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人工知能の基礎は、システム研究所からのお下がりだった。プログラミングのためのコンピューターも、基礎知識を習得するための本も、素体も同様。
それらの製作の中心になったのは、ヨハンとイーニアスだ。さまざまな分野を把握していたのはヨハンで、コンピューターにもっとも通じていたのはイーニアス。あとは同じ場所にいたこどもたちが、己の持つ小さな知識を寄せ集めた。
何もかもがシステム研究所で古くなった、あるいは使い道のなかったがらくただ。すべてを与えられていた状態で彼らが創りだしたものは、彼らの完全なるオリジナルだった。
精巧にそれを動かしたプログラムや技術は、専門家である研究員たちが手放しで絶賛したほどだ。
でも、年少者たちにはそんなところ深く理解できない。それよりももっと単純に、見た目に衝撃を受けていた。
人形でありながら、それはあまりに人間的だった。知らぬ者は、それを人形だと気づかない。
その造形は、〈レナラスト〉によって成された。当時、彼女は十五歳。
早すぎた天才、世界の至宝、美しき幻想の創造主。現在さまざまな名で呼ばれる、世界でもっとも有名な芸術家。けれど彼女の作品である人形たちは、いまだに世に知られていない。
理由は、あまりに明確だ。
――ヨハンはそこまでで思考を止めた。
空には星があって、彼の周囲には観測機器がそろっている。どうにか食っていける最低限も確保できている。今だって楽しい。充分に幸せだ。それだけでいいではないか。
夜食はおにぎりになった。ヨハンにとっては、黎逢にいたころの懐かしい味だ。
「すごいなぁ、最近短粒米なんて手に入らないのに。どこで見つけたんだ?」
イスヴィラで一般的な主食は小麦だ。世界の米の生産も、八割が長粒米。イスヴィラではなかなか手に入らないはずである。
「あんたの嫌いなシステム研究所からだよ」
「なぁるほど、施設内のマーケットか」
秋が深まってきたこの時期、夜は冷える。二人とも毛布をかぶって、湯気の出るおにぎりにかじりついている。しかしお茶は、発酵茶――イスヴィラ伝統のお茶である。どうせなら、黎逢茶が飲みたかったとヨハンは思う。
「お前、新人教育を引き受けたらしいな」
「・・・ニアスが言ったのか」
「いいや、ユニ」
「は?あいつに研究所内規定を入れてないの?ばかじゃないの?」
「だって俺相手だもん。命令の受け入れ最優先設定。――あ、だからってわざわざ聞き出したんじゃなくて、あいつが勝手に喋ったんだけどな?お前にだってそうだろ」
「・・・・・・あの優先順位設定も書き換えるべきだよね」
「ニアスはやらないだろうな」
「今度、館長に言っておくよ」
「そうしろ。それでもたぶん、ニアスはやらないけどな」
「・・・・・・そうだね」
イーニアスはユニのために研究所に残ったような人間だ。当時の幼馴染のうち半分が、セイファやヨハンのように外へと逃げ出しているというのに。――実際に、犯罪者かというレベルで逃げて身を隠している。セイファはそうしないから研究所から迷惑な依頼をされて、隙あらば研究所への所属を迫られている。
「ニアスは、マルティを助けたいみたいだよ」
半分嘲るように、セイファが言う。ヨハンはなるほどと頷いた。
「あー、この前来たときになんか言ってたな。お前も戻ってくるかって聞かれた?――気をつけておけ。あいつはそのために世界を賭けるぞ」
イーニアスは静かな性格だが頑固で、事を起こすときには思い切りの良さがある。
「ヨハンは、どう思う?」
「何を」
「マルティを助けたい?」
「あれらは人形だよ、セイファ」
「・・・・・・」
「ニアスは自分であいつらの中身を作っておきながら、なんで作り物ってわかんないかな。レナラストの作り出した幻想に惑わされたか?」
「ヨハン」
「勘違いするな。作り出したものへの愛情はあるんだ。その辺の赤の他人に対してよりも、よっぽどな。――でも、世界を賭けてまで助けられない。失敗しても成功してもやったことがばれれば世界中から非難を受ける。そんな勇気ないね。当時の面々で、何人が逃げた?研究所への反発はしているけど、助けられないことも理解してるんだよ。つまり、マルティは人形だってね」
――結局のところ、自分や自分のように逃げて身を隠している幼馴染たちは、我が身がかわいいと思っただけのこと。イーニアスは我が身をかわいいとは思えないのかもしれない。あの時、イーニアスを含めた自分たちはマルティを庇いきれなかったから。あのときの自己嫌悪を引きずって、今に至っている。
(かわいそうに)
かつて最も仲のよかったはずの友の今を想い、ヨハンは天窓を見上げる。
「人間は、ある程度は利己的でいいんだよ。そうじゃないと、ニアスみたいになる」
「人形好きってこと?」
「そんな感じ。あいつは人間よりも、ユニやマルティや昔の思い出が大事になってんの。――だからお前は、自分勝手に好きなことやってりゃいいよ」
「・・・そだね」
セイファはお茶を飲み干すと、深く長いため息をついた。
「僕の周りって、やっぱおかしいやつばっかり」
セイファは心底嫌そうに言うが、ヨハンには彼の本当の気持ちがわかっていた。
「類は友を呼んだな」
「むかつく。生活破綻者たちと一緒にするなよ。レナなんて一週間くらい風呂に入らないでも平気で絵を描いてたんだよ?っていうかヨハン、風呂入った?」
「おととい、シャワー浴びた」
「うっわ。ニアスも生活能力皆無だけどみんなそろって何を、」
「セイファ」
努めて穏やかな声で、彼の名を呼ぶ。とげとげしい口調で文句を言っていたセイファはすぐにその響きに気づいて口を噤んだ。
「俺は星が好きで、観察が好きで、計算が好きで、考えることが好きだ。食べることも風呂に入ることも寝ることも好きだけど、それよりも星のほうがずっと好きだから、どうしても優先順位をつけると低くなる。かわいいメイドが毎食バランスの取れたものを作ってくれるなら喜んで食べるが、現実問題金がない。自分で作っても美味くないしな」
セイファは顔を伏せた。
ヨハンは続ける。
「俺は星が好き。ニアスはユニとマルティが好き。お前はバランスの取れた生活が好き。それだけだ。それでいいんだ」
「もういいよ」
セイファは立ち上がった。耳をふさぎたい気持ちでいっぱいなのだろう。
そのまま螺旋階段を下りていくセイファに、さらにヨハンは言葉をかけた。
「でもレナはだめだった。いいか、セイファ。レナラストにはなるな。あれは生きるための最低限すら捨てたんだ。好きとか言うレベルじゃない、生きる能力どころか、生きる意志が欠落してた。――いいか?あれは生き物ならば忌避する状態だ」
階段を下りる音。
それにヨハンの声はなおも重なる。
「あれに憧れるな」
朝を告げる小鳥たちの鳴き声。そして、天文台のドアの開閉の音。――これから眠りにつく者を起こさぬようにとの心遣いがわかる、やさしい音だ。
ヨハンはソファの上でそれを聞いている。
「なんだ、あいさつもなしか」
――隠遁生活を始めてから、独り言が多くなった。寂しいこともうれしいことも、口に出してみなければ感情がわからなくなるから。
やれやれとため息をついて、持っていたマグカップをテーブルへ置く。そして、玄関へ向かった。
ドアを開けると、すがすがしい朝の光が飛び込んでくる。きらきら光る風景に、ヨハンは目を細めた。夜に慣れた者にとっては忌々しい限りである。
まぶしさを我慢して目を凝らすと、遠くに、セイファの後姿が見えた。
「おーい!」
セイファが振り返る。
特に言うべきことはない。ただ、手を振った。あちらも振り返して、そして再び天文台に背を向ける。
ヨハンは冷えた朝の空へ息を吐き出した。もう星は見えない。今から主役の太陽も観測すべき天体だが、こちらは主に自動観測に任せている。さらに言えば、こちらはシステム研究所がちゃんと観測しているのだ。太陽の活動は気象に大きく影響するから、というのがその理由である。
ヨハンは疲れのたまった体をぎゅっと伸ばし、天文台内部へ引っ込もうとした。
そのときだ。
「・・・・・・あれぇ?」
後頭部へ、硬いものが突きつけられていた。不穏な気配は空気を媒質とし、びりびりと肌に異様さを伝えてきた。
ヨハンは引きつりそうになる頬を不敵に見えるように歪ませながら、両手を挙げる。
「友との語らいを邪魔しなかったこのタイミングを褒めるべきなのかね?」
唐突の訪問者は、何も告げない。