◆第六章 出戻り王女はもっと夫に近づきたい
アリスは朝日の眩しさに、目を覚ます。
寝返りを打ってうっすらと目を開けると、きっちりと服を着たウィルフリッドが見えた。
(陛下?)
ねぼけまなこでうとうとしていると、ふと髪の毛を触られる感触がして、額に柔らかいものが押し当てられた。
そのまま目をつぶって寝たふりをしていると、カツカツと足音が遠ざかりばたんとドアが閉まる音がする。
部屋の中が静かになったのを確認してから、アリスはパチッと目を開けた。
(今、陛下が──)
アリスは自分で自分の額に触れる。
(キスした?)
目を瞑っていたから、確信はない。けれど、額に確かにやわらかで温かいものが押し当てられた。
アリスの頬はたちまち真っ赤になる。
(陛下、どうしてあんなことを)
きゃーっとなって布団で羞恥に震えていると、パタンとドアが開く音がした。
「アリス様、おはようございます」
「お、おはよう。エマ」
アリスは慌てて平静を装い、エマに朝のあいさつをする。エマはアリスの顔を見て、首を傾げた。
「お顔が少し赤いですが、暑いですか?」
「ううん。そんなことないの!」
アリスはぶんぶんと首を横に振る。そして、言われてみれば部屋が暖かいことに気づいた。
アリスは部屋の片隅に置かれた暖炉を見る。火は煌々と燃え盛っていた。夜間は火災を防ぐために暖炉の火は小さくされるので、きっと朝になってから薪を足したのだろう。
「暖炉の火を足してくれたのね。ありがとう、エマ」
アリスにお礼を言われて、エマはきょとんとした顔をした。
「いいえ。私は何もしておりません」
「え?」
(じゃあ、陛下が朝起きてから足してくださった?)
エマがやっていないなら、ウィルフリッドがやったとしか思えない。
(もしかして、わたくしが寒がりだから?)
アリスの寒がりに呆れながらもさりげなく気遣ってくれる優しさに心がほっこりとする。
一方のエマは、アリスのためにてきぱきと朝の準備を整えていた。お湯とタオルを用意すると、いつものように暖炉の近くに設置する。
「ご用意できました」
「ありがとう」
アリスはベッドから抜け出す。ふと、エマがとてもにこにこしていることに気づいて不思議に思った。
「エマ、どうしたの?」
「最近は毎日陛下がいらっしゃいますね。これなら、お世継ぎもきっとすぐにできますね。アリス様がご寵愛頂いていて、私も嬉しくって」
エマから澄んだ瞳で見つめられ、アリスははたと我に返る。
「寵愛?」
「はい。だって、このコート! 最高級の貂ですよ!」
キャッキャしながらエマが取り出したのは、真っ白な毛皮のところどころに黒い点が付いたコートだ。貂という生き物の毛皮を使っており、毛皮の中でも最高級品なのだという。アリスが寒がりなので、ウィルフリッドがプレゼントしてくれたのだ。
「それに、陛下は毎日欠かさずアリス様の元に通われているじゃないですか」
たしかにウィルフリッドは欠かさずアリスの元に来てくれる。しかし、彼は自分からアリスに指ひとつ触れない。
ウィルフリッドの顔を思い浮かべたとたん、脳裏によみがえったのは彼からされた今朝のキスのことだ。アリスは頬が熱を帯びるのを感じた。
ヴィルフリッドにとってはただの挨拶のようなものだったのかも知れないが、アリスはキスなんてされたこともしたこともないので一大事件だ。なお、結婚式の誓いの口づけは儀式で取り決められたものなので数にカウントしない。
(陛下、どういうおつもりであんなことを──)
考えても答えはわからない。けれど、わかることがひとつ。
アリスは彼からキスをされても、全く嫌悪感がなかった。むしろ、唇にしてほしいとすら思った。
(わたくし、もしかして陛下のこと──)
そう自覚した途端、胸にずきっと痛みが走る。
『この結婚で、愛は望むな。子供も望むな』
そう言ったときの彼の冷ややかな、けれどどこか孤独を匂わせるような瞳。アリスはそれに対して、構わないと承諾した上で結婚した。
それなのに、今になってウィルフリッドから愛されたい、彼の子供を産んでみたいという欲が湧いてしまっている。
(でも──)
一緒に寝ているにもかかわらず指一本すら触れてくれないのだから、それ以上進みようもない。
(もしかしてわたくし、女性としての魅力がない?)
衝撃の事実に気付いてしまい、アリスは愕然とする。ハーレムのときに『ベッドで一緒に寝て手を出さない男などこの世にいないわ』と言ったのは、確か豊満な体つきの艶めかしい妃だった。
ということは、手を出されないアリスは悪い意味で希少な存在ということだろうか。
「今日はアメリア様のところでお茶会ですので、こちらはいかがでしょう?」
エマは華美すぎない長袖のドレスをアリスに見せる。淡い黄色で、見た目も暖かそうだ。
「ありがとう」
アリスは袖に腕を通しながらも悩む。
(アメリア様にご相談してみようかしら?)
彼女なら、何かヒントをくれるかもしれない。




