A tea addict とあるお茶狂い
本編はひとつ前のお話でおしまい。
以後、蛇足です。
11話( http://ncode.syosetu.com/n3613cc/12/ )の直後の、ヨハンのお話。本編で回収場所を見失った部分。
43話でちらっとヨハンが言っている「可能性は潰したつもり」のところです。
「友との語らいを邪魔しなかったこのタイミングを褒めるべきなのかね?」
ヨハンは誰にともなく言うと、背後に立った何者かはヨハンの襟首を掴んで天文台の中へとヨハンを押し込んだ。
「で?準備は出来てんだろうな?」
銃身で頭を小突かれる。
そう簡単に殺されるわけがないと理解しているが、本能的な恐怖はまだ微かに残る。そしてなにより、不快だ。
ヨハンは皮肉交じりに笑って見せた。
「何の準備だい」
無粋な来訪者は眉間にしわを寄せた。
「すっとぼけてんじゃねぇぞ。イスヴィラ市の監視網をごまかすシステムだ」
「ねぇ、何度も言うけれど架空の身分を作った方がコストも時間もかからないよ?あんたらはお得意じゃないか。かくいう俺もその関係であんたらに世話になったわけだし?――なあ、テロリストさん?」
「うるせぇ!」
怒鳴られると同時に、無防備な腹を蹴られ、ヨハンは床に転がった。
痛みもあったが、それ以上に相手の主張にヨハンはうんざりしていた。気だるく体を起こし、ため息をつく。
「正直相手が悪いんだ。研究所まで絡んで、イスヴィラが国家の威信をかけて作り上げた監視システムだ。大きすぎて粗雑さも目立つシールド・システムとはわけが違うんだよ。精緻で、無駄がなく、隙がない。誤魔化すと言う意味では架空の身分を作るというのも同じだ。どうしてそれがダメなのか、教えて欲しいものだな」
イスヴィラ市はイスヴィラ国の首都だ。ウルダン基地と隣接し、研究所との協定地域となっている。すなわち国家の運営機能が集約されているにも関わらず、研究所を対象とするテロの危険にもさらされているのだ。
国はこれを守るためにイスヴィラ市の警備には金をかけている。
監視システムもその一つだ。
たとえば公共交通機関を使うにも、端末情報が必要になる。小銭も切符もいらず、改札すらない。どこで何を買ったのか、何時誰と通話したのか、そんな情報すらも監視システムの目にさらされる。
今でこそ珍しくなくなったが、イスヴィラはこれを他の都市に先んじて導入した。年季が違う。掌握されている情報量の単位が二段階は違うのだ。
「もっと正直に言えば、ヴィジョンが見えない。架空の身分を作るわけじゃなく、でもとにかく誤魔化せ?話がぼんやりしすぎ、素人すぎて話にならない。情報を提供するどころか、アドヴァイスのしようもないんだ」
この男はメッセンジャーでしかない。伝えられる内容を理解されては厄介だから、という理由で選ばれたのかもしれないが、それにしても無知で話にならない。ヨハンが専門的なことを言うと、怒り出す。この短気なところもヨハンの苛立ちを誘う。
「新たな架空の身分が作りにくくなったのか?まあ、そりゃあ同じ手がいつまでも通じるわけがない。堕ちようともイスヴィラだ。かつて世界経済を掌握して、そこから転落して、図太く何度も這い上がった。全然格好良くないけれど、見栄を張って良く見せる。一応国籍を持つ者として誇らしいね。あんたもそう思わない?」
「・・・・・・」
男は何も言わなくなった。同時に、銃から伝わる不穏な気配が薄まった。
「・・・お茶でも飲む?」
「いや・・・」
「飲もう。俺が飲みたいんだ。俺にとっちゃ今の時間は夜更かしなんだよ。カフェインを入れんと頭が回らん。とりあえずあんたは銃を構えてりゃいいんだ」
ヨハンと彼らの取引の歴史は決して浅くない。一種の信頼関係がある。
男もしぶしぶだったが、ヨハンを解放して銃を収めた。
ヨハンは台所に立ってお茶を淹れる。
イスヴィラ人ではあるが、ヨハンは黒豆茶派だ。ただこの国で美味しい黒豆茶の入手は困難であり、手に入ったところで扱いが面倒なので、ここではもっぱら発酵茶を飲んでいる。
幼馴染が口うるさく教えてくれた手順で、丁寧に淹れる。カップは二つ。
「ほらよ」
ソファで大人しく待っていた男にお茶を出してやる。
ヨハンは彼の正面に座った。
「あのさぁ、誰が言いだしたんだ?」
「・・・・・・」
「まあ誰と言われてもそちらさんの名前なんて知らねぇしな。エンジニアがそんなぼんやりしたこと言うわけないんだけど、あんたが覚えきれなかっただけ?それとも専門知識のないやつが騒いで、下っ端が割食ってるだけ?それともまさか、俺を試してる?――最後のだけは、本気で引くぞ」
「・・・」
「ああもう、めんどくせ。専門家を寄越してくれよ。イスヴィラ市内だったら俺が出向いてもいい。そう伝えてくれないか」
「わかった」
ヨハンはお茶に口をつける。
香りと味のバランスが取れた、ここ数年で一番の出来の発酵茶だ。
「もう話は終わったと思うんだけど、帰らないのか?」
「・・・・・・」
「雑談するような仲でもないだろ。飲まないならさっさと帰れよ。少なくとも俺がこれ飲み終わるまでには帰ってくれ。寝るんだから」
「・・・・・・わかった」
「一応教えておくが、この茶葉うまいやつだぞ」
この貧乏生活に見合わない、とある農園の限定商品だ。ブランドの名前を出すと男は「ほう」と興味を持ったようにうなずいた。
お茶の細かなブランド名を把握する人間は、世界的に見ると少ない。例外がこのイスヴィラである。数種類の発酵茶が家に常備されていることも珍しくないし、街を行けば一区画ごとに茶屋があるほどだ。
言葉の鈍りのなさも合わせてみれば、この男は十中八九イスヴィラ人だ。
ヨハンとしてはそれがわかれば充分な情報だった。お茶一杯分を無駄にしてもおつりがくるほどに。
男は興味を持ったらしくカップを手に取った。
(しかし、こんなチンピラまでお茶にこだわるのか。お茶狂いの国と言われても仕方ないなぁ)
ヨハンは苦笑した。世界二大お茶狂いの国は、発酵茶のイスヴィラと黒豆茶のガリアスだ。
少しご機嫌になって、男が天文台を出ていく。
ヨハンはあくびをかみ殺しながら再び台所に立った。自分のためにお茶をもう一度淹れる。お湯を注ぐ瞬間の濃厚な香りが、緊張していた心をほぐしていく。
「テロをしてなんになる。世界は変わるか?――いいや、変わらない。蟻が象の足もとで騒いでいるだけ、噛みつくことすら出来やしない。奴らは敵が誰だかわかってない。所詮は蟻だ、象を象と認識できないんだ。敵は研究所か?――違うに決まっている。強いて言うなら、敵は平面世界に暮らす大半の人々だ。無関心に、平和を享受する人々だ。つまり理解したところで、大きさでも、数でも、テロリストたちに勝ち目はない」
誰にともなく、ヨハンは語る。
独白は余韻を残して融けていく。
お茶を飲み終えたヨハンは、立ち去った男が残したカップをしばらく見つめ、やがてゴミ箱へと落とした。
少しくぐもった、ぱりん、という音が聞こえた。
「毒はいいな。仕事がスマートだ」
その声を聞く者は誰もいない。




