81話
(象さん先生は甲虫武者……それも前の英さんみたいになったばかりの!)
保健室にて豪牙と共に隠れている伊音、噛まれたはずの左肩は驚異の再生力で治りそして決定づけるかのようにその右手にはカブトムシの痣が現れていた。右手の痣は甲虫武者の証、英や黒金、そして自分の父親のものを何度も見たことがある。
また伊音が気づかなかっただけで豪牙の覚醒の兆しは数日前から違和感として起こっていた。身体能力の向上に糖分への欲求、無意識のうちに現れた鎧蟲の気配を虫の知らせで察知していたりもした。
後者は兎も角前者はただの偶然にしか思えないだろう、だからこそ英や伊音がその情報を知っていてもまさか豪牙が甲虫武者になりかけているとは気づくはずもない。英だけは甲虫武者同士のシンクロなのかその気配だけは察知していたが「気のせい」と扱われていた。
(ま、まさか私の担任が甲虫武者だなんて……)
奇跡と言ってもいいほどの度重なる偶然に伊音は驚かずにはいられない。父や自分の家で働いているバイト、その常連、この時点で3人の甲虫武者と交流があるし鴻大に至っては実の親である。それに加え自分の担任教師さえも甲虫武者であるだなんてどんな巡り合わせだろうか。
「先生、その痣いつから……」
「いや、俺も今初めて見た。さっきまではこんなの無かったはずだ……それにしてもカブトムシみたいな形してんな」
勿論豪牙自身も自分がそんな存在であることは知らなかったし、そもそも痣自体が先ほど発現したばかりであった。
一体何が原因で今現れたのか?一番考えられる理由としては蜘蛛に噛まれたことがトリガーとなったぐらいだろう。英も初めて鎧蟲の足軽に襲われた次の日に痣が出た。
何にせよ、今この状況においてその突然の出来事は幸運とも言える。
「……象さん先生、それは甲虫武者の痣です。先生は甲虫武者になったんだと思います」
「……コウチュウムシャ?」
もう隠す必要も無い、伊音は自分の知っていることを話し始める。一般人にとって「甲虫武者」という単語は聞き慣れていないものだろう、初めて耳にしたその名称に豪牙は聞き返して首を傾ける。それすら受け止め切れないのなら完全に理解するなど難しいだろう、鎧蟲に武将、教えなければならない言葉は沢山ある。
「あの蜘蛛の怪物……私たちは『鎧蟲』と呼んでいます。そいつらと戦える力を持つ人が『甲虫武者』です」
「ガイチュウ?さっきから一体何を言ってるんだ神童。あの蜘蛛の化け物について何か知っているのか?」
頭がおかしくなったと疑われることを覚悟していた伊音だが、教師だからか豪牙は伊音の言葉を疑うこともしない。そこで自分が「知っている人間」という印象を与えることに成功した。
しかしそれでも突拍子が無さすぎるだろう。鎧蟲と戦う甲虫武者、そんな非科学的存在ともいえる話をどうやって説明して信じてもらうのか。そう悩んでいると視界の隅に何かが入り込んだ。
(あれは……英さんとお父さん!黒金さんまで……助けに来てくれたんだ!)
窓を覆った糸の隙間からは校庭で蜘蛛の大群と戦っている3人の甲虫武者の姿を確認する。そこで何故学校内の鎧蟲が少なくなっていたのか、どこに行ったのかを理解し同時にようやく助けが来たと胸を撫で下ろす。
見えたのは鴻大の剣撃によって上に打ち上げられた蜘蛛の大群、光る斬撃に照らされ鎧蟲と戦う彼らの姿は正しくフィクションにしか思えないに違いない。
つまりどういうことか、論より証拠――言葉で説明するより見せた方が早いというわけだ。
「……先生、アレ見てください」
「アレって……何だありゃ!?」
その戦いの様子を豪牙にも見せることにより、今自分が語っていることが一般常識から大きく外れたものであることを証明。初めて見る怪物の戦いに豪牙は目を丸くして珍しく声を上げて動揺した。
「あれはお前の親父さん!それにあの時いたバイトの彼もいるぞ!何だあの格好は……」
無理も無い、自分の生徒の父親とこの間顔を合わせたばかりの男が見慣れぬ鎧武者の姿になり大量の鎧蟲と戦う姿なんて見れば誰だって硬直する。そして自分の目が信じられない豪牙の背中を押すかのように、英たちは派手な技を使い更に現実味を失わせていく。
「あれが甲虫武者です。鎧を着て鎧蟲と戦う、お父さんやあのバイトの人……英さんと言うんですけど」
「……つまり、俺があの人たちと同じってことか?そんなわけないだろ!」
勿論「はい分かった」とすぐに理解なんかできるはずもなく、自分が甲虫武者であることを必死に否定した。寧ろ甲虫武者と鎧蟲と存在をこうも簡単に受け止められたこと自体が奇跡に近いだろう、流石に己がその甲虫武者だというのはすぐに信じてはもらえない。
別に豪牙が甲虫武者という存在を嫌悪しているわけではない、まだどんなものかも理解しきれていないので嫌う理由もない。ただ単に自分と人の力を超越した存在を照らし合わせることができないのだ。
それはまだ自分が普通の人間であると思っているからで、現に豪牙の体には甲虫武者としての変化が現れている。
「……先生、肩の傷を見てください」
「肩の傷?……って何でもう治ってんだ!?噛まれたよな俺!?」
その証拠でもある甲虫武者の再生力、蜘蛛に噛まれ牙を打ち込まれたはずの肩がもう完治していることに豪牙は驚愕する。血は止まり穴は肉で塞がり、先ほどは血を大量に垂らしていたことが嘘のように痕も残っていない。あるのはシャツの破れて赤く染まった部分だけだ。
「こんな言い方はどうかと思いますけど……もう象さん先生は普通の人じゃないんです」
そんな事実を伊音は言いにくそうな顔で伝える。怪我をしてもすぐに治る、虫の怪物と互角に渡り合える、そんな人外のような体を全ての人間が快く受け止めるとは限らない。それこそ甲虫武者も「化け物」といって拒絶する人だっている可能性もある。だからこそ世間一般には存在がひた隠しにされているのだ。
果たして豪牙はそれに対しどう想い、何をするのか。あまりにも突然すぎて混乱するのは当然、常識では考えられないことを理解するのは時間がかかることだった。
「……そうか、つまり俺も親父さんたちみたいに戦えるわけだな?」
「先生……まさか」
すると豪牙は思い立ったように立ち上がり、何やら覚悟を決めた目つきで自分の痣は見つめる。その手は普通の人より大きく、ギュッと握りこぶしを作ればボールと見間違えてしまう程だった。その様子を見ただけで伊音は彼が何を決意しているのかを察する。
「だったら、俺もその甲虫武者って奴になってやる!それで蜘蛛をぶっ倒して学校を取り戻す!」
「そんな、無茶ですよ!まだなったばかりなのに……」
――豪牙に甲虫武者について教えたのは彼にも戦ってもらうためではない、と言えば嘘になるだろう。そんな無責任な期待を伊音は無意識のうちに抱いていた。それに今気づき伊音は自分を責めるがこのような切羽詰まった状況において、打開する力を持つ味方が増えるかもしれないとなると仕方のないことだ。
それでも豪牙を戦わせることには難色を示す。甲虫武者といっても今覚醒したばかりで、いくら体育教師と言えども戦闘経験が豊富というわけでもない。多少の抵抗はできるだろうが、今回の襲撃には武将もいる。返り討ちにされるのは目に見えていだろう。
それでも豪牙は、覚悟を決めていた。
「俺に生徒を守れる力があるのなら、ジッとしてるわけにはいかない。保護者の皆様から預かった生徒を命懸けで助ける……それが教師だ!」
豪牙の教師としての使命、それが揺るぎないことに悟る伊音。最早言葉での説得など不可能であり、誰も止めることはできなかった。伊音や小峰、工藤たちを身を守るためにと立ち上がる。その時脳裏に過ったのは自分が殺されるかもしれないという恐怖ではなく、殺された里中の顔であった。
もし彼が今の自分の状況に置かれていたならどうしていただろうか?同じように戦う決意をしていたに違いない。そもそも里中だけに言えることではない、生徒を真に想う教師ならば誰でも決意をするはずだと豪牙は信じる。
これは里中の敵討ちではない、大切なものを守るための覚悟だ。
そしてそれが果たして本物か――それを確かめるかのように扉から音が鳴り響く。
「ッ!?まさかここまで追ってきたのか!」
廊下側からガリガリと爪で引っ掻くような音、それは隙間に足を入れ込もうとするものでやがて無理やり入ってこようと力を押し込んでいく。先ほど襲ってきた蜘蛛が後を追ってここまでやって来たのだ。
当然保健室の扉にそこまでの耐久力が備わっているわけでもなくいとも簡単に突破されてしまう。破壊された扉の上に蜘蛛は足を置く。そして少し高い位置から豪牙と伊音を睨みつける。
「くっ……神童!どうやって鎧みたいなのを着るんだ!?」
「えっと、その痣からバァーと糸を出して蛹になって……!」
「何言ってのお前!?」
豪牙はどうやって甲虫武者の力を出すか知らない、初めてなのでそれは仕方ないだろう。しかし武者の力を持たない伊音にそれを上手く説明できるはずもなく、あくまで英たちの戦いを見ている者としての抽象的な例えしかできなかった。
そうしている間にも蜘蛛は目の色を変えて走り出し、口を大きく開けて跳びかかる。豪牙は咄嗟に伊音を自分の後ろに突き飛ばし、庇うように相対した。
――英は蟻の足軽に襲われていた人を見て、その痣の使い方を本能的に悟った。本能的と言う部分であれば今の豪牙にも同じことが言えるだろう。
しかし豪牙の場合蜘蛛に襲われかけている今この状況に生存本能が共鳴し、自らの身を守ろうとその方法を脳に伝達させていく。一体どうすればいいのか、それが新たな戦士を目覚めさせるきっかけとなった。
「――うおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
カブトムシの痣が、ギラリと光る。
それは、英たちの虫の知らせも感じ取った。
「――ッ?何だこの感じ……」
鎧蟲の気配とも違うその感覚に英は思わず手を止め、それが導く方向を見つめる。黒金や鴻大といった他の甲虫武者も同じく、自分たちを取り囲む蜘蛛の群れの先にある校舎の壁を見つめた。
「よそ見とは……この半蔵も舐められたものだな!」
「ぐっ!このッ!」
心の底に引っ掛かる違和感に対し、その言葉通りいつまでも気にしている暇は無い。半蔵の怒涛の猛攻が英の全身を襲い掛かりその視線を我が物としてきた。鎧には火花が走るだけで傷が付かなかったがその攻撃の手に圧倒されてしまう。
(駄目だ、速すぎて隙が見つかんねぇ!とてもじゃないけど抜け出せない!)
先ほどから半蔵の動きを見極め早いところ校舎内に急ごうとはしているが、あまりにも速すぎる為虫の知らせも間に合わない。気づけば自分の死角に回り込まれ、その小刀を打ち鳴らしてくる。
グラントシロカブトの鎧ならば確かに防ぎ切る。だが敵も弾かれると分かっているのに同じところを狙う程馬鹿ではない。鎧や兜に覆われていない場所――顔や首元、そこに刃が集中してきた。
(着実に俺を倒しに来てる!このままだとジリ貧だ!)
「――その硬さを認めてやろう、だが我ら御庭番衆の前では所詮いつかは溶けて無くなる氷の鎧よ!」
迫りくる剣撃、自分の首と顔を断とうとしてくるそれらを捌くのに精一杯となる英。いつの間にか両足が後ろに引き下がり、圧倒されて押し込まれていることに気づいた。
このままだと隙を見て抜け出すなど以ての外、それを見つける前に仕留められてしまう。黒金も鴻大も蜘蛛たちに足止めされている、どうにかしなければ――その時だった。
ドゴォ!という大きな音が状況を一変させた。
「ッ!?」
それは先ほど感覚が過った方向、その壁は複数の破片となって宙を舞い派手に飛び散った。覆っていた蜘蛛の糸も同じく破裂し校舎に大きな風穴が開いた。
しかしその場にいた者たちの目を奪ったのは穴ではなく、破片と共に飛んで来た影。顔が潰されグチャグチャとかき混ぜられた蜘蛛が校庭まで吹っ飛ばされる。
「な、何だ……?」
突如として開いた穴、蜘蛛の無残な姿。その予想だにしていない光景に甲虫武者も半蔵も思わず動きを止め、共にそこを凝視した。電気の付いていないその部屋は奥まで闇に包まれ、月の光がそこに差し込む。
ガラリと崩れた穴に足を置き、その男が姿を現した。
「……甲虫武者!?」
月光に照らされて露となったのは黄土色の鎧、見覚えのある巨体を守るそれは威圧的な装飾が施され非常にマッチしていた。筋骨隆々の体を隠しているがその男がどれ程ガタイの良い肉体を持っているかを物語っているかのようだ。そいつが穴を開けたことはすぐに分かった。その派手で豪快な登場は強く印象に残るものだ。
しかしそれ以上に存在感を一際放っていたのは携えているその大きな武器、コーカサスのような大剣ではなく、そもそも今までの甲虫武者の獲物とは基本的に違っていた。
――大槌、所謂ハンマーという奴が肩に置かれている。見ただけでも重量感が視覚情報でのしかかってくる頭部分、どんな頑丈な壁もあの大槌の前では塵に等しいだろう。現に校舎の壁はぶち抜かれ蜘蛛も簡単に吹っ飛ばされていた。
その男、象山豪牙は勇ましい顔立ちでこの戦いに乱入してくる。
「あの人は確か伊音ちゃんの……甲虫武者だったのかよ!?」
豪牙という男を知らない黒金は兎も角、英と鴻大は目を丸くしてその生まれ変わった姿を見る。まさかあの時の教師が自分たちと同じだったとは夢にも思わなかったからだ。気づくためのヒントといえば虫の知らせが示した僅かな変化のみ、それだけで確証に至ることは難しい。
英はグラントシロカブト、鴻大はヘラクレスオオカブト、黒金はオオクワガタ、甲虫武者の鎧には種類と個人差がある。当然覚醒したばかりの豪牙に自分の鎧がどのカブトムシ、またはクワガタなのかを知る由は無い。なので代わりにこの男の鎧の名を教える。
それ程角が伸びるわけでもないのでヘラクレスオオカブトよりは小さい、それでも体重と体全体の大きさでは大きく勝るゾウカブト属。その中でも圧倒的な重量感を持ち「世界で最も重いカブトムシ」の称号を持ち、その為「象」の名も貰い受けた甲虫。
――エレファスゾウカブト、それが豪牙の鎧であった。




