88話
鎧蟲たちの世界、空の色も空気の味も人間界の物とは全く違う異世界。そこに広がるのは荒れ果てた荒野だけで生き物の気配など1つもしないはずの世界であった。そこに我在りと言わんばかりに頭角を現す天守閣、そこを中心に彼ら特有の文明が展開されている。
城を中心に瓦屋根の建造物が四方八方が建てられそこを虫の魑魅魍魎たちが闊歩する。城下町というわけではない、そこに住む鎧蟲たちに平民という概念は無かった。全員が働き蟻なのだ。
これは巣というより「国」と呼ぶに相応しい規模と数、
故にその世界はこう呼ばれていた――「終張国」と。
そしてその中心にそびえ立つのは先ほど述べた通り石垣を土台とする天守閣、まるで山のようにその大きさを誇り何もないこの世界に堂々と存在感を放つ。造りとしては人間のものとほぼ同じ、唯一違う点を挙げるとしたらそこら中に人の骸が散らばっているところだろうか。
そんな禍々しい雰囲気を放つ天守閣の大広間にて、その鎧蟲たちを束ねる存在と言える武将たちが集っていた。煌びやかな襖に囲まれ外とは正反対の空間、そこに強者たちが面を向き合う。
国の中で最も権力を持つ三大名の信長、信玄、謙信を始めとした大名の家臣。信長には蟻の秀吉が付き、信玄はいつも通り単独であった。しかし今回は謙信も独りでこの大広間を訪れ、今回の議題もそれである。
「——この度は、我が忍衆が無様な結果をお見せしてしまい申し訳無い。何が終張国一の暗躍集団だろうか、情けない話だ」
開口一番、謙信は頭を下げ自分の部下の不始末を代わりに謝罪する。三大名の中で一番の謙虚さと礼儀作法を持つ謙信、その性格は良い意味でも悪い意味でも部下に影響を及ぼしている。
「全くだ、あんなに息を巻いていたくせにこの体たらく。うちの千代女を御庭番衆に任せたのは間違いかもしれんな?」
「——ッ」
けれども怒りの感情が無いというわけでもない。前に座る信玄の卑しい笑みを見て心を滾らせる謙信であったが事実無根なので言い返すこともできないもどかしさに舌打ちした。
議題というのは先日行われた上杉御庭番衆の武者討伐の任務が失敗したことであった。結果敗北し武者の首1つも持ち帰れなかった挙句、頭領である段蔵が瀕死にまで追い込まれる。それが謙信にとってどれ程の恥であるかは想像もつかない。しかし謙信への非議より優先すべく問題があった。
「取り敢えずまとめてみましょう、上杉御庭番衆のうち半蔵と千代女は白武者たちとの交戦の末敗北。更にそこで新たな武者の覚醒も確認したそうです」
「新たな?つまり千代女は新参者に負けたというのか?ならば儂にとっても恥ではないか」
秀吉のまとめに対し信玄は自分の部下も同じような、またはそれ以上の失態を犯していたことを知る。さっきまで謙信を責め立てていた為顔向けができず、バツが悪そうに顔をしかめた。それを見た謙信は内心でほくそ笑む。
新しい甲虫武者であるエレファスゾウカブトの豪牙、その存在は当然三大名たちの耳にも届き、新たな脅威として注意されることとなる。
「そして段蔵ですが……こちらは以前の共食いで確認された別の武者共と争ったようです。大剣の武者に長刀の女武者……そしてそこでも虹色の甲冑を着た未確認の武者がいたようです」
では段蔵は誰と戦ったのか?英たちとは別の武者の集団――とどのつまりコーカサスたちのことだ。段蔵と千代女が学校で戦っている最中、頭領だけは別行動をし他の甲虫武者たちの首を狙っていたのだ。そしてコーカサスとギラファことアミメ、それに加え英たちもまだ会ったことのない第三の甲虫武者と戦うこととなった。
「2匹の武者か……これはますます首が取れなかったことが悔やまれるなぁ?」
(先ほどから一々……陰湿な男め)
隙あらば信玄は謙信を揶揄い半分で責め、それに対し沈黙の裏で苛つく感情を押し殺す謙信。普段なら口を開けば軽い口論になる2匹であったが、今だけは信玄の方が有利になっている。
「これで今確認されている武者は8匹、恐らくそれが2つの派閥に分かれているかと」
「ふむ……どうしたものか」
自分たちの予想外でどんどん勢力を高めていく甲虫武者たちに対し、武将たちはその対策を考えて頭を悩ませる。御庭番衆の敗北がここで影響を及ぼし、彼らに生半可な戦力では奴らを討てないという確信に至らせた。
「——そろそろ、味見の頃合いだろう」
「……!」
そこで口を開いたのは今まで沈黙を続けていた信長、胡坐をかき足の上に肘を乗せて寛いでいたがその一言で大広間が静まり返る。「うつけの魔王」と呼ばれる程今までにその貫禄を示すことはなかったが、ここに来てようやく気が引き締まったか。その場にいた全員が息を呑む。
しかしその緊張は、間抜けそうな欠伸で打ち消された。ちなみにまだ人間の姿に擬態しており、現代の服装に身を包んでいる。
「勝家に段蔵、こいつらでは敵情視察としては些か役不足だったかもしれない。そろそろ俺が出てもいいだろう」
「の、信長公自らが!?」
しかし眠そうな顔はすぐに覚醒し、鋭い目つきと何かを企んでいる顔つきになる。謙信はその発言に目を見開いて驚愕し、秀吉は主人のそんな顔を見て恍惚の顔を浮かべている。そしていち早く賛同したのは信玄であった。
「面白い!丁度儂も体が鈍っていたところだ!」
「貴様もか信玄!?」
「どうせならお前も来い謙信、三大名で派手に行こうじゃないか!」
「ッ……仕方ない、部下の不始末は私自身で片を付けるか」
信長と信玄の闘志に驚愕ばかりしていた謙信であったが、ここで自分だけが戦場に向かわないのは三大名の1匹として沽券に関わると危惧する謙信。そして自分の御庭番衆の失態のこともある為、やれやれと重い腰を上げた。
一斉に立ち上がる三大名、その視線と闘志はこの場にいない甲虫武者たちに向けられる。
「……ん、あ?」
目が覚めた男が最初に見たのは、薄暗い天井であった。そして息が詰まりそうな空気にその目覚めは最悪なものにされてしまう。
その男――工藤は今自分の置かれている状況が理解できなかった。一体ここはどこか?意識を失う前自分は何をしていたか?兎に角朦朧とした意識を覚醒させる為に体を起こそうとするも、ガチャリという音と共に身動きが取れないことにようやく気付いた。
「……んだよコレ!?のわッ!」
そこで天井の照明が突然照らされる。真っ白な光が仰向けの工藤を包みその全容を明確なものとした。黒いロープによって手首、胸部、両足、全身がきつく縛られておりその手術台に固定されていた。
手術台に固定、そのワードだけで危機を感じた工藤は必死に抵抗するも固定具は壊れる様子を一切見せない。ガッシリとその体を抑えつけ逃がさないようにしていた。
「どーなってんだ……オイ!誰かいねぇのかよ!俺を放しやがれ!」
強行突破が無理なら声の呼びかけ、喉から必死に怒声を出し自分の解放を要求するも返事は返ってこない。次に取り巻きである山内と岩下の姿を探すもどこにもいなかった。
するとその響く声が届いたのか、闇の奥から足音が近づいてくる。やがてそこから1人の男性が姿を現した。
その男は青白い手術着に身を包み、顔を隠してその正体を隠している。その恰好は今から何をするのかを物語っており工藤は更に怒りを湧かせて威勢を利かし叫ぶ。
「テメェかこれやったの!さっさと外せぶっ殺すぞ!!」
「まぁ落ち着いて、お体に障りますよ」
しかし所詮は威勢だけ、動けない工藤に対し男は何の反応も示さず話しかける。その気遣いの言葉と共に爽やかな笑みを浮かべているのはマスクで隠されていても分かった。
男は準備を始める。机の上にはメスや鋏などと言った手術道具が並べられて煌めいていた。その光景が更に工藤を恐怖の底に沈めていく。
「おい何する気だ……やめ――!」
「ところで、普通の人間と甲虫武者では何が違うと思います?」
遂に虚勢を張る度胸も尽き懇願を始める工藤に対し男は急にそんなことを言ってきた。寝かせられている工藤に顔を近づけ、開いた瞳孔を無理やり見せつける。勿論工藤は甲虫武者など知らない、言われても答えられるはずがなかった。
「……コウチュウムシャ?んだよそりゃ……いいから――」
「ああ質問の順序が悪かったですね、ではこう言いましょう。何も無い場所から鎧と武器を出せ、糖分さえ摂取すれば大抵の傷が治る体が欲しくありません?」
そう言って今度は点滴の準備を始める。あれで全身麻酔を打つのだろう、話が通じているようで全く会話が成り立っていない、工藤の言葉を無視しまるで独り言、もしくはここにはいない誰かに語り掛けるかのように話を続けた。先ほどの質問の答えも効かず次の話題を出す。
「まず最初の質問から、甲虫武者の再生力はどこから来ているのか?当然切断された手足の再生にも万全の状態ならば数分と掛からない、こんな短時間での再生ができる哺乳類は――いや、まず甲虫武者を哺乳類というカテゴリーに分けられるか?おっと話がズレましたね、要するに私は糖分だけで何故再生できるのかという点に着目しました」
「やめろ……いっつ!」
長い話を続けながらも男は工藤の腕に点滴を挿入、そこから麻酔薬を注入していき段々と眠りへ誘った。酸素マスクも装着され完全に手術の準備が整ってしまう。最後まで抵抗した工藤であったがその意識は既に朦朧としていく。
「摂取された糖分はどうなるのか?そのまま消化され再生エネルギーに変換され血液と共に全身を循環していく……つまり答えは心臓!そこに秘密が隠されていました……って、先に眠っちゃったようですね。医者という賢い身故か自分で発見した知識は誰かに長く語りたくなるもの。
私は甲虫武者の心臓を『鋼臓』と名付けました。そしてその鋼臓を人工的に作ることに成功したのです!」
そう言って最後に取り出したのは大きめのガラスケース、中には人間のものではないと言い切れる程不気味な形と色合いをした臓器が保管されていた。緑と赤が入り混じり、液体の中で生きているかのように鼓動を続けている。もし工藤が意識のある状態でそれを見たら悲鳴を上げてしまうだろう。
ここでご説明は終わり、早速手術に取りかかろうと男は手術着を締め直す。そのまま魔の手ならぬ魔のメスが工藤の体に迫っていく。
「おめでとう工藤君、今日君たちは――世界の先を歩む」




