
眠れなかったのでそっと起き出し、スウロはベランダへと出た。
周りのビル群のせいで見晴らしはよくないが、風は吹いている。冬の空気は冷たくて、身を凍らせる。だが、頭の中はクリアになるような、そんな感覚があった。
――そこは、イスヴィラ国、ウルダン基地。現在、幼馴染の一人マキ・セイファが住まう、アパートの一室だ。
しばらく外を眺めていると、背後で窓の開く音がした。
「どうしたの、寒いでしょ」
セイファが少し眠たげな様子で尋ねる。
「・・・ああ」
うなずいたが、スウロはまだ部屋に入りたくなかった。その意思に気づいたのか、セイファも出てきて、隣に並んだ。
「そういえばスウロって、場所が変わると寝られないんだっけ」
「ああ、うん。車とか飛行機では寝られるんだけど」
「そっか。あ、もしかして時差ボケかな」
「そう・・・かな」
スウロは昨日、黎逢からこのイスヴィラまで十時間を超えるフライトをしている。
「どうかした?おなかがすいたなら夜食作るけど?」
「そうだな、食べたいな」
「じゃ、作ろっか。メイリーに連絡したら来るかも。あいつ夜型だから」
「・・・いやあいつは別にわざわざ呼ばなくても」
スウロは心の底からメイリーフが苦手である。
「そう?なら、まあ呼ばないけど。――それで、どうして寒いのにこんなとこに?」
「いや・・・頭ン中、ぐるぐるしてるから、冷やしたらちょっとはマシになるかなって。それだけだよ」
「ぐるぐる?」
「ヨハンが・・・あんなことやらかして、俺たちの立場が一層悪くなって、それで・・・、始まりはいつだったのか考えてた」
「ああ、なるほど」
僕も考えたよ、とセイファが笑う。その表情には安心が表れていて、セイファはすでにこれを乗り越えたのだと察する。
「・・・俺、ニアスがずっと嫌いだったんだ」
吐きだす言葉は、とげとげしくて、熱かった。スウロの喉と口を傷つけ、焼いた。
その一言を言うだけのためにあまりにも精神力を使ってしまい、スウロはしばらくうなだれた。セイファはじっと、スウロが喋りだすのを待っていた。
「ニアスが、俺の名前をマルティに刻んだりしなければ、変な身分にならなかった。俺、研究者に向いてないんだ。経済学に進んだけど、大して興味もない。歴史とか文学がやりたかったんだ。――まだラボ・チャイルドだった頃だってそうだよ。あの事件のせいで、戦闘訓練だとか、嫌な授業とかばっかりで・・・全然楽しくなかった。それまでずっと楽しかったのに」
語りながら、それはイーニアスのせいばかりではないと理解し始める。
学習室が楽しかったのは、ユニとマルティがいたからだ。
マルティを取り上げたのは、研究所。
イーニアスがとった手段はテロにも等しかったが、マルティを守るためのものだったし、それは確実に今もマルティを守り続けている。
「あの時のヨハンたちのことも理解できなかった。なんであんなにも、無茶したニアスを、怒らないんだろうって」
「そう言えばそうだ。普通なら怒るよね」
セイファはくすくすと笑う。
「スウロはすごいね。あの時にもうニアスがやらかした事の重大さを理解してたんだ」
「え、いや・・・」
「僕は、高校は絶対に附属に行けって強要された時に初めて実感したよ」
「・・・別に、理解してたわけじゃない。空気読んだだけだよ」
「そう?」
セイファは首を傾げる。
この、認識の相違がスウロには酷く苦痛だ。スウロだけが「何か」を理解できていない気がしてならない。
「続きは、夜食作りながら聞かせてよ。手伝ってくれるでしょ?」
「・・・ああ」
セイファたちのことを理解できないのだから、いっそ嫌いだと言ってしまえれば楽なのだ。
それでも。
(俺は、それを理解したいんだ)




