(8)
「辺境の地、特に貧しい家庭では、子供は貴重な労働力です。数年間とはいえ貴重な労働力が学校に通うことにより削がれることに、彼らは納得しないでしょう」
「しかし、それでは悪循環です。学があれば子供たちは自分たちの未来の可能性を、さまざまに広げることができます」
「様々に広げる? 所詮は平民でしょう。何ができるというのです」
失笑気味に言われ、アリスは衝撃を受けた。
(所詮は平民?)
その平民が納めた税金で、この国が成り立っているというのに。
「それに、知恵を付けると彼らは余計なことを考え始めるのでよくありません。かつて隣国で起きた革命も、知恵を付けた平民の仕業です」
「そんな……」
やるせない感情を覚え、アリスはぎゅっと拳を握る。
隣国の革命のことは、歴史を学んだのでアリスも知っている。国民を弾圧して贅の限りを尽くした国王に反発したレジスタンスが主導し、政権交代となったのだ。
「アリス妃はまだ病み上がりでお疲れなのでしょう。もう少しゆっくりされてください。回復された暁には妻に茶会にでも誘うよう、伝えておきましょう」
「そう……ですね。お心遣い感謝いたします」
アリスは力なく答える。
ただ、なんとも言えない悲しみと、虚しさだけが残った。
部屋に戻ると、エマが寝室のシーツを交換してくれていた。エマはアリスが戻ってきたことに気づくと「お帰りなさいませ」と笑顔を見せる。
「全て干したてのシーツに替えておきましたので、今夜も気持ちよくお休みになれると思いますよ」
「そうね。ありがとう」
にこっと笑って答えるアリスの顔を見て、エマは首を傾げる。
「アリス様、何かありましたか?」
「ううん。なんでもないわ」
アリスは慌てて取り繕う。ただでさえここ数日の体調不良で心配をかけているのに、これ以上の心配をかけたくなかったのだ。
「そうですか」
エマはホッとしたように笑う。
「病み上がりによいハーブティーをお淹れしますね。そちらを召し上がって、少しお休みください」
「ええ、ありがとう」
しばらくすると、エマはトレーにティーセットを載せて戻ってきた。真っ白の陶器製ティーカップに注がれたのは、薄茶色のハーブティーだ。顔を寄せると、どこかりんごに似た甘い香りがした。
「これはアップルティーかしら?」
「カモミールティーです。胃腸に優しくてリラックス効果もあるんですよ」
アリスはカップに口を付け、一口飲む。確かにアップルティーとは違うが、すっきりとして優しい味わいはとても美味しい。ハーブティーを飲んだおかげか、体がぽかぽかと温まりすぐに眠くなってきた。
アリスはふわっと欠伸をして、ソファーのひじ掛けに腕と頭を載せる。
(今日のヴィクター様の反応はショックだったな)
きっとこの国のためになると賛同してくれると思っていたのに。
(せっかくハーレムで得た知識を役立てられると思ったのにな)
ハーレムで過ごした七年間。閉鎖した空間での生活を余儀なくされたので気が滅入ることもあったけれど、様々な国出身の妃や女官から聞いた話はどれも興味深いものばかりだった。
内容は、公共事業などの政治的なことから食べ物、それぞれの王族の裏話まで様々だ。
(なんだか眠い……)
あんなにたくさん寝たのに、またこんなに眠くなるなんて。きっと、まだ体力が回復しておらず、疲れも取り切れてないのだろう。
アリスは目を閉じる。いつの間にか、心地よい夢の世界に誘われる。
それは、ウィルフリッドにお姫様抱っこで抱き上げられる幸せな夢だった。
「陛下?」
アリスはウィルフリッドを呼ぶ。薄らと目を開けると、彼の美麗な顔がすぐ近くに見えた。
アリスはへらっと笑うと、彼の首に両腕を回す。
「陛下、大好きです。お慕いしています」
素直な気持ちを告げると、ウィルフリッドの腕がビクッと揺れた気がした。青い瞳と目が合うと、彼の瞳は切なげに揺れる。ベッドに下ろされると、美麗な顔が近づく。
「俺も、好きだ」
呟くようなウィルフリッドの言葉が聞こえ、触れるだけのキスをされる。
(ああ、なんて都合のいい夢かしら)
ウィルフリッドがアリスのこと好きだと言って、キスしてくれるなんて。
こんな幸せな夢なら、一生目覚めないでほしい。




