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挙式のあとの披露宴が終わっても、花嫁の一日は終わらない。一番の大仕事──初夜の儀が残っているのだ。
披露宴会場から戻ったアリスを部屋の前で待っていたのは、年若い女性だ。黒いワンピースにエプロンを組み合わせたメイド服を着ており、肩までの長さの茶色い髪はサイドを三つ編みにしていた。大きな目は水色で、年齢はアリスと同じか少し上くらいに見える。
「はじめまして王妃様。本日よりアリス様の専属侍女を仰せつかりましたエマでございます。誠心誠意仕えさせていただきますのでよろしくお願いいたします」
「専属? わたくしの?」
アリスはきょとんとしてその女性──エマに問いかける。
「はい、そうです。あの……どうかなさいましたか?」
エマはアリスの反応に不安を覚えたのか、恐る恐るといった様子で問いかける。アリスはハッとしてぶんぶんと首を横に振った。
「いいえ、気に入らないことなんて何もないわ! 専属侍女がいるなんて知らなかったから、驚いただけよ。よろしく、エマ」
アリスは喜色を浮かべ、エマに微笑みかける。
ビクリス国のハーレムには四十三人の妃がいたが、それに対して世話役の女官は全部で十人しかいなかった。そのうち二人はクリスのお気に入りの妃──ルシアのほぼ専属のようになっていたので、実際は八人の女官で残り四十二人の妃を世話していた。
そうすると何が起こるかと言うと、女官たちの手が回らない多くの下級妃は自分のことは自分でやらなければならなくなる。食事を厨房に取りに行くことや、掃除、洗濯など全てだ。
大体の妃は自分の給金を使って人を雇うのだが、アリスは最下位の妃だったので給金自体も雀の涙で人を雇うことができなかった。だから、自分のことを自分でやった上で、他の妃のところに手伝いに行って女官もどきのことをこなし、小銭を稼いでいたのだ。
そんな状況で七年も過ごしたアリスにとって、『専属侍女のいる妃』は夢のまた夢の存在だったのだ。
一方のエマは、アリスが彼女に不満を持っているわけではないとわかったようで、ほっとした様子だ。
「それでは、本日からお仕えさせていただきますね。何かあれば、なんなりとお申し付けくださいませ。早速、夜のお支度のお手伝いさせていただきます」
エマはにこっと微笑むと、外に控えていた屋敷のメイド達に言って温かいお湯を湯船に張らせる。結い上げられたアリスの髪をその間に解くと、てきぱきとドレスを脱がせてゆく。
湯が溜まったら風呂で入念に体を清められ、香油をしっかりと肌に塗られた。
「アリス様。こちらをお召しになってください」
着せられたのは、シルクで作られた寝間着だった。
腰ひもを兼ねたリボンを外せばすぐに脱げるような構造になっており、寝間着というにはやや心もとない。しかし、触り心地はなめらかで、上質なものであることはすぐにわかった。
アリスは言われたとおりにその寝間着を着る。そして、エマに案内されて内扉続きの隣の部屋──寝室へと移動させられた。
「こちらが国王陛下ご夫妻の寝室でございます」
エマがアリスに説明する。
広い部屋の中央には天蓋付きの大きなベッドがあった。ベッドのわきにはちょっとしたソファーセットとローテーブルが置かれ、その上にはピッチャーとグラス、それにちょっとしたおつまみもあった。
照明は少し暗くされており、それが余計にこれからこの部屋で行われることに対する緊張を呼び起こす。
「それでは、私たちはここで失礼いたします」
「ええ、ありがとう」
アリスがお礼を言うと、エマ達はお辞儀をして部屋を出て行った。
ひとりきりになったアリスは、改めて部屋の中を見回して大きなベッドの端に腰かけた。
「大きなベッド」
アリスがアーヴィ国にいたときに使っていたベッドもそれなり立派なものだったが、この部屋にあるベッドはそれよりもさらに一回り大きい。アリスが横向きで寝てもはみ出さない幅がある。
シーツに手を這わせる。さらりとした上質なコットンは、とても優しい触り心地だ。
「今回は、いらっしゃるかしら?」
一度目の結婚式の夜、アリスは夫の来訪を今か今かと待っていた。しかし、夜が白み始めても夫が現れることはなく、虚しさだけが残ったのを覚えている。




